クエンおじさま
ピック、ロナ、ゼライドの三人は、青の空域の公道で交戦したクエンとヤマメを撃破した。
今は五人とも、アース・パイでできた透明な道の裏側にいる。
手足をロープで拘束されたヤマメが、上半身だけを起こし――。
地面に立つロナたち三人を、上目づかいでにらむ。
「なんでクエンおじさまの弾を受けておいて、金髪の子が無事なの」
ヤマメの隣では、クエンがぐるぐる巻きにされている。
二人を縛ったのは、やはりピック。
これでクエンは都合三回、ピックのお縄の世話になったわけだ。
さて、ヤマメの疑問に答えたのはゼライドだった。
「俺がロナちゃんのタイツのなかに、ガス・ホイップを仕込んでおいたんだよ」
手持ちのスプレー缶を軽く振りつつ、説明する。
「無味無色のガスを噴出させるヒラメ型のホイップを脚部に直接巻きつけていたのさ」
スプレー缶を持っていないほうの手で、ゼライドが自身の太ももをたたく。
「つまりナマの太ももとタイツとのあいだにガス・ホイップの層を新たに作ったわけだ。極薄だが防御力は高く、銃弾も防げる。俺が使役するホイップだからロナちゃんを襲うこともない。ただし攻撃されれば破裂するけどな」
「弾が当たったときの乾いた音は、ガス・ホイップによるものだったわけですか」
ヤマメの薄い紫色の髪がたなびく。
「……いや、ちょっと待ってよ」
少し幼げな口調を漏らす。
「クエンおじさまの弾……ロナちゃんの太ももを確実に射抜いたように見えたんだけど。あたし、透明なパイの裏側からちゃんと見てたし」
「ああ、それも簡単なトリックだよ。ヒラメ型ホイップが破裂したら血みたいなガスが出るように俺が調整しといたし。……さらに貫通したと誤認させるために、狙撃を受けた場合は反対側も破裂するように調教した」
「でもおじさまは何発も太ももに当ててたよね。一発を命中させて防御用のホイップを消費させれば、そのあとは通るんじゃないの?」
「さあ、どういうことかな」
ゼライドは、とぼけている。
(仕込んだガス・ホイップは複数体で、それぞれが体の各部位を細かくカバーしてるんだよ。だから俺はピックくんとロナちゃんに、肌を出さないようにと言った。全身の服のなかにガス・ホイップの層を満遍なく作るためだ。太もも一つとっても、ヒラメ型が幾重にも重なり合っている。たった一発で突破できるほど甘くないさ。さすがに寸分たがわず同じ箇所をねらわれたら危ないけれど)
素直に話せば自分たちのいのちが危険なので、彼はそれを心にとどめる。
……それ以上尋ねても無駄だと気づいたヤマメは、ゼライドから目を離す。
ロナの穴のあいたタイツを、苦々しげに見る。
「でも、ずいぶんピンポイントでクエンおじさまを警戒していたんですね。都合がよすぎじゃありません?」
「――わたしたちは、クエンさんのいる村に向かうところでした」
ピックが、ヤマメに顔を近づける。
「となれば、狙撃の得意なクエンさんを対策するのは当然のことです。防弾くらいしていなければ、遠くから撃たれるだけで終わりですからね」
態度を崩さずピックが続ける。
「……ともあれ、これで警察に突き出す人数が一人だけ増えました。もう仲間は、いないようですし」
「はい、そのとおりです」
ここで……ぐるぐる巻きにされているクエンが、横たわったままピックたちに声をかける。
「……ついては提案を」
重々しく口をひらいたクエンがピックたちを見上げる。
あくまでピックは、事務的に笑顔を作る。
ただしクエンに言葉を返したのは、ロナのほうだった。
「なんですか、クエンさん。『自分はどうなってもいいからヤマメさんは見のがしてくれ』と言うんですか?」
「そんな虫のいいことは言いません」
はっきりとクエンが発音する。
「僕とヤマメを、旅の仲間に加えてください」
「……そちらのほうが、よほど虫がいいと思いますけど。二人でわたしを殺そうとしたくせに――」
♢♢♢
――クエンの提案を聞いて、ロナもピックもゼライドも驚いていた。
だが、クエンの仲間であるヤマメだけは平静だった。
……「クエンおじさまであれば、これからもあたしと共に歩むことを選んでくれる」と信じているからだ。
ここで言う「仲間」とは……ハンガームーンのエンブレムによるつながりに、とどまらない。
♢♢♢
