素通り不可の脅威
赤の空域に入るため、ロナとピックたちはトンネルを進んでいた。
ロナ、クエン、ヤマメ、ゼライド、ピックの順に一列縦隊を作り、ガス・ホイップを撃破する。
が、その途中で横穴に巨大な目玉が出現する――。
目玉から、苦いガスが漂ってくる。
よって目玉の持ち主は、生き物ではなくガス・ホイップで確定。
眼球一個のサイズからして体の大きさも相当だろう……。
ロナもピックもゼライドもクエンもヤマメも、黙ってそれを「ボス・ガス・ホイップ」と見なす。
恐ろしかったのは、目玉に敵意がなかったこと。
ガス・ホイップに心はない。
ただし本能的な戦略眼を持っている。
とくにボス・ガス・ホイップは、知能を有する動物のような行動パターンを見せることが多い。
今、ロナたちを眺める目玉は……誰にも警戒心を感じさせないよう殺気のすべてを殺している。
凝視せず、うつろをよそおい、黒目をほとんど動かさない。
なまじ敵意をさらしてくれたほうが、まだ小物だと安心できた。
平然と歩くふりをしながらも、ロナの内心は恐怖であふれかえっている。
(目玉には、こちらを襲う気配がない……完全な無害を演じている。かえって怖い……! 釣られてリラックスすれば死ぬと思える威圧感。……お?)
さらに空気が変わったことをロナは感じ取った。
(ゼライドさんか……)
今までゼライドは新鮮で安全なガスをあたりにばらまいていたが――。
彼が、その供給をやめたのだ。
(呼吸しづらい……なるほど、これ以上しゃべるなという……ゼライドさんからの無言の指示だ)
ロナは完全に口を閉じる。
鼓動の鈍化を試みる。
彼女以外の四人の息も浅くなる。
足もとの岩石を蹴る音がトンネルに響く。
通り過ぎてしばらくしてから……目を合わさないように振り返ると、横穴の目玉が消えている。
――と思ったら前方の横穴に再出現。
このループが六、七回続いている。
目玉の正体は十中八九、討伐依頼の出されていたウツボ型のボス・ホイップに違いない。
なお目玉は必ず片方のみで現れ、眼球以外の体を見せない。
移動の際ウツボの身が岩肌をこする振動くらいは、ありそうだが……それも一切ない。
そして八回目の目玉をやり過ごしたあと……。
ボス・ガス・ホイップとおぼしきそれが、ぱたりと現れなくなった。
(結局なにもしてこなかった。苦いガスも消えてるし)
深呼吸すらできない状況のなか、ロナが周囲に視線をやる。
(切り抜けたんだろうか……?)
だがこのタイミングで、「みなさん、なんとか、なりましたね!」と発言できるほどロナも能天気ではない。
(いや、油断は……だめ。この程度で済むならウツボ型のボス・ガス・ホイップに高額の討伐報酬が設定されていることに説明がつかない)
ロナは、きのう宿った村でトンネル内のボス・ホイップについての情報を得ていた。
当の情報によれば……ウツボを討伐しにトンネルに入った者たちは一人たりとも生きて帰ってきていないという。
ただし厳密には、その情報は誇張を含む。
討伐する気があってもウツボに遭遇しなかった者たちは、生きて帰ってきている。
……が、そこまではロナも聞かされていない。
おそらく、ここに潜むボス・ホイップは――。
害意のないトンネル通過者の数パーセントにわざと姿をさらしたうえで、彼らを計画的に素通りさせている。
あえて自身の情報を広めてもらい、討伐者というエサが勝手にやってくるのを待つのだ。
絶対にトンネル通過者を襲うわけでないのなら、「ボス・ホイップとの戦闘をさければ、だいじょうぶだろう」と考えてトンネルに入るロナたちのような者も出てくるだろう。
当然ながらロナもピックもゼライドもクエンもヤマメも……このボス・ガス・ホイップにとっては等しくエサだ。
もちろんガスだまりの一種であるガス・ホイップに食欲はない。
ただ心なき身に、明確な攻撃衝動が備わっている……。
この衝動を鎮めてくれる存在があるのなら、それをエサと呼んでも差しつかえないはずだ。
息が詰まりそうな空気のなか、一列縦隊の五人は誰もしゃべらない。
頻繁に現れる小物のガス・ホイップを黙々と片付ける。
青と赤の混ざった岩肌を露出させる、洞窟のようなトンネル……。
その内部は冷たい。
汗がにじまずとも、見えない汗を幻視する。
緊張した肌に、壁面に連なるサン・クッキーの光が当たる。
岩肌は少しずつ青を失い、赤を強める。
(後方をピックおじさんがブーメランで索敵し、前方に対してはクエンさんが目を光らせている。使役するホイップを複数体走らせて、ゼライドさんが警戒網を敷いてもいる……。ボス・ガス・ホイップが現れた瞬間に……即時対応することは可能)
ロナがこう考えたあたりで。
ゆがんでいたトンネルの形状が、今までよりも――まっすぐになった。
やはりロナは野球ボール大の石「ポニー」を投げ、右前方および左前方の壁をたたく。
トンネル内に、新たな光と熱を発生させる。
ついでに風車タイタンの風により、そこらをうろつくガス・ホイップを霧散させる。
――そして、まっすぐになった地盤を二十歩ほど進んだときだった。
ロナの右後ろから、音なく赤いブーメランが迫っていた。
しかもロナのそばを過ぎたあと、彼女の進路を妨害するように左に曲がる。
それの意味するものをロナが理解する前に――。
左後ろからも白いブーメランが現れ、方向をやや右寄りにしてロナの前で折り返した。
ロナの目の前で、白いブーメランが赤いブーメランにぶつかる。
二つのブーメランがバック飛行の軌道をえがき、ロナに向かう。
ロナの背中に取り付けられた風車タイタンの風圧をものともせず、二つのブーメランが一体となってロナの腹部に直撃した。
ゼライドに仕込んでもらっていた防御用のガス・ホイップが服のなかでクッションになったとはいえ、ロナは悲鳴をはきだした。
耳では拾えないほどの高音だった。
ロナは腰から折れ曲がり、後ろへと押された。
風車越しに、背後のクエンと衝突した。
続けてヤマメとゼライドのさけびも加わる。
ロナ、クエン、ヤマメ、ゼライドが玉突き事故のようにまとめて後方へと押し出される。
後ろに飛ばされるさなか、ロナは気づいた。
自分の上と下から、鋭いものが近づいている……。
うつむく顔で真下を見た。
犬歯のような突起が並んでいた。
確実に、上も同じ状況だ。
ここで腹部のホイップが破裂し、後進のスピードが上がる。
しかし間に合わない。
足先が逃げ遅れている。上下の突起の列が迫る。
もうすぐ、足首が挟まれる。
食いちぎられる――
ロナがそう確信したとき――。
彼女をかかえ、後方に押し倒す者があった。
刹那にロナは赤毛を見た。
自分の体が、さらに後方へと逃がされたことがわかった。
(ピックおじさん……!)
