ヤマメの出現
青の空域のアース・パイの公道で、ピックとロナとゼライドはクエンを捕らえた。
そんななか突然、知らない女の声が響いた。
「クエンおじさま、ひどいことされてない? あたしが今から助けるよー……」
その女がいたのは、ロナたちの足もと。
正確に言うと――ガラス状のアース・パイの裏側の地面で女がうつ伏せになり、こちらに顔や腹を向けていたのだ。
ロナもピックもゼライドも、直前まで女の接近に気づかなかった。
そして三人の刹那の隙を……縛られたクエンは見のがさなかった。
転がってロナに激突し、吹っ飛ばす。
彼女の手に握られていた単眼鏡とハンドガンを口にくわえる。
すかさず舌を使って引き金を引く。
銃口から出た弾は、アース・パイを丸めたもの。
それぞれのアース・パイには独自の「波長」がある。
その波長が同じ場合、パイ同士はとくに強く引かれ合う。
アース・パイ自体をこすることで「同一波長のパイに引かれる度合い」を調整できるので、かなり融通が利く。
ピックやロナが自身の得物を投げて宙を移動できるのも、パイの波長を考えて武器を選択・使用しているからである。
クエンの単眼鏡もアース・パイを材料としている。
ちょうど単眼鏡と銃弾のパイの波長は合致する。
かつクエンは事前に銃弾をこすっておき、「同一波長のパイに引かれる度合い」を弱めているので……弾のほうが単眼鏡のほうに返ってくることはない。
また、現在のクエンの単眼鏡は「引かれる度合い」がかなり強い。(以前沼地で戦っていたときは、この度合いを限りなくゼロにしていた)
今回の場合、撃ち出した弾に単眼鏡が一方的に吸い寄せられる。
結果、クエンは単眼鏡ごと弾に引っ張られるように空中を移動した。
おまけに、彼が道の横の空間に投げ出された瞬間に――。
緑色の鎖鎌が、クエンめがけて飛んできた。
……刃物ではなくカマキリの手に見えるそれが、クエンの身に引っかかる。
ついで彼を、パイの裏面にいる女のもとに引き寄せる。
その際クエンは単眼鏡をこすり、これ以上弾丸に引っ張られないよう調整した。
女はクエンをそばで停止させる。なお……とっくにうつ伏せは、やめている。
クエンを縛っているロープを緑の鎌で断つ。
「じゃ……クエンおじさま」
親しげに女がクエンの名を呼ぶ。
「金髪の子、一緒にやろう!」
「もちろんだ」
短めのストレッチをおこないながら、クエンが冷徹に言う。
「それと残り二人はどうする?」
「無視」
――パイの裏側にいる二人の会話が、鮮明にロナたちの耳に届く。
加えて、立ち上がったロナは気づいた。
クエンの仲間とおぼしき女が、ガラス状のアース・パイの裏面に直立している。
ロナから見て逆立ちになっているその女の靴裏とロナの靴裏が――。
パイ一枚を挟んで、ぴったり重なり合っているのだ。
女は、ロナよりも大きな靴をはいていた。
ただし年齢は、ロナとたいして変わらなそうだ。
肩まで伸びた薄い紫色の髪からは、枝毛が何本か飛び出す。
体の線がくっきり出る服装で、身をつつんでいる。
なかでも、両手にはめられた手袋が目立つ。
手袋は、カマキリの手のような緑の鎖鎌をあやつるために装着しているのだろう。
……裏面に立つ手袋の女が、緑の鎌をアース・パイの横の空中に飛ばす。
その鎌を、クエンが狙撃する。
撃った弾が鎌に命中し、跳弾――。
果たして弾道はパイの表面のロナに向かった。
ロナは風車タイタンの羽根を回し、これを防御。
――が、ほぼ同時にロナの背後からも別の弾が迫る。
現在、彼らが交戦しているフィールドは、透明なガラスのようなアース・パイの公道。
縦に長いが、横幅は比較的短い。
手袋の女は、パイが途切れた左右の空中めがけて緑の鎌を飛ばしていた。
裏面から、左と右に一つずつ。
女の鎌は、最初から二つあったのだ。
両方の鎌をクエンは撃って、計二回の跳弾を起こしていた。
それぞれ別の場所で跳ね返った二つの弾が、正反対の方向から表面のロナを襲撃したというわけだ……。
ロナの後背を突く跳弾――。
それを防いだのは、ピックだった。
赤いブーメラン・オクトパスを回し、それを盾にしたのだ。
一方、ゼライドは走り、パイの裏側に移動。
クエンたちと向き合う。
しかしゼライドに反応した手袋の女が、左右に飛び出した二つの鎌を回転させる。
両端の鎌をつなぐ鎖の中心には、棒がある。
その棒を持って、女が回す。
すると両の緑の鎌が、棒の動きに引っ張られる。
水平面をすべりながら、空を切り始める。
このときゼライドの目には、女の手袋に縫いつけられたエンブレムが映った。
ゼライドやクエンの上着のものと同じく、コミカルな天体と厳かなロゴを組み合わせたエンブレム――それが、左右の手袋の甲に浮かぶ。
「嬢ちゃんもハンガームーンか!」
「失礼な」
手袋の女は鎖鎌の棒を持ったまま、ゼライドをにらむ。
「あたしの名前はヤマメです。『カマキリ』から離れて逃げてください」
「とめるよ!」
迷いなく宣言したゼライドが、ガスボンベを取り出す。
