偽魔具と仮の姿
すべての反撃を切り落としてしまったからだろう。
諦めたように、顔を両手で覆っている。そんな彼女の腕には、濁ったブレスレットがついていた。
「『……お願い、コワサナイデ』」
ぽろぽろ、とその手の隙間から涙が落ちていく。
……ああ、アリア。お前のせいで余計なことを思い出した。
「それは、叶えられない願いだな」
相手を楽にすることができるなら、慈悲など必要ない。
例え本人が地獄を望んだとしても、正しい道へ導く。
それが、いつかの幸せになるなら。
私は、聖女として、そのように人々を導かねばならない。後ろ指をさされようとも、やらねばならない時がある。
今のように。
そうして、ブレスレットを破壊しようとした、次の瞬間。
「いやああっ!? ノア様!!」
急いでそちらを見ると叫び上がる猫目ボブや他の女子生徒たちを庇うようにして、ノアが立っている。
頭から血が流しながら、彼は「お前は防御魔法を張れないのか!」と猫目ボブを見た。
ひっと肩を揺らして、「も、申し訳ありませんっ、わ、わたくし……っ」と涙目になりながらも震えた声で「〝虹の膜〟!」と叫んだ。
すると、シャボン玉のような頼りない薄い膜が彼女たちを囲む。それを見て、「……もって数分ってところか」とノアは眉を顰めた。
その前方には黒い獣が対峙している。
アステルの胸元にあるブローチから繋がるようにして見えたその姿は、頭こそ三つに分かれた犬だが、身体から下には鳥のような二本の足と尻尾が見えた。
金色に光る眼光。
口から滴る涎が地面に落ちると、気泡を放ち蒸発していく。
あれは上級悪魔に分類されるナベリウスだ。
何故、あのような希少種が……。
アステルの持ったブローチには、そんな気配はしなかった。
あれほどの悪魔が憑いているなら、すぐにわかったはずなのに。
やっぱりおかしい。誰かが意図的にあの偽魔具に何かを仕掛けたとしか……。
「……いや、考え事は後だ」
さっさとクリスティーナのブレスレットを壊して、加勢しに行かなければ。
さすがのノアでも限界が……。
と、思った瞬間「『っ、ふふっ』」と笑い声が聞こえた。
は、とクリスティーナを見ると、彼女がバク転をするようにして、私に向かって足蹴りをした。
その爪先が頬を掠めると、そのまま後ろに回転しながら距離を取られる。
「『あァ、ヨケラレた……』」
「……なんだ、起きていたのか」
ふん、と鼻で笑うと、その頬がぴくりと動く。
「てっきり、あまりの力の差に戦意を喪失してるんだと思っていたが」
「『……シネ……しね!』」
ズズッ、とその腕に着いたブレスレットがどんどん皮膚の中に呑まれていく。クリスティーナの顔も左側から人ならざる者の造形になりつつあった。
同化が早い。
このまま完全にブレスレットが体内に取り込まれたら、最悪この少女を殺さなければならない。
アステルの方も同じことになるだろう。
クリスティーナに近づこうとすると、今度は横から大きな岩が飛んできた。
振り返ると、ナベリウスがこちらに向かって飛び上がっていた。
「避けろ! アリア・マグライア!」
ノアの叫ぶ声が聞こえた。
魔法で防御壁を張ったが、ナベリウスは引っ掻くようにして何度も爪を立てると、一瞬にしてそれを破いた。
その後も、私の身体を爪で串刺しにしたいのか、脚を振り上げて、力強く鍵爪を振り下ろしていく。
身体を翻して、風の魔法を地面に向かって放つ。
ナベリウスは確かに悪魔の中では強くはあるが、これほど攻撃範囲の広い悪魔だったか?
それにまるで知能を抜かれたように短絡的な行動をとっている。
自分の身体が傷ついても構わないのか?
