残酷な優しさ
「……は、あのインチキ魔法師め。やっぱり私の力に制御をかけてたな」
だから守護石のついたドレスを贈ってきたのか。
私がフェンリルの魔具を外さないと決め込んでいたから、何かあった時のために。
足元から渦巻くようにして魔力が漲ってくる。脚、腹、胸、腕、そうして剣にまで辿り着いた時、その剣身が光り輝いた。
バキと音を立てて、爪が切り落とされる。
ごとっと音を立てて落ちたそれを横目に見て、ノアが顔を上げた。
「え……」
微かに聞こえた声に、私は軽く振り返る。
目が合うと、その青が揺らいで、ゆっくりと見開いた。
「ど、うして……」
「ノア、せーので、壊せ。いいな」
ヘスティア、さま……? と口が微かに動く。
「説明は後だ。行くぞ、せーの!」
最後に残った首に向かって、剣を振り上げた。
ノアがはっとしたようにブローチに短剣を突き刺す。
すると、血飛沫が上がることなく首が飛び、ナベリウスの身体は藻掻くようにしてそのまま塵となって霧散した。
瞬間、表面がバキバキに割れたブローチからは瘴気が溢れ出し、ノアに襲い掛かるようにして降りかかった。
「ノア! 息を止めろ!」
叫ぶようにして言えば、ノアは急いで顔を背け腕で防いだものの、ふらりと地面に手をついていた。
そして、「っは、は……っ!」と息苦しそうに胸を押さえながら、地面に倒れ込む。
さっきの瘴気は吸い込みさえしなければ害を及ぼすものではない。とはいえ、気力は削がれるものではあったに違いない。
その隣にしゃがみ込み、「よく頑張ったな」と告げれば、薄っすらと瞼を開いたノアが「へ、す……」と口を動かしていたが、そのまま糸が切れたように気を失っていた。
倒れ込んでいるアステルを確認すると、呼吸は辛うじてしていてほっとした。
一先ずは誰も死なずに済んだようだった。
さて、とナベリウスの残骸の中からは、クリスティーナのブレスレットを拾い上げる。
このブレスレットを破壊すれば、この異空間は消えるだろう。
腕がなくなったショックで、ノアたちと同じく気を失った娘。
気の毒だが、どれだけ思い出が詰まっていようと、このブレスレットを壊さねばならない。
神聖力で浄化しようともここまで成長した偽魔具を、元に戻すことはできない。
ばき、とブレスレットについていた魔石にひびが入る。するとそこから瘴気が溢れ出た。
魔具に宿る瘴気は、時に幻覚と記憶を見せてくれる。
これは――。
「――ああ、どうしましょう! 赤毛がうつってしまいそうですわ!」
「え……きゃっ…!…」
「クリスティーナさん。うちのものに勝手に触らないで、って言いましたわよね!?」
赤を思わせるような橙色の髪が揺れる。
びくびくと肩を揺らしているその子に向けて、金色の髪をカチューシャで上げた女の子は、「はあ、本当に嫌な気分ですわ」とうんざりしたように眉根を寄せた。
その手にあるのは、子ども物のハンカチだ。年は五、六歳ほどだろうか。
「で、でも、ハンカチが落ちていたので……」
「拾ってなんて頼んでないわよ! こんなもの……っ」
ハンカチを床に向かって投げ捨てる金髪の少女は。
「あんたが触った時点で、ゴミも同然だわ!」
そう言って、そのハンカチを踏みつけていた。
「ね? みんなもそう思うでしょう?」
「ああ、マルガレータ嬢の言う通り。赤毛で、そばかすで、本当に淑女らしくない」
「恥ずかしいやつ」
金髪の少女の隣にいた男たちが、悲しみで肩を揺らす少女の身体を押した。
床に腰がついて、怯えた顔で自身を取り囲む人間を見上げる。
「ああ、またマルガレータ様の機嫌を損ねているわ。あの子」
「本当に鈍臭いわよね。そのくせあの見た目でしょう? 田舎臭いわ」
「あそこの家ってすごく貧乏なんだって! わたくしのお母様が言ってたわ」
こそこそと陰口を言われる彼女は、かあっと顔を赤くする。
「ドレスだって毎回同じものだし、髪の毛もぼさぼさしてるし。わたくしだったら恥ずかしくて外にも出られないわ」
「神経が図太いのよ。だから、こうしてお茶会に参加ができるんだわ」
