取り込まれた異空間
「……わ、悪い」
それにしたっていきなり怒鳴られるとは思わなかった。
目をぱちくりさせて二人を見ると、彼らは揃って溜息を吐いていた。
そして、そのままアステルが「それより」と続ける。
「ここはどこかわかるか? ずっと真っ暗で何も見えないんだよ」
「ああ、ここは……」
声は響くものの、端が存在するかも不明な果てない空間。
風もなければ、光もない。ただそこに無があるような、そんな感覚に陥る場所。
「恐らく、偽魔具が形成した異空間の類だろう」
「えっ、偽魔具……って、あの教科書とかに載ってる? 嘘だろ? 本当に?」
信じられない、とばかりにこちらをアステルが見る。
そして、私とノアの表情に気づいたあと、「マジか……」と呟いた。
「とにかく早めに脱出しないと、全員、偽魔具に宿った悪魔に食われてしまう」
「なら、偽魔具を破壊すればいい」
私の言葉にそう結論付けながら、ノアが手のひらからまた光の玉を作ると、一気に周囲を明るくした。
「……ノア、お前こんな芸当ができるようになったのか」
「……」
無視するノアを「すごいなぁ」と素直に褒めていると、「おい、アリア」とアステルが呆れた様子でこちらを見た。
「敬称を忘れてるぞ。相手が王太子殿下だってこと、忘れてるだろ?」
こそっとアステルに言われて、あ、それもそうだった。と思いながら、口を押さえれば、ノアは溜息を吐いて「もういい、いくら言っても無駄だ」と素っ気なく顔を逸らした。
「だって。好きに呼んでいいらしい」
「いや、そうは言ってないだろ……」
こそこそと告げるアステルが、「……にしても」と横目にノアを見る。
「意外だな、氷華って呼ばれるくらいなのに。王太子殿下って案外、優し……」
「アステル・ストーム」
遮られて、びく、と肩を揺らすアステルに、顔を向けないまま。
「悪魔より先に、お前の口を氷漬けにしてもいいんだぞ」
ノアが冷ややかに告げていた。アステルはそれを聞いて、「も、申し訳ありません、殿下……」と気まずそうだった。
案外仲良くなりそうだな、この二人。
よかったよかった、と思いつつ周囲を見回す。
ノアが明るくしてくれたからなんとなくわかるが、暗がりの中。周囲の空気が蠢いているのがわかる。もしもこの光の元から離れてしまえば、一寸先は暗闇と化していた。
偽魔具の中は物によって違うが……中は本当に真っ暗だな。
周囲を見回しながら歩を進めていると、ふと啜り泣く声が聞こえた。
「こ、ここはどこなのぉ……っ」
この声は……。
ノアが光の玉をひとつ、そちらの方向へふよふよと漂わせれば地面に蹲って震えている猫目ボブがいた。
「ハンナ……?」
アステルが声を掛ければ、「えっ……アステル・ストーム?」と顔を上げた。
「の、ノア様に……アリア・マグライアまで……!」
「おい、他のやつらは? 一緒じゃないのか?」
「し、知らないわよっ」
アステルに質問され、べそをかきながら首を振る。
「黒い変な靄に身体を掴まれたあと、なんとか魔法で切り離したら……こんな真っ暗なところに落とされちゃったのよ……」
「もうやってられないわ!」と喚くようにして猫目ボブは言う。
必死だっただけかもしれないが、あの場面で瞬時に靄だけ切り離したのか……。憎たらしい女だが、コントロール能力に長けているし、魔法のセンスはやっぱりあるのだろう。
「ひとつ訊ねたいんだが、あのクリスティーナという女が持っていたブレスレットは、いつから身に着けているものかわかるか」
「ブレスレット? なんでそんなことを。アリア・マグライアなんかに答えなきゃ……」
「良いから答えろ。じゃなきゃ、ここから一生出られず」
「死ぬぞ」と、私がはっきり告げると、猫目ボブはびくっと肩を揺らして、「あ、あのブレスレットは……」とおずおずと言葉を続けた。
「いつから身に着けているかは、わたくしだって知らないわ……ただ、死んだおばあさまの形見の魔具だと……。それは、あなたが盗んだ時にも言っていたじゃない!」
「……ということは魔具に悪魔が憑りついたタイミングはよくわからないな」
猫目ボブの前にしゃがみ込むと、「な、何よ」とその眉根が寄った。
「ちなみにアリアが……その時の私は何か言っていたか?」
「はあ? 何を言ってるのよ。アリアはあなたじゃない!」
「頼むから、覚えていることを教えてくれ」
「だから、どうしてそんな意味の分からないことをしなきゃならないのよ!」
ああ、もう。ここでまごまごしている暇はないんだが、と思っていると、ノアが「気持ちはわかるが」と口を挟んだ。
「皆が助かるために、あなたの協力が必要なんだ。もしよければ教えてくれないか? その時、マグライア嬢がなんと言ったのか」
「の、ノア様……! そんな、あなた様がそこまでおっしゃるなんて……」
ぽっと頬を染める猫目ボブに、おお! と思いながらノアを見ると、しらーっとした目で、『早く聞け』と言わんばかりの圧を向けてきた。なんという扱いの差か。
「えっとそれで、猫……ハンナ……様。その時のことを教えてくださいますか?」
「まあ、そうね。あの時のアリア・マグライアは〝このブレスレットを調べようとしたんです……何やらよくない感じがして〟とかなんとか言っていた気がしますわ」
いつもの調子でハンナが告げる。何やらよくない感じ……か。
アリアは気づいていたのか……? あの魔具が、偽魔具であることが。
でもどうしてだ? 見た目だけではわかりづらい、良く出来た偽魔具だ。
それなのに……まさか、アリアは見ただけで違和感を抱いたのか?
「どうせ、盗まれたのがバレたから言い訳をしていただけなんでしょうけれど」
嘲笑するように告げて、「でしょう? アリア・マグライア」と猫目ボブは私を見た。
「聖女候補第一位が、盗人だなんて教会にバレたら大事だものね。ヘスティア様に気に入られて後押しされているから、一位をキープできているんでしょうけど……それも今の内」
「……」
「あの方があなたの本性を知ったら、きっと聖女候補から外すに決まってるわよ!」
おほほ、と笑う猫目ボブ。
……この女、そのヘスティアが私だと言ったら、どんな顔をするだろう。
いっそ、ここで正体を明かしてやっても……。と、そこまで考えたところで、頭の中のフェンリルが『いけませんよ』と言っているような気がして、ひとまず考えを改めておいた。
「小賢しい人なんて、あの方はお嫌いでしょうから」
猫目ボブめ、お前が言うな。
「……まあまあ、ハンナ様」
表情を切り替えるようにしてにっこりと微笑む。
「口は災いの元、とはよく言いますが、ハンナ様はその言葉の意味を覚えておいた方がよろしいかもしれませんよ。いつかきっと後悔するでしょうから」
うふふ、と告げると、猫目ボブは「はあ?」と訳が分からなそうに眉根を寄せていた。
すると、ふと「おい、あれって……」とアステルが息を呑んだような声を上げた。
「……アリア! あそこ! なんか見えるぞ!」
少し先にいたアステルが前方を指差しながら叫んでいた。私も立ち上がりすぐにそちらへ向かうと、猫目ボブの取り巻きたちが真っ暗な空間に横たわっている姿が薄っすらと浮かび上がった。
「ま、マリー!? ケイティ!?」
同じく立ち上がった猫目ボブが叫ぶ。そんな名前だったのかと思うと同時に、そんな彼女たちの中心に誰かが立っていた。