悪魔は益を好む。それなのに、相打ちを狙っているような……。
普通の偽魔具に憑りついた悪魔として扱うには、あまりに無作法だ。
「『あ、アハハ、逃げてる、逃げてる!』」
地面を叩き割っていくナベリウスに追われる私を見て、クリスティーナは笑いながら手のひらに瘴気を集めているようだった。
そして、その目はノアたちの方を捉えている。
「っ、ノア! 障壁を張れ!!」
先ほどよりも体力が消耗しているのか。ノアは少し遅れて顔を上げた。
その瞬間、瘴気の塊が弾丸のように飛んでいく。あれでは間に合わない!
「っ、〝小葉盾〟!」
小さな盾をノアの周りに出すと、瘴気がそれに当たってドロドロと落ちていく。
同時に私の身体に向かってナベリウスが脚を回し、身体を横に吹き飛ばした。
「っ、アリア・マグライア!」
どこまでも身体が吹き飛ぶせいで、ノアの叫びが聞こえづらくなる。
自ら壁を作って、そこに身体を打ち付けてそれ以上吹き飛ぶのを防ぐと、物凄い速さでこちらに追いついたナベリウスが私の身体を地面に向かって叩きつけた。
水を張った黒い地面が割れる。その中に身体が埋まるようにめり込んだ瞬間、クリスティーナから瘴気の玉がこちら向かって放たれたが、私に当たることなく軌道が横に反れた。
「『なっ……!』」
悪魔が動揺している。私も攻撃を塞いだ覚えがない。
何故、と思った瞬間、ドレスの守護石が光っていることに気が付いた。そうだ、このドレス。……癪だが、フェンリルの用意した石が役に立つとは。
あいつのしたり顔が思い浮かんで、一瞬腹が立った。
「……長年平和ボケしていたからな。私も身体が、随分なまってるみたいだ」
地面から飛び上がりながら、ナベリウスに向かって光の矢を放てばその腕に突き刺さる。『グアアッァァッ!』と叫び上がる身体に向かって、瞬時に手のひらから出した光の剣を振り下ろせば、身体を真っ二つに裂かれた。
『ギエェアアアアァァッ!』
「お前、さっきからアステルの魔力を吸っているだろ。不快だからやめろ」
『アァァアァ……ッアアアッ!』
耳を劈くような断末魔を上げながら、三つの頭が震えるようにして首を伸ばしていく。
そしてそのまま私の顔を喰らおうとしたので、一つの頭は素手で掴んで中に空気を入れ込み爆発させた。
びちゃっと飛び散る悪魔の血が、床にじゅわっと蒸発しながら落ちていく。
その瞬間、私を守っていた守護石が割れて舌打ちが零れそうになった。
……悪魔の血の威力には、魔石もさすがに持ちそうもないか。
それもナベリウスとなれば……首を三つ切る必要がある。
一度後ろに退避しようとした瞬間、もう二つあった頭の一つが、さらにぐんっと伸びた。
その首は恐らく私の頭を喰らうだろう……と思ったのに、通り過ぎて、クリスティーナの方へ向かった。
は、と振り返ると、ナベリウスの頭はクリスティーナの肘から下の左腕に喰らいついた。
そして引きちぎるようにして丸呑みすると、クリスティーナの腕から血がぼたぼたと落ちた。
「『ギャアアァッ!? いぃぃたいっ! いだァイッ! ああ゛っ! 痛いわ!』」
なくなった腕を押さえるようにして地面に倒れ込んだ彼女を無視して、ナベリウスはブレスレットの入った腕を味わうように飲み込み、半分に割れた体を元に戻していく。
猫目ボブが青ざめたように「く、クリスティーナ……」と彼女の名前を呟いた。
頭が二つになったナベリウスは『ゲエ、マズイ、ヨワイ、ニンゲンノアジ』と言葉を発した。
「っ貴様……」
別の偽魔具を取り込んだ。
クリスティーナに憑いていた悪魔を食べたんだ。
ああ、思ったよりも最悪な展開になってきた。
その上、自由に力が使えない。異空間の中だからか?
