飛び降り事件
◇
「見て、また登校してるわ……」
「あの子、ラヴィアン様やセレーナ様に喧嘩を売ったんでしょう?」
「しかも食べ物までぶつけて、酷いことばかり言ったそうよ」
「それで謝罪をしなかったんですって!」
「まあ、本当に信じられないわね」
「……」
今更だが、私の行いはアリアの評判が連動している。
悪いことをした覚えはないが、やること成すことこうも否定的な意見に呑まれてしまうとは。
何故だ。アリアがいくら嫌われていようと、大多数の意見がここまで一致することなどない。誰かが意図的に、アリアを陥れようとしているとしか……。
『その可能性はあるでしょうね』
足元を歩いていたフェンリルがさらりと付け足す。
『同調現象というものはありますが、不利な立場の人間に同情する少数派は存在するものです。それでもアリア・マグライアに近しい人間が、アステル・ストームだけというのも違和感を抱かざるを得ません』
『アステルか……』
アステル・ストーム。ここまでアリアの友人かと思っていたが、どうしてこいつだけがアリアの友人として上手くやっているのかも、未だ理由が聞けていない。
猫目ボブに、カス婚約者と、それから嫌味なあの女……。
どいつもこいつもアリアのことを敵視しているというのに、ずっと泳がされている気分になるのは何故なのだろう。
はあ、と頭を抱えようとしたその瞬間。
「きゃあああっ!?」
悲鳴が聞こえて、顔を上げる。
「誰かっ! 先生を呼んできて!」
「建物から人が落ちてきたって!」
「なんだ……?」
フリューゲルの建物の近くにある植え込みに生徒たちが集まっている。
「何をしているんだ、あれは」
『人が落ちてきたってことはもしかして……飛び降りですか』
「飛び降りだと……?」
一瞬、アリアの姿が目に浮かんで「おい」とその人だかりに声をかけた。
「一体何があった」
「え……っ」
「その生徒は上から落ちて来たのか」
「あ……アリア・マグライア?」
「上から落ちて来たのかと聞いている」
「っ、知らないわよ! いきなり声をかけてこないで!」
「ぅ、うう……っ」
見知らぬ女子生徒がそう答えたと同時に、倒れている生徒は苦しそうに呻き出す。
その震える身体には、おかしな瘴気が纏わりついていた。
「……これは」
『魔力が暴走していますね』
フェンリルが私の肩に乗り、じいっと倒れている生徒を見る。
『正確には体内で逆流していると言ってもいいでしょう。酸素と同じく、魔力は常に体内を循環するものですから』
「……おい、お前たち。退けろ」
「あ、ちょっとっ、何……!?」
野次馬のためだけに集まっている生徒たちの肩を押して、私はその生徒の前に座り込む。
『助けるんですか』
「聞こえるか、おい」
フェンリルの声を無視して、生徒に声をかける。「ぅぐっ」と首を掻きむしる様にして苦しむだけで、特に何も答えなかった。建物の高さがなかったからか、それとも植木に落ちたからか。外傷があまり見当たらない。
枝で擦り切れた肌に血が滲んでいるくらいだ。
『ヘスティア様、まさか魔力の流れを操る気ですか? さすがにフリューゲルの生徒では、そのような魔法は使えません。偽物だとバレてしまうかもしれませんよ』
「構わない」
苦しんでいる者が目の前にいるのに、助けない方がおかしな話だ。それにアリアもきっと助けた方がいいって言うだろうからな。
手を翳したと同時に「どうされたんですか、皆さん!?」とそこにやってきたのはユーリッヒだった。
「先生! こっちです、あの生徒が校舎から落ちて……」
「……もうすぐ授業が始まります、生徒の皆さんは校舎へ戻ってください! 直に他の先生方もやってきますので……」
そう言いながら、こちらにやってきたユーリッヒは、私の隣に座りながら、「ほらあなたも……って、マグライアさん!? 何故あなたが……」と眼鏡をかけ直しながら驚いていた。
