悪魔の住処
「……うるさい、誰が呼び捨てにしていいと言った」
ふん、と不愉快そうに告げるノアに、「はいはい、悪かっ……」と言いかけて、いや違う、と顔を上げた。
「って、そうだ、あのブレスレットは!?」
「ブレスレット? あの女がつけている魔具か。さっきは聞こえづらかったから、まだ……」
「何……」
はっとしながら、急いでクリスティーナを見る。彼女は黒い靄に包まれるようにして、がくりと床に膝を付けていた。
まるで生気を失ったような目をしている彼女へ、猫目ボブが「あ、あなた……! どういうつもりなの!? こんなことをしてただで済まないわよ!?」と怒鳴っている。
「今日のことはお父様に報告して……」
「おい、そいつから離れろ!」
「きゃっ!? 何なのよ!? って、あ……アリア・マグライア!?」
私が服を引っ張れば、転びながら後ろに下がった猫目ボブが「いきなり何よ!?」と叫んでいる。
猫目ボブを中心とした女たちを背にしながらクリスティーナに構えると、ノアが私の視線を追うようにして目を見張った。
「一体、なんだ。あの量の瘴気は……」
「ノア、あれが見えるなら頼む。お前、こいつらを連れて早くこの場から……」
逃げろ、と言いかけたその時、「アリア!」と後ろから息を切らしたアステルが駆け寄ってきた。
「やっと追いついた……いきなり身体を飛ばせって言うから何かと思っただろ!?」
「アステル! 馬鹿お前、なんでついてきたんだ!」
「はあ? なんでってそりゃ、あんないきなり……!」
アステルがそう言いかけたその時、ぞわっと鳥肌が立つほどの瘴気が一気に私たちを取り囲んだ。
「きゃあ!?」
「この靄は何なの!?」
周囲の者たちを含めて、靄が周囲を囲もうとした瞬間、それを断ち切るようにして手から光を放てば、ノアがはっとしたようにこちらを見た。
「ノア、端的に言う。あの女がつけているブレスレットは魔具じゃない! 偽魔具だ!」
「偽魔具って……」
通常の魔具は、持続魔法を補助してくれる代物が多い。あるいは、魔術を施し、お守りのように持つ者や、魔力をストックさせるタンクのように扱う者もいる。
もしくはフェンリルのくれたこのピアスのように、自身の魔力を遠隔で送り続けることで、持ち主の魔法を他者へ干渉させたりすることもある。つまり用途は様々だ。
しかし、偽魔具は違う。偽魔具は、いわば悪魔の住処だ。
悪魔のとりついた魔具には、魔力を増幅させ制御不能にさせてしまうという力が宿ってしまう。
そして、魔力の限界を超えた力を引き出したのち、悪魔がすべてを食ってしまう。それを偽魔具、別名、禁止魔具とも呼ばれる。
偽魔具は普通の魔法師じゃ扱いきれないほどの大きな力となり、のちに災厄を齎すと言われているのだ。
「そんなもの、市場に出回るはずが……」
「疑うのもわかるが、時間がない。私はあれを破壊する。お前は、私とあの娘を閉じ込める壁を作ってくれ。できるだろう?」
「は……」
「誰も死なせたくないのなら、四の五の言わずに手伝ってくれ!」
急いで告げながらクリスティーナに近づこうとした瞬間、「『近づくな』」と 彼女の声とは言い難い声音で告げた。
「『これ以上近づけば、この娘を食い殺してやる』」
「お前、その偽魔具にとりついた悪魔だな……?」
だとしたら、首を切る必要がある。しかしここではあまりに人が多すぎる。
悪魔の血は物体を溶かす死酸で出来ている。周囲に当たれば大惨事だ。……相手はそれほど強さのある悪魔じゃないのに。
「『その神聖力をこれ以上、こちらに近づけるな』」
「……そんな弱気なことを言うのであれば、最初からこんな場所で暴れるな」
呟きながら、周囲を見る。しゅるっと手のひらに軽く風を集めれば、私の髪やスカートの裾が揺れた。
仕方ない、これは些か強引だが……一瞬で周りの人たちと空間を隔てたい。
ふと自身の服が揺れたからか、アステルが「風……?」と足元を見た。
そよ風だったそれは円を描くようにして、段々と強さを増していく。
「こ、この風……どこからっ」
「っ、身体が押されるっ!?」
物が飛び、野次馬でこちら側に寄っていた生徒たちの身体が離れていく。瞬間、「ノア! 今だ、氷の壁で私たちを囲め!」と叫べば、一瞬で状況を理解したノアが急いで床に軽く触れた。
そして瞬時に氷の壁を作っていく。すると、「『させるものか!』」と瘴気が猫目ボブや周囲にいた女子生徒の身体を掴んで、宙に持ち上げた。
「きゃあああっ!?」
悲鳴が上がる。くそ、と舌打ちをしながら、急いで光を放ってそのまま靄を切ると、クリスティーナの身体が、仰け反るように揺れて、ブレスレットのついた腕がぶらりと揺れた。
と、同時に液体のように変異した瘴気が、一気に私やノアを呑み込んでいく。
「アリア!」
私に向かって手を伸ばしたアステルもまた、その暗闇の中に呑まれていった。
「えっ、の、ノア様は……?」
「せ、先生方……今のって……!」
ホールに残された生徒たちは、私たちが黒い靄に呑まれていく光景をただ、唖然と見つめていた。
――ぽつん、と水が落ちる音がする。
「うっ、うぅっ」
女の子の泣き声だ。
「わたし、髪はばさばさの赤毛だし、肌だってこんなにそばかすだらけ……だから、女の子らしくないって、可愛くないって……そう言って、みんながいじめてくるの」
「……まあまあ、わたしの可愛い天使。そんなに悲しそうに泣かないで」
優しい老女の声もする。
これは、この声は一体。
一体――――。
はっとして顔を上げると、「アリア! おい! 大丈夫か!?」とアステルが私の腕を揺らしていた。
急いでそちらを見ると、焦った様子のアステルがいる。
私、今、立ちながら寝ていたのか……? 何をやっているんだ。こんな時に。
急いで周囲を見回すと真っ暗な空間を照らすようにして、光の玉がいくつか飛んでいた。
アステルか……? いや、これは。
「やっと気づいたのか」
少し先にいるノアが振り返って、こちらを見た。
……ノアの魔法か。
「ああ、悪い。二人とも……助かっ……」
た、と言いかけてはっとする。
「って、なんでお前たちまで呑み込まれてる! ここがどれほど危険な場所か……」
わかってるのか!? と、言いかけた瞬間、
「お前が」「アリアが」
「「言うな(よ!)」」
そう声を揃えたノアとアステルが顔を見合わせる。
二人とも何か言いたげだが、私の意識が遠のいていた間、大した言葉を交わしていなかったのだろう。非常に気まずそうな顔をしていた。




