魔獣について
◇
「皆さんには今から、こちらのスケープゴートをあちらにある赤色のラインまで運んでもらいます。ただし、運ぶ際に傷をつけたり、破壊することは禁止です。もしも壊してしまった場合、強制的に失格となります」
ユーリッヒがグランドの真ん中で、顔のないクリーム色のスケープゴートを隣に立たせ、皆に見せた。
あれは私がアプロディーテ大聖堂でよく使用しているダミー人形に似ている。
「ちなみにこのスケープゴートには相手の魔力量や魔法技術によって、様々な動きが加わります。傷をつけてはいけない分、皆さんの魔力調整が大切な課題となりますので、今まで授業で学んだ力をふんだんに発揮して挑戦してみてくださいね」
なるほど、相手の魔法力によって主に強さが変わる人形か。なかなか面白いな。
今まであの人形には自分のふりをばかりをさせていたが、いろんな使い道があるのだな。
うむ、と感心しながら周囲を見回す。
「それにしても……」
他のクラスの生徒たちもいるせいで人が多いな。確か、合同授業と言っていたような。
『上位貴族も多いですね』
『お前、わかるのか』
『もちろんです。わたしを誰だと思ってるんですか? 皇室魔法師ですよ?』
『わかるに決まってるじゃないですか』と言いたげなフェンリルが私の肩に乗ってくる。
「おい、重いぞ」
『申し訳ありません。ちょっと高さが欲しくて』
呟くように言えば、またも「にゃあん」とぶりっ子していた。こいつ、あざとければなんでも許されると思っているな?
「お前。人を踏み台とでも思っているんじゃ……」
「アリア」
こそっと声をかけられて顔を上げる。
「ん? ああ、アステル」
「お前どういうつもりなんだよ。あいつらの前であんな風に宣言して」
赤茶髪を掻きながら「大怪我でもしたらどうするんだ」と言うアステルに、私は首を傾げた。
「なんだ、心配してくれてるのか」
「そういうんじゃない。あとで後悔しても知らねえぞって話をしてるんだよ」
全く、とぶつぶつと言っているアステルに「お前」と私は言葉を続けた。
「いいやつだな」
「……は?」
「まあ、そんなに心配するな。要はあの赤いラインまで人形を運べばいいのだろう? 簡単だ……ですわ」
「…………」
緑色の芝に引かれている赤いラインを指差しながら告げると、アステルは怪しむように私を見て、「お前……」と少し腰を屈めた。
「本当にアリアか? ここまで魔法実践に積極的だなんて……マジで怪しいな……」
びくっとすると、肩に乗っていたフェンリルが「にゃん」と鳴いた。ナイスタイミングというべきか、アステルは気を逸らすように「あ」とフェンリルを見た。
「そういえばこの魔獣。ここまで連れて来たのか」
「なんだ、いけないのか?」
「いや、いけなくはないけど。大抵の奴らは、影に隠してるし、必要な時まで表に出さないだろ」
言われてみれば。魔獣を使役している魔法師は、大抵、影の中に隠していたりする。
理由は、魔獣は一つの切り札になるからだ。
例えば野良の魔獣は、単体で魔法を使用することが可能だが、契約者がいれば、その契約者の魔力を使用し魔法を使うこともできる。
その場合は、契約者が許した分しか魔力を使用することができないため、魔獣からしたら魔法の自由度は減る。だが、魔力量=寿命の魔獣たちは喜んで契約する。
だから、魔法技術が乏しい人間でも魔力量さえあれば、それなりに強い魔獣を使役することができるのだ。……アリア本人が魔獣を飼っていたかどうかはわからないが。
「まあ、こいつは飾りみたいなものだしな」
フェンリルの顎を軽く撫でたら、ちょっと気持ちよさそうにしつつも、軽く指先を噛んでいた。飾りという言葉に怒ったのだろうか。いいだろ別に。
「魔獣を飾りって言うやつを初めて見たぞ、俺は」
呆れたように言いつつも「まあ、でもそうか」と納得したように腰に手を当てた。
「確かに魔獣がいれば、ハンナ・スコットの喧嘩を買っても問題ないってわけだ」
「ハンナ・スコット? 誰だそれは」
「は……? お前が喧嘩を買ってた侯爵令嬢だ……って言っても、記憶喪失だっけか」
「あ、あの猫目ボブか」
スコットという名前を聞いて思い出したが、確かアプロディーテの協会に寄付している貴族の中にそのような名前があったな。
ともすればミサで訪れている場合もある。道理であの娘の顔を見たことがある気がしたのか。
納得しながら猫目ボブを見ると、最悪なことにこちらの視線に気づいて、また取り巻きを率いてやってきた。
「何かご用? マグライアさん」
「いや、特に何も」
「……」
あっさり答えた私に、猫目ボブは一瞬、ひくっと口元を動かすと「そう」と腕を組んだ。
「まあ、今まで魔法に関する授業で実技には出たことがなかったものね。言葉が出ないほど、緊張するのも無理ないわ」
「いや、緊張もしていないが」
「ひとまず、わたくしたちの前で、あれほどの見栄を切ってみせたのだから、聖女候補第一位としての実力を見せてもらおうじゃない」
「……」
全く人の話を聞いていないな。
「ところで」
猫目ボブはちらりとアステルを見ると、怪訝そうな顔をした。
「アステル様は、どうしてマグライアさんとご一緒に?」
「……それはまあ、実技は初めてみたいだし、何かわからないことがあったら困るだろ。だから……」
「中途半端なお節介は、身を滅ぼすって何度言ったらわかるんです?」
「…………」
「理解していないなら周囲をご覧なさい」
猫目ボブが周りを指差すと、周囲の人間がひそひそとこちらを見て何かを言っている。
「自分がどれほどおかしなことをしているのか、理解しているならマグライアさんには手を貸さないことね」
じっと睨まれるアステルは、気まずそうに口を閉ざした。なんだ、この微妙な空気は。
『正直、侯爵子息の彼が、子爵令嬢であるアリア・マグライアを庇うのはおかしな構図ですよね』
フェンリルが地面に降り立ちながら告げる。
『そういうものなのか』
『あなたは教会に属していますから、貴族の交流など興味ないのかも知れませんがそういうものです』
『面倒なものだな。友人なら助けるものだろう、私がアリアを救うように』
『あなたの当然は、世界の常識とは違うのですよ』
なんだと。
「うるさいやつだな」
フェンリルにそう告げると、猫目ボブたちもアステルも固まっていた。……あ、口を閉じるが既に遅い。
「……と言うのは冗談で。皆さんも課題クリア目指して、頑張りましょうね」
にこっと笑顔を作って、手のひらを合わせる。それが相手の怒りに拍車をかけてしまったらしく、猫目ボブの目尻はどんどん吊り上がっていった。
『おい、お前のせいで怒らせたじゃないか!』
『人のせいにしないでください。あなたの注意が不足していたのがいけないのでしょう』
フェンリルを横目で睨みつつ、私は再度、猫目ボブたちに笑顔を作って、そそくさと彼らから離れた。