私は軽くアリアらしく微笑んだ後、すぐに真顔になって、倒れている生徒を指差した。
「驚いている場合じゃありません。さっさと処置してください」
「あ、ああ、そうですね。ここではちょっと人目がありますから、一旦、壁を作らせていただきます」
ユーリッヒはそう言うと、生徒の身体を障壁魔法で囲み、周りの生徒から見えないようにした。……案外、さらっと魔法を使うんだな。
『フリューゲルの教師ですから、この程度はできて当然ですよ』
フェンリルの言うとおりだが、こんなに静かに魔法を使うとは。
意外な印象を受けながら私は「先生」と言葉を続けた。
「この生徒、魔力の流れがおかしいんです」
「え? あ、ああ……そうなんですか?」
「はい。ですが、そもそも高いところから落ちたそうなので、とりあえず身体的な治癒魔法もかけてあげてください。出来るだけ、魔力の流れを戻す魔法と同時に」
「同時ですか? それはさすがに……」
「魔力学の先生なのですから、やれますよね」
「え……」
「無理なら手伝いますけど」
「い、いやいや、そんなマグライアさんは生徒なので、それは……!」
首を振りながら、立ち上がるユーリッヒ。それに合わせて立ち上がりながら、私は「そうですか」と答えた。
「そうやって健康な生徒は気遣うのに、倒れている生徒への最善は違えるんですね」
「! そ、れは」
「……まあ、これだけの障壁が作れるなら、治癒は容易いか」
ぼそりと呟くと、「え?」とユーリッヒは首を傾げた。
「では先生、力の出し惜しみなんてしていないで、よろしくお願いしますね」
「…………」
にっこりと微笑んで、野次馬生徒たちの間を抜けて歩いていく。
『おや、案外あっさり引くんですね』
『息もあったからな。魔力の流れさえ整えれば、あれは軽傷だ』
『それより』と、私はその近くにいた適当な生徒の肩を掴んだ。
「そこのお前、あの生徒はどこから落ちてきた」
「なんだよ……って、アリア・マグライア!?」
機嫌悪くこちらを睨んだ素行の悪そうな生徒が、びっくりしたように私を見下ろした。
「ええ、アリア・マグライアです。で。どこから落ちて来たか、教えてもらえるかしら」
「こっ、校舎の三階だって、みんな言って、るけど……?」
びくびくしながら、気圧されるようにそう答える。
「そう、ありがとう」
にっこりと微笑むと、相手の顔は『なぜ今答えてしまったんだろう』と困惑していた。
『生徒が落ちて来た場所を調べるんですか』
『見ておいた方がいいだろう』
『思えばアリア・マグライアも飛び降りでしたから、確かめる価値はありそうですね』
『……そうだな』
飛び降り。未だに納得いかないが、現状それ以外に言えないことがもどかしい。
階段を上がり、三階へ向かう。
生徒が落ちた角度を思うと、この教室の窓から落ちたのか。
開きっぱなしの扉から中を覗き込むと、劇場型の教室には多くの肖像画と楽器がずらりと壁に飾ってある。
そして、その広々としたフロアには真ん中にぽつんと大きなグランドピアノが置いてあった。
窓から風が吹き込んで、レースカーテンを揺らしている。
「音楽を扱う教室か……」
『その窓から落ちたということですか』
窓の近くまでやってきて、開いた窓から下を覗き込むとユーリッヒの作った障壁が見えた。
『争った形跡は特になさそうですね』
「……自ら落ちたのか」
フェンリルが窓枠に乗りながら、『可能性は高そうですが』と答える。
『誰かがそう仕向けたということもあります』
「何のために?」
『さあ。ただ、こうも立て続けに同じような出来事が起きるのも妙だとは思いまして』
「……だとしたら、アリアも……」
「アリア?」
はっとして振り返ると、入り口の近くでこちらを見ている男の赤茶髪が揺れた。
「びっくりした、なんでこんなところにいるんだよ」
「……アステル」
なんで、はこっちの台詞だ。
どうしてお前がこんなところにいるんだ。




