第7章:アメリカ、鉄の馬車と米の嵐に翻弄される
1854年春、アメリカ合衆国、東海岸。
ペリー提督が結んだ協定が議会で承認されてから数ヶ月。日本の使節団が去った後、ニューヨーク港には次々と巨大な船が到着し始めた。船から降ろされるのは、現代日本の「自動車」「機械」「電子機器」――そして、アメリカの産業界は未曾有の激震に襲われた。
ニューヨーク港に山積みされた荷物の中から、最初に現れたのは「自動車」だった。馬なしで動く鉄の馬車は、市民の目を奪った。
「これが日本の『トヨタ』だ! 1台たったの50ドル!」
日本の商人が叫ぶと、群衆が殺到した。馬車職人のジョン・スミスは、呆然と呟いた。
「50ドル? 俺の馬車は製作に3ヶ月かかるのに、100ドルでも売れねえ…こいつらは何だ?」
自動車は速く、丈夫で、燃料さえあれば馬より安上がり。東海岸の街では、馬車が次々と姿を消し、道は「トヨタ」や「ホンダ」で埋め尽くされた。
次に流入したのは「機械」だ。工場用の織機や農作業の「トラクター」が、南部の綿花農家や北部の工場に持ち込まれた。
「この織機、1日で俺の10倍の布を織るぜ!」
工場主が驚く一方、従来の職人たちは失業の危機に瀕した。
さらに、「電子機器」と呼ばれる謎の箱が市場に溢れた。ラジオや電卓の原型のようなもので、商人たちはこう宣伝した。
「これで計算が一瞬! 貴方の仕事を楽にします!」
だが、使い方を理解できない者も多く、街角では「呪いの箱だ!」と叫ぶ声も聞こえた。
一方、協定によって、アメリカからは大量の資源と農作物が日本へ輸出され始めた。綿花、木材、トウモロコシ、小麦――日本の船が港に停泊するたび、山のような積み荷が運び出された。
南部ジョージアの農家、トマス・ブラウンは困惑していた。
「日本が綿花をこんなに買うなんて…でも、値段が安すぎる。1ポンド50セントじゃ儲からねえよ!」
日本は無関税で大量購入するが、価格交渉の主導権は完全に日本側にあった。農家は生産を増やさざるを得ず、疲弊していった。
北部のペンシルベニアでは、木材業者が同様の悩みを抱えていた。
「日本の船が毎週来る。木を切るのが追いつかねえよ。しかも、1立方フィートでたったの2ドルだ!」
日本は資源を安く買い叩き、逆に高付加価値の商品をアメリカに押し込む。この貿易の不均衡が、産業界に波紋を広げた。
南部の綿花産業では、日本の織機が流入し、手作業の綿花加工が時代遅れに。農家は輸出量を増やすが利益は減り、奴隷労働への依存がさらに強まった。一部の農家は「日本の機械を買えば楽になる」と導入を始めたが、高価な燃料と維持費に苦しんだ。
「奴隷より機械の方が金がかかるなんて…!」
怒りの声が上がる一方、進取的な農家は日本の技術に適応し始め、産業構造の変化が兆した。
北部の工場では日本の機械が従来の設備を駆逐。生産効率は上がったが、熟練工が不要になり、失業者が街に溢れた。
「俺の仕事が鉄の箱に奪われた!」
職人たちのデモが頻発する一方、工場主たちは日本の「ラジオ」を使い、情報伝達を効率化。新しい産業が生まれる兆しも見えたが、混乱は収まらなかった。
馬車産業は壊滅的打撃を受けた。ニューヨークの馬車職人組合は抗議したが、市民は安価な自動車に夢中だ。
「馬が要らねえなんて、俺の人生どうなるんだよ!」
運輸業の一部は日本のトラックに切り替え、物流が高速化した。しかし、燃料供給が追いつかず、港は混乱状態に。
小売と市民生活では日本の電子機器や日用品が店頭に並び、価格競争が激化した。従来の商人たちは「日本の品物が安すぎて商売にならん!」と嘆いたが、市民は歓迎した。
「この『電卓』ってやつ、帳簿が一瞬で終わる! 日本様々だぜ!」
生活水準は向上したが、アメリカ産の商品が売れず、経済の依存度が日本に傾いた。
議会では、再びペリーへの批判が噴出した。
「提督の協定が我が国を滅ぼす! 日本に経済を乗っ取られたぞ!」
だが、日本船の来訪と飛行機の威圧を見た議員たちは、こう呟くしかなかった。
「逆らえば戦争だ。日本を敵に回すより、受け入れるしかない…」
街では、日本の商品に熱狂する若者と、失業に苦しむ労働者が対立。ニューヨークの酒場では、こんな会話が飛び交った。
「日本の『トヨタ』に乗ってみな、馬車よりずっと楽だぜ!」
「ふざけんな! 俺の仕事がなくなったのはそのせいだ!」
ペリーの耳に届く波紋
遠く日本にいるペリーのもとにも、アメリカの混乱が伝わってきた。田中が笑いながら言った。
「提督、貴方の国が賑やかですね。まあ、慣れれば繁栄しますよ」
ペリーはコーヒーを手に、苦笑した。
「我が国の未来を、この小さな杯に預けた気分だ。日本よ、頼むから我々を呑み込むなよ…」