それをシャカシャカ振る。
「ちなみに俺はゼライドだ」
「……名前だけは知ってますよ。いい人だってウワサです」
話しながらも手袋の女――ヤマメは、棒を動かす。
棒から延びる鎖は、かなり長い。
左右の鎖それぞれの先端に付いた鎌が――。
回転の勢いを乗せたまま、表面へと折り返す。
そこにいるロナを同時に襲う。
が、二方向から接近する緑の鎌も、ピックとロナにたやすく落とされた。
そしてロナに近いほうの鎌と直結する鎖に……。
クエンが乗っていた。
単眼鏡とハンドガンを構え、鎌の飛来に後続するかたちで弾を発射していた。
まずクエンはロナの心臓や頭部ではなく、比較的警戒の薄い太ももを狙撃する。
この弾は、タイタンの羽根の回転では防げなかった。
クエンは一発だけで終わらせず、数発を撃ち込む。
確実に弾は、乾いた音と共に彼女のタイツに穴をあけ――太ももを射抜いた。
ロナは後ろによろめく。
ピックのブーメランやフリスビーが飛んでくる前に、クエンは最後の一発を放つ。
タイタンの風圧を抜けた弾丸が、満を持してロナの心臓にまっすぐ吸い込まれる。
だがロナは後ろに倒れると同時に、足もとの石を蹴り上げていた。
野球ボール大の「ポニー」である。
ポニーはハンドガンの射線上に立ちはだかり、クエンの弾道を断ち切った。
このタイミングで、クエンの目の前に白いブーメラン・スクイードが迫っていた。
地面のアース・パイを蹴り、後退しようとしたクエン。
――だったが、なにかにぶつかり失敗する。
赤いブーメラン・オクトパスが背中に当たったのだ。
先ほどピックは、ロナを守るためにブーメランを使わなかった。
クエンがロナの狙撃に集中している隙にオクトパスをクエンの背後に音なく飛ばし、事前に彼の退路をふさいでいた。
オクトパスにより後退できなくなったクエンの腹部を、真正面からスクイードの羽根が襲った。
クエンは紅白のブーメランに前後から挟まれ、うめいた。
もちろん……この間、ヤマメの鎌もパイの表面で動いていた。
ヤマメは裏面から表面に折り返している鎖鎌をあやつり――ピックの動きの妨害とロナの始末を図ろうとした。
その鎌の動きを見て……倒れていたロナは即座に立ち上がった。
風車タイタンを横倒しにして、その軸の柱に乗る。
続いて、石のポニーを真上に投げる。
ポニーとタイタンには同一波長のアース・パイが仕込まれている。
よってタイタンはポニーに引かれるかたちでロナごと上昇。
飛んできた鎌一つを回避したあとロナは、タイタンを地面に向かって蹴飛ばした。
タイタンは斜め下に向かって落ち、その鎌に直撃を食らわせた。
ヤマメは透明なパイの地面越しにそれを見て、もう片方の鎌でロナとピックを襲おうとした。
しかし、そんな余裕はなかった。
裏面で対峙しているゼライドがスプレー缶型のガスボンベからガス・ホイップを出しながら、ヤマメに肉迫していたからだ。
――ヤマメは片方の鎌をすぐに自分のそばに引き戻し、迫りくるゼライドにぶつける。
なおゼライドとヤマメが名乗り合って、この状況に至るまで……十秒も経過していない。
カマキリのような緑の鎌が、ゼライドの出すガス・ホイップをなぎ払い、霧散させる。
……速い。
おそらくヤマメがパイの裏側に突如として現れることができたのは、このスピード感のある鎌を飛ばして接近したからであろう。
ところが――ここでヤマメの口から高い悲鳴が上がった。
棒を持つヤマメの手に、ウミヘビ型のガス・ホイップが、かみついていたのだ。
ヤマメが舌打ちする。
(あたしがほかのヤツらに気を取られているあいだに、こっそり近づいていた……?)
思わず片目をとじ、鎖鎌の棒を手放すヤマメ。
そこに生じた隙は互いにとって大きすぎた。
スプレー缶のダイヤルを回さずにゼライドはガスを噴射し、その威力のみでヤマメを吹き飛ばした。
吹っ飛びながらヤマメは手を振る。
(……決まったと思った? 甘いよ!)
間を置かずヤマメはウミヘビを振り落とす。
ついで、自身の得物の鎖鎌をつかむ。
ヤマメは計算して、鎖の一部が延びているほうに吹っ飛ばされたのだ。
ただし棒の部分は遠くに投げ出されてしまったので、鎖を直接両手で取る。
手袋越しでも、手の平がこすれて痛い。
また、棒を持ったときよりも安定感はない。
それでもヤマメは鎖をあやつり、先端の鎌を後ろからゼライドにぶつける。
ところがゼライドは――。
背後に巨大クリオネを出現させ、鎌の直撃をのがれた。
しかもガス・ホイップとしてのクリオネが、はじける。
その勢いにより、彼は一挙にヤマメに近づく。
手刀を浴びせ、彼女の両手を鎖から切り離す。
ヤマメを地面に組み伏せ、ゼライドは首を回してみせた。
「結局、俺らのこと無視できなかったろ? 嬢ちゃん――いやヤマメちゃん」
「偉そうに……」
見るからにヤマメは不機嫌である。
彼女のそばに、先ほど振り落とされたウミヘビ型のガス・ホイップが横たわっている。
ヤマメがちらりと目をやると、ウミヘビの姿は破裂した。




