しぶとき弱者
髪の毛がだらりと顔を隠すように垂れ下がっている。その顔からは血の気が引いて、白目を剥くようにしてこちらを睨みつけていた。
彼女が身に纏う靄はいつの間にか、ドロドロの黒い液体と化している。
あれは……。
「クリスティーナ……なの……?」
狼狽しながら、猫目ボブが告げる。
「お前ら……後ろに下がれ」
「アリア、何言ってんだ。お前こそ……」
私の言葉にアステルがそう言った瞬間、「来る」とノアが呟いた。
「〝青の城〟!」
ノアが急いで作った氷の壁に、鞭のようにしなりながら黒い液体が飛んでくる。
叩きつけられた氷の表面はどろどろに溶けて、そのまま真っ黒な地面へと落ちていった。
「な、なに、いまの……」
「ボケッとするな。お前たちも構えろ!」
動揺している猫目ボブにそう告げて、「ノア!」と告げれば横目でこちらを見た。
「私はあのブレスレットを破壊しに行く。お前はあの足元にいる彼女たちの回収を頼めるか?」
「……わかった」
色々と言いたいことはありそうだったが、ひとまず頷いたノアに「ありがとう」と言いながら、風魔法を使用しながら飛び上がると、そのままクリスティーナの方へ向かった。
「そのブレスレット、破壊させてもらうぞ!」
「『ヤメロ、やめて、チカヅクナ、近づかないで』」
「『 お ね が い 』」
そう彼女の口が動いた瞬間、ブレスレットのついた腕が私の方を向いた。
そしてブレスレットについた石から、ドロドロとした黒い手を次から次へと放つ。
それらを弾きながら、ちらっとクリスティーナの足元を見ると、同じくこちらに駆け出したノアが、クリスティーナの足元に横たわった生徒たちの上に、氷の糸を重ねた。悪魔の血が飛ばないように屋根を作ったのか。
「気にするな、そのまま破壊しろ!」
頼もしいな、私の教え子は。
口角を上げながら、身を翻す。第一にあのブレスレットを破壊すること自体はそんなに難しいことではない。
とっとと、壊してクリスティーナの身体から外してやればすぐに済むこと……。と、その身体の近くまでやってきたその瞬間。
「ちょっとっ! なんなのよ!?」
猫目ボブの叫ぶが聞こえる。
一体なんだ、とそちらを見ると、アステルが胸を押さえて蹲っていた。
「うっ、く……ぅっ!」
「アステル……?」
気をとられた瞬間、クリスティーナの指先が眼前を掠める。
「『近づくなと、言っている!』」
黒色の手が、私に向かって飛んでくる。「アリア・マグライア!」と叫ぶノアに、すぐさま後ろに下がれば、その口はぶつぶつと呟くようにして「『みんな、しね、シネ、死ね』」と繰り返している。
「クリスティーナ、聞こえているか? そのブレスレットをすぐにでも外せ! でなかったら、お前の魔力も、命も、全て悪魔に食べられて……」
「『シネ、いなくなれ、キエロ、みんな、全員!』」
ぼたぼた、と黒い液体がクリスティーナの肌に落ちて焦がしていく。
『「イナクなって、消えてしまえ!」』
彼女が叫んだと同時に、頭上を複数の黒い玉が飛んでいく。まずい、狙いは後ろだ。
「おい、猫目ボブ! アステルを連れてそこから……っ」
振り返って離れろと言おうとした瞬間、アステルの胸元から同じような黒い靄が出て、猫目ボブの首を掴み上げていた。
「っぅ、く、る、し……っ!」
「アステル! お前……っ」
急いでノアを見る。
「ノア! アステルの胸元にブローチがついている。恐らく偽魔具かもしれない!」
「!」
偽魔具はそんなに簡単に手に入れられるようなものではない。それなのに同じ場所に二つもあるなんて……こんな偶然……。
「私はクリスティーナのブレスレットを破壊する! 一旦、アステルの方を頼む! すぐに加勢に行くから」
微かに頷いて、アステルの方へ急いで向かうノアを見送る。
そんなノアに向かって、さらに黒い手が伸びようとしたので、アステルたちの元へ伸ばされた黒い手と共に切り落とした。
「悪いが、お前に時間をかけられなくなった。さっさとブレスレットを破壊させ……」
「『イヤ、嫌よ、これは、おばあさまの大事な、形見、宝物なんだから!』」
クリスティーナが蹲る。そのオレンジに光る髪が地面へと広がった。
「『お願い、おねがいだから、こわさないで、壊さないで』」
その髪の毛先が枝分かれして、根を張るようにして私の足元までやってくる。
「『とらないで、とらないでよ』」
毛先が刃のように鋭くなって、私の身体を切ろうとしてくるが、全てをじりじりと燃やしながら彼女の元へ歩いた。
「『だいじなものなの、だいじな……だいじな……っ』」
頭を下げたまま震える華奢な肩を見下ろしていると、私を信仰する人々のことを思い出す。
藁にも縋る思いで、祈り、乞う人々は、何とも弱々しく、頼りない。
さめざめと泣くその姿をこうして目に映すと、残酷だなと思う。
誰しもが必死なのに、弱き者は頭を垂れ、他者に幸せを願うのだ。
例え、祈ったところで、状況が変わるわけでもないのに。
『――極端ですね、ヘスティア様は』
あれは、何年前のことだろう。
アリアの呆れた顔が、ふと脳裏に浮かんだ。
『なんだと、もう一度言ってみろ』
『ええ、何度だって言いますよ。ヘスティア様は極端なのです。私たちのような人間は確かに、立場で言えば弱き者かもしれませんが、しぶとさだけは誰にも負けません』
『言えてるな。お前は、うんざりするほどしつこいから。その点は天下一品かもしれん』
『もう、またそんな……そういうことではないのに』
アリアが困ったように呟きつつ、『いいですか』と言葉を続けた。
『強く祈ることはあっても、すべての願いが必ずしも叶うとは、誰も思っておりません』
『なら、みっともない醜態を晒してまで祈る必要など、どこにもないではないか。毎日毎日、もう耳にタコだぞ』
『そう見えてしまうのも仕方ないのかもしれませんが、それでも奇跡が起きないのかと皆願っているのです』
ああ言えばこう言う。あの時のアリアも、まるで親のように口うるさかった。
『状況は変わらないことはわかっていて、それでも心を鼓舞したいだけの人だっております』
『…………』
『誰もが、最後まで、諦めたくはないのです』
逸らしていた顔をゆっくりとアリアに向ける。
目が合うと、少し申し訳なさそうに微笑んだ。
『そんな、私たちの弱くしぶとい部分を』
はあ、なんでこんな時に思い出したんだ。
『どうか広い心で受け止めてくださいませんか、ヘスティア様』
最悪だ。壊した方が早いと言うのに。
黒い水面の上を歩いているような気分で、私は蹲ったままのクリスティーナの前で立ち止まった。