直後、ピックがロナに向かって前のめりに倒れると同時に。
二列の犬歯が、かみ合わされた。
ベギッという派手な音が響いた。
先ほどのホイップの破裂により勢いを殺されたピックの紅白のブーメランが、まとめて破砕されたのだ。
直後――閉じ合わされた二列の歯の上下に赤茶色のガス・ホイップのかたまりが現れた。
その下側には二つの目玉があった。
ウツボのかたちが、そこにいた。
通路のほとんどをうめつくすほどに巨大な……ウツボ型のボス・ガス・ホイップが腹側を真上に向けていた。
赤く長い岩肌のような体が、通路の奥まで延びている。
ホイップ特有の噴出するガスは見えない。
ゼライドのヌライアと同じ、透明のガスを持つようだ。
すさまじく苦い、味とにおいがあたりに満ちる。
目玉を見せなくなってから再び姿を現すまで、ボス・ホイップはその苦みを完璧に隠していたようだ……。
数秒でロナたちは、次にすべき行動を判断した。
(――逃がしたら殺される。今すぐ倒す)
このウツボの特性は、もはや明白。
口のなかをトンネルそのものに擬態させ、なかに入ってきた者を始末するのだ。
青から赤に移る岩肌のグラデーション、たたけば起動するサン・クッキー、主要通路の横にあいた穴……すべてが本物のトンネルとまったく遜色なく作り込まれていた。
入り口の牙も隠し……トンネルに擬態した口内に小物のホイップを配置する徹底ぶり。
いつ口中に入ったかもわからない。
初見でかわすのは……いや初見でなくとも引っかからずに済ますのは、ほぼ不可能。
討伐者たちが、生きて帰らなかったのも当然だ。
ウツボの戦術を知った者は全員が腹のなかですり潰されているので、事前に対策を立てることもできない。
たとえ予想できても……トンネル落盤の危険を考えれば、「通路を無差別に攻撃する」という有効そうに見える手段も自殺行為でしかない。
したがって基本的にウツボは無敵であり、ロナたち一行の運命も本来ならここで終わっていた。
ただ、ウツボは心もないのに欲を出した。
一列縦隊に並ぶ五人すべてをまとめて飲もうとした。
だから先頭のロナが口中に入った時点で、口を閉じなかった。
……「最後尾の人物が牙を越えた瞬間」に五人全員を一網打尽にする構えだった。
寸前になって最後尾のピックがウツボに気づけたのは、トンネルの天井と地面の僅かな「震え」を見たからだ。
ここで彼はボス・ホイップの擬態の可能性に思い至った。
そう仮定すれば、討伐者たちが帰還していないことや、ウツボの情報の詳細が不明なことにも納得がいく。
ウツボは、四人目が口に入ったところで思わず歯を立てそうになった。
そこまで傷害に飢えていた。
これを我慢した。
その「震え」を知覚した刹那、ピックは反射的にブーメランを飛ばした。
先頭のロナに二つのブーメランを前方からぶつけ、さらに後ろの三人をも玉突きの要領で押し出し――四人をウツボの口から出したのである。
しかしなぜピックは、なにも言わずにそんなことをしたのか?
以前ピック自身がロナに言っていたことだが……ボス・ホイップには人語を解する種類もいる。
事実として、ここで判断を誤ってピックが口頭で注意を呼びかけていたら――ウツボ型のボス・ガス・ホイップに察知されて今ごろピック以外の全員が死んでいた。
ここまで危険なウツボを一度でも逃がせば、五人は今度こそ全滅する。
また姿を隠すことに成功すれば、ウツボは次からどうするか。
欲を出さず、一人ずつ砕いていく戦術に切り替えるはずだ。
もう震えを見せはしない。
先頭の一人を一回かんで始末し、即退避。
これを五回くりかえされると。
ロナたちになす術は――ない。
この状況がわかったからには……「遭遇したら全力で逃げる」という当初のプランをロナたち五人は放棄するしかない。
――ウツボの脅威に誰よりも早く気づいたピック以外の四人も、数秒で以上のことを理解した。
言葉ではなく、直感で。