「ほら、聞いてる? クリスティーナさん」
陰口に耳を傾けていれば、ふと金髪の少女が腕を組み、ふんと笑いながら続けた。
「みんな、恥ずかしいって。あなたのことが」
立ち上がって、急いで走り去るその少女の姿がアリアと重なる。
どこの世界も、息苦しいのは変わらないのだな、と思った。
家に駆け込んだ彼女は、「うっ、うぅっ」と涙を流していた。
「あら、クリスティーナ」
両親はいないのか、老女が彼女を迎える。
「おばあさま……っ」
ぼろぼろと涙を流す少女の肩を抱きながら「一体どうしたの」と心配そうに告げた。
「今日、マルガレータ様のお茶会に参加したの、そしたら……っ」
そこまで言いかけた後、少女の口が迷ったように閉じた。老女はしばらくその子の背中を擦った後、「大丈夫だから、ゆっくり話してごらん」と続けた。
「わたし、髪はばさばさの赤毛だし、肌だってこんなにそばかすだらけ……だから、女の子らしくないって、可愛くないって……そう言って、みんながいじめてくるの」
「……まあまあ、わたしの可愛い天使。そんなに悲しそうに泣かないで」
しわだらけの手で頭を撫でる。少女を優しく慰めているようだった。
「クリスティーナは、お空は好き?」
「えっ?」
「わたしはね、一日の中で、夕焼けの空が一番好きなのよ」
「……」
「今日も頑張った自分を労わってくれるようで、すごく美しくて、そうね」
見上げた少女の髪をゆっくり耳にかける。
「クリスティーナの髪色にそっくりね」
笑いかける老女に、少女はしゃっくりをしながら涙を止めていた。
「そばかすだって、いつか薄くなって綺麗になるわ。もちろん、あっても十分、可愛いけれど」
「……っ」
「そうだ」
思いついたようにして、老女は自分の手首についていたブレスレットを少女の腕に通した。少しぶかぶかに見えるそれを見てくすりと笑いながら、「クリスティーナ」と少女と目線を合わせた。
「これはね、わたしの大切なブレスレットなんだけど、クリスティーナにあげるわ。このブレスレットにはまじないがかけてあるのよ。あなたが立派な淑女になれますようにと」
「まじない……?」
「ええ。それに、深い悲しみや苦しみを和らげてくれる、特別なお守りでもあるの」
ぎゅっと、そのブレスレットごと、小さな手を握る。
「クリスティーナがこれからどんなに辛いことがあっても、このブレスレットがきっと守ってくれるわ」
「おばあさま……」
「だから泣かないで、きっと」
穏やかで、優しい老女。
「このブレスレットが、あなたにとって素敵な未来を導いてくれるから」
しかし、優しさは時に無責任だ。
――場面が変わり、棺桶に横たわる老女が見えた。
それを眺めながら、首を振る少女。
涙を流し、「おばあさま、どうして……おばあさまっ!」と叫んでもその目が覚ますことはない。
「素敵な未来が待ってるって言ったじゃないっ、あれはうそだったの……?」
優しさは期待をさせる。いつまでも共にあるものだと。
「傍におばあさまがいないなら、そんな未来、いらないわっ」
けれど、それが失われた時の喪失感は計り知れない。
「お願いだから目を覚ましてよ、おばあさま……おばあさまぁっ!」
死んでしまうとは、ずるいものだ。
残された者のことを、ちっとも考えていない。
心を満たしたなら、その責任をとるべきだと思うのに。
ああやって縋っても、文句を垂れても、本当に聞いてほしい人はもうこの世にはいない。
愛を語るのであれば、最後まで手を離さないでくれればいいのに。
そんな願いは、例え魔法があったって叶えられやしないけれど。
親であっても子であっても、どんなに愛する相手でも。
足並みを揃えて、共に老いることなどできない。
だからこそ、優しさは残酷だと思うのだ。
「うぅ……置いて行かないで、おねがい……おねがいよぉっ」
離れがたくなってしまうから。
しわしわの冷たくなった手をクリスティーナはいつまでも握っていた。
その手首には、ブレスレットがぶら下がっていた。




