第5章:提督の報告と波乱の予感
1853年7月11日、浦賀沖。
私は、マシュー・カルブレース・ペリー、アメリカ海軍提督として、東京での驚くべき体験を終え、旗艦サスケハナに戻った。甲板に立つと、黒船艦隊の帆と蒸気機関が懐かしく感じられたが、同時に、それらがこの日本の前ではまるで古玩具のように思えた。
部下たちが不安げな顔で私を迎える中、私は深呼吸し、こう切り出した。
「諸君、我が日本との交渉は成功裡に終わった。だが、この国は我々の想像を超える存在だ。聞いてくれ」
副官のトンプソンと水兵たちが甲板に集まり、私は東京での出来事を話し始めた。
「まず、彼らの都、東京だ。鉄とガラスでできた塔が空を突き、1300万人が暮らす。鉄の馬車――いや、『車』と呼ばれるものだ――が道を埋め尽くし、空には『ヘリコプター』なる機械が飛び交う」
トンプソンが目を丸くして尋ねた。
「提督、それは魔術ですか?」
「いや、科学だ。彼らはそれを日常と呼ぶ。そして食い物も驚異的だ。『おにぎり』なる米の塊は、海苔の風味が絶妙で、たった1ドルで手に入る。『カップラーメン』は湯を注ぐだけで麺とスープが出来上がり、船旅の補給がどれほど楽になるか!」
水兵の一人が呟いた。
「1ドルでそんな食事が? 我々なら干し肉しか食えませんぜ…」
私はさらに続けた。
「彼らの娯楽も異常だ。『秋葉原』なる場所では、動く絵――『アニメ』だ――に若者が熱狂し、奇妙な人形が売られている。『カラオケ』では、機械が音楽を奏で、私が歌えば声が響き渡る。我は『スウィート・ホーム・アラバマ』を歌ったぞ!」
甲板に笑い声が響いたが、トンプソンは眉をひそめた。
「提督、その国は我々をどうする気です? 交渉はどうなったのです?」
私は表情を引き締め、核心に触れた。
「それが問題だ。諸君、我々は日本と協定を結んだ。だが、その内容は…我が国の常識を覆すものだ」
私は外務省からもらった書類を広げ、説明を始めた。
「この『CPTPP』なる協定は、関税をほぼゼロにし、自由な貿易を求めるものだ。彼らは我が国の綿花や木材を無関税で欲し、その代わり『自動車』や『電子機器』なる物を我々に送ると言う」
水兵の一人が首をかしげた。
「『自動車』って何です?」
「鉄の馬車だ。馬なしで動き、人を運ぶ。彼らの技術の結晶だ。だが、我が国にはそんな物を作る術がない。関税をなくせば、彼らの品物が我が市場を埋め尽くすだろう」
トンプソンが声を荒げた。
「提督! 関税なしでは我が国の農民や職人が潰れます! 何故そんな協定を?」
私は苦笑しつつ答えた。
「諸君、彼らの力を見たのだ。海上自衛隊の『あたご』なる船は、我が艦隊を一瞬で沈める力を持つ。逆らえば、我々は帰れぬ。本国から日本を開国せよと全権を委ねられた私は、この協定を結ぶしかなかった」
甲板に沈黙が広がった。やがて、トンプソンが呟いた。
「提督、我々は日本に屈したのですか?」
「屈したのではない。生き残る道を選んだのだ。だが、この協定が本国にどう受け取られるか…それは私にも分からぬ」
その夜、私は艦長室で一人、航海日誌にペンを走らせていた。
「日本との協定は結ばれた。だが、この国の力と富は我が国を凌駕する。関税ゼロの貿易が始まれば、南部の綿花農家は安価な輸入品に押され、北部の工場は未知の『電子機器』に困惑するだろう。議会は私を英雄と呼ぶか、売国奴と罵るか…」
窓の外を見ると、東京の光が遠くに輝いている。あの都市の繁栄が、アメリカに何をもたらすのか。私の決断が正しかったのか、それとも歴史を狂わせたのか。
ふと、机に置いた「スターバックス」のカップが目に入った。あの苦くて心地よい「コーヒー」の味を思い出し、私は小さく笑った。
「少なくとも、この飲み物は我が国に広めたいな…」
同じ頃、東京では外務省の田中が報告書をまとめていた。
「ペリー提督、協定に署名。米国との貿易開始は順調に進む見込み。ただし、1853年のアメリカにCPTPPは時期尚早か。反発が予想される。対応策を検討中…」
彼の手元には、アメリカ議会での混乱を予見する報告が届き始めていた。