それとも、仮の姿のままだからか?
もしもフェンリルに貰ったこのピアスが私の力を制御しているのなら……。
「ハンナ・スコット! 動けるならクリスティーナの腕を止血しろ! 早くしないとその女は死ぬぞ!」
「っ……わかっ……」
指示を出した私に返事をしようとした猫目ボブの身体が、瞬く間に風の魔法に吹き飛ばされた。
その魔法の先には、ゆらりと立ち上がったアステルがいる。
「アステル……! お前……」
気絶した猫目ボブを横目に、急いでクリスティーナの元へ向かう。
ドレスについていたレースを引き千切って、その腕を縛り上げた瞬間、ナベリウスの瘴気が飛んできたので瞬時に弾いた。
「ノア! アステルからブローチを外せ! 魔力を吸い取られて、操り人形になりつつある! アステルの息が続いてる間に頼む!」
そうしないと、アステルまで死んでしまう。
「っ、そんなことはわかってる……! お前こそ黙ってそいつと戦ってろ!」
ノアが氷の魔法で、アステルの周りを囲う。その様子を横目に、私は再び剣を振るいながら、ナベリウスの首を吹き飛ばそうとすればその口から瘴気の玉がこちらに向かって飛ばされた。
身体を翻してそれを避けたが、ドレスの裾が当たって瞬時に朽ち落ちてしまう。
クリスティーナの偽魔具を身体に取り込んだから力が増している。
……首を一つ切ったのに。後退どころか、進化しているとは。
ノアはそろそろ限界だろう。アステルの相手をしつつ、ナベリウスの攻撃から倒れている生徒たちをずっと守っている。普通の者なら死んでいてもおかしくない。
その上、この異空間の中では魔力の生成が遅い。
魔法発動の時間はいつもよりゆっくり感じてやりづらいだろう。
ドレスについた守護石を確認する。まだ割れてないものがいくつかある。
結局フェンリルに助けられることになるとは情けない。地上に出たら、なまった身体を鍛え直すか。
ナベリウスに向かって飛び上がると、あらゆる角度から瘴気が飛んできた。その攻撃をかわしながら、首に向かって一気に剣を振り下ろした。
頭が一つ飛び、悪魔の血がドレスに当たる。
あと一つ……!
と、剣がその首に食い込んだ瞬間、「もうやめろ! これ以上、魔力を使うと、死ぬぞ!」とノアがアステルの身体を押さえていた。
胸元からブローチを剥ぎ取ろうとしている。
そんなノアの手から逃れようとするアステルが、「うぐ、ああっ」と言葉にならない叫びを上げていた。
そんな中、ノアがブローチを奪い取った瞬間、目の前にいたナベリウスがノアたちに向かって走り出した。……くそ!
「ノア……!」
「っ、え」
ナベリウスの前に回って、ノアへの攻撃を防ぐと守護石がさらに砕け落ちた。
鋭い瘴気が皮膚を裂き、血がぼたぼたと落ちていく。そんな私を見て、ノアが「お、まえ……」と震えた声を出した。
「私のことはいい! そのブローチを破壊しろ!」
弾かれたようにして、ノアがブローチを見る。そして氷の短剣を手のひらで生成すると、そのまま埋め込まれた魔石に向かって突き刺した。
バチバチ、と火花が散る。切先が触れることも許さないのか、「っ、ぐ……!」とノアがいくら力を込めて突き刺しても表面すら傷つけられないようだった。
『グァアアアアッ!』
ナベリウスの爪が、私が持っている剣を力強く握る。同時にビキッとヒビが入っていく。このままじゃ、後ろにいるノアたち諸共吹き飛んでしまう。
ああ、くそ。試すしかないか。
ピアスを緩めると、全身に魔力が淀みなく巡っていくのがわかった。
髪の毛の先から桃色が抜かれるようにして消えていく。
そして段々と青を混ぜた銀色へと輝きを放っていった。