――薄い紫色の髪を持つ少女、ヤマメには十人の父親がいた。
どういうことか。
母もヤマメと同じく薄い紫の髪だったが……娘が産まれたときに、父親と名乗る者が十人、ヤマメの母のもとに押しかけてきたのだ。
ヤマメは母親の血を濃く継いでおり、父親の特徴をまったく……少なくとも見た目でわかる範囲では受け継いでいなかった。
だから、誰が父かは不明だった。
もちろん検査をすれば本物は判明するだろう。
しかし母はそれを嫌い、十人の自称父親の同意のもと全員をヤマメの父と明言した。
揉めないよう、ヤマメの名前は母が独断で決めた。
正式な婚姻は交わせなかった。
だが一人の妻と十人の夫と一人の娘の生活は、存外にうまくいった。
ヤマメの母は、それ以上子どもを産まなかった。
……これが大きかったのかもしれない。
ヤマメは十一人の親にかわいがられて育った。
……「こんないびつな家族関係であれば、虐待の一つや二つあったに違いない」と憶測する部外者もいたが……。
事実としてヤマメに、ひどいことをする家族は一人もいなかった。
しかしヤマメが十二歳になったとき、家族が崩壊した。
母が死んだのだ。
ヤマメの母はかなりの高齢出産だった。
死因は、ただの老衰だった。
伴侶たちはその日、「お母さんは最期まで立派に生きた。だから笑顔で見送ろう」とヤマメに言って……ぎくしゃくとした笑顔を見せた。
次の日、十人の夫がまとめて心中した。
同時に毒をあおったのである。
残された共同の遺言状には――。
ヤマメへの謝罪と、妻の死んだ世界では生きていけないという悲痛な思いがつづられていた。
彼らは、生きていくうえで困らない財産をヤマメに譲ってくれた。
ともかくヤマメは、これから先……どう生きていけばいいのか、わからなくなった。
家を売りに出した。
買い手は、つかなかった。
今までの住居をカラにして、ヤマメは旅に出た。
道中、とくに危険性も知らず、治安の悪い空域に入った。
たちまち身ぐるみをはがされ、人さらいたちのアジトに連れていかれ――オリに入れられた。
このときヤマメは、これまで自分がどれだけ家族に守られていたのかを知った。
オリには……ほかにも子どもが、たくさんいた。
そして捕らわれて数日後。
外で、なにかが倒れる音がした。
おそらく倒れたのは人だ。
次から次へと、人が崩れ落ちる音が連続する。
合わせて血しぶきの音も混じっている気がする。
音は少しずつ大きくなり、ついにはオリの前で見張りをしていた数人をも地面に沈めた。
続いて、男が現れた。
やせぎすで長身の、壮年の男だ。
男は片手に持った単眼鏡をのぞき込みつつ、もう片方の手でハンドガンを構えていた。
子どもたちをオリから出した男は、ハンドガンと単眼鏡を懐にしまった。
背中にくくりつけていた大きなバッグを下ろし、なかから服を取り出した。
さまざまなサイズの衣服が用意されていた。
それを広げ、「好きなものを着なさい。お代は要らないよ」と男は子どもたちに言った。
ぎくしゃくとした笑顔を見せながら……。
このとき、渡された服を身につけながら、ヤマメは違和感をいだいていた。
(どこかで見たような笑顔。……そっか、お母さんが死んだ日に、あたしに向けられたお父さんたちの顔なんだ。心で別のことを考えていて、でも目の前の人を安心させようとして作られる表情……)
男は子どもたちに「しばらくここで待っていてほしい」と指示し、その場を離れた。
仲間が代わりに現れ、もうすぐ警察の人たちが来てくれると伝えた。
ヤマメは彼らにバレないよう、慎重に男のあとをつけた。
通路を進んでいった男は、とある部屋に入った。
室内には、数名の子どもが横たわっていた。
すべて死体である。
売り物にならないと判断された者たちが、処分されたのだ。
そのうちの一人の前にひざまずいた男は、自身の膝の上に頭を落とした。
声なく泣いていた。
子どもの髪は、男と同じ黒だった。
男の子か女の子かは、わからなかった。
のぞき見していたヤマメは、それが男の……血を分けた子どもであるのを理解した。
(ああ、この人は……本当はあの子を救うためにやってきたんだ)
間もなく人さらいのアジトに到着した警察は、子どもたちを治安の悪い空域から連れ出した。
保護者のいる家庭に戻される子もいれば、養護施設に預けられる子もあった。
ただ、比較的年齢を重ねており、かつ充分な財産を持つヤマメをどうすべきか警察は迷った。
とはいえ、そのまま旅を続けさせれば再び被害に遭うかもしれない。
そんな彼らの心情を読み取ったヤマメは――まだ警察と一緒にいる、やせぎすの男を指差した。
「あなたの子どもになりたいです」
「僕は君の親じゃない」
反射的に男は、ほとんど唇を動かさず、そう口にした。
しかし、のちにクエンと名乗ったその壮年の男性は、少女をとある村に住まわせた。
奥に沼地のある村だ。無の空域に位置する。
クエンもそこに住むらしい。
住民は、「分け合うこと」を至上とする組織「ハンガームーン」のメンバー。
クエンの亡妻が元々ハンガームーンだったので、その縁でクエンは村に身を寄せたそうだ。
クエンは、ハンガームーンのエンブレムの上着を羽織った。
ヤマメは、エンブレムの付いた手袋をはめた。
二人は、一緒に暮らしは……しなかった。
ただ、村で毎日顔を合わせ、挨拶を交わしていた。
沼地のガス・ホイップを二人きりで討伐する日も、多くなってきた。
それでもヤマメは、クエンを信じていた。
微妙と言えば微妙でしかないそんな関係のなか、ヤマメがクエンを信じるのも奇妙ではある。
ただヤマメは、かつて十一人の親が自分に向けていたのに似た視線を、クエンから感じ始めていたのだ。
(それでいてクエンおじさまに、あたしを置いて死ぬそぶりがない)
愛とは違う。
死んだ子どもの代わりにされているのでもない。
(クエンおじさまは、自分の優しさをどこに向ければいいのか、わからなくなってしまっているんだ。そう思うのは、あたしの思い上がりかな……)
相手の気持ちを言葉で聞くことなく、ヤマメはクエンの好意……ではなく優しさを信じていた。
信じられる根拠があったのではない。
裏切られたかったから、信じたのだ。
この世には、裏切られることを期待しておこなわれる信用もある……そんな真実にヤマメは気づいていた。
これ以上、十一人の親の影に新たなシルエットが加わってはならない。
ヤマメの家族に、クエンが重なってはならない。
無根拠に信じた先で、クエンに裏切られ彼に失望したいのだ。
以前、彼の子どもになりたいと言ったのは、否定されることを予想していたからにすぎない。
ともかくクエンとヤマメは、こうした微妙な関係を続けた。
しかしクエンは、ヤマメの気持ちを踏みにじるマネを、一度たりともしなかった。
ヤマメが、意図的に二人きりになる場面をさんざん用意したにもかかわらず……。
ヤマメはそれが、うれしくもあり、さびしくもあった。
もはやクエンに対する彼女の気持ちは、家族に対するものでも意中の人に対するものでもなかった。
そういった、どう表現することもできない感情を込めつつ――。
ヤマメはその男を「クエンおじさま」と呼ぶ。
……クエンの髪に白いものが増え始めたころ、村の上層部が、ある情報をつかんだ。
五年後に巨大隕石がこの世界にぶつかって人類が全滅するという。
「いいね、それ」
語調に一抹の狂気も孕ませず、クエンが言う。
「みんなで死を分け合おう。ココア・サン・クッキーも世界に散らばるアース・パイもハンガーもばらばらになって、誰も専有できなくなる」
クエンの言葉に、村の上層部の者たちが賛同した。
ガス・ホイップ討伐の戦績をみとめられ、上層部に名を連ねるようになったヤマメも――クエンの提案にうなずいた。
(やっと……やっと、裏切ってくれるんだ)
しかし後日、ある少女についての知らせが入った。
金髪の女だそうだ。
隕石激突の情報を伝えられた彼女は人類全滅を回避すべく、ココア・クッキー内のハンガームーンを探そうとしているらしい。
始末の必要がある。
そこでクエンとヤマメたちは、くだんの少女の捜索を始めた。
クエンが無の空域で少女・ロナを見つけたとき……ちょうどヤマメは青の空域方面に出かけていたため、村にいなかった。
そしてクエンは結局、沼地でロナの始末に失敗した。
のちにクエンは、警察が村に向かっていると知らされる。
戻ってきたヤマメと共に、クエンは村を出た。……裏口と呼ばれるルートから。
その途中でロナたちと遭遇し、交戦。
果たして捕縛されるに至る。




