第21章:欧州、栄光と没落の分かれ道
1858年春、欧州各地。
日本が欧州に接触し、植民地を持たない国々と友好関係を結んでから半年。オーストリア、イタリア、ドイツ、ノルウェー、デンマーク、スウェーデンといった「日本派」の諸国は、日本の技術と自由貿易で目覚ましい発展を見せていた。一方、イギリス、フランス、スペイン、ポルトガル、オランダ、ベルギーといった植民地を失った「反日本派」の諸国は衰退し、欧州内で格差が広がり始めた。
日本派諸国の発展
オーストリア
ウィーンでは、日本の「トヨタ」の自動車が街を走り、「ソニー」のラジオが家庭に普及。日本の機械が工場に導入され、鉄とガラスの生産が倍増した。市民は「カップラーメン」を手に、
「日本のおかげで暮らしが楽だ! イギリスよりずっと良いぜ!」
と笑った。皇帝フランツ・ヨーゼフ1世は満足げに、
「日本との交易で我が国が復興した。植民地など要らん!」
と宣言。オーストリアは経済的に飛躍し、欧州での地位を高めた。
イタリア
ローマやミラノでは、日本の「ホンダ」のトラックが農産物を運び、ワインとオリーブ油が日本に輸出された。日本の武器支援で軍が強化され、サルデーニャ王国のヴィットーリオ・エマヌエーレ2世は、
「日本のおかげで統一が近づいた! 我が国は強くなるぞ!」
と意気揚々。都市は繁栄し、イタリアは日本派の中心として輝き始めた。
ドイツ
ベルリンやハンブルクでは、日本の機械が工場を近代化し、鉄と石炭の輸出が急増。市民は「アニメ」に夢中になり、「スターバックス」のコーヒーが流行。プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム4世は、
「植民地がない我々が、日本でこんな繁栄を! 未来は我々のものだ!」
と誇った。ドイツは工業力で欧州をリードし始めた。
スカンジナビア諸国
ノルウェー、デンマーク、スウェーデンでは、日本の船外機が漁業を効率化し、魚と木材が日本に流れ込んだ。ストックホルムの市民は、
「日本の技術で仕事が楽だ! イギリスより日本と組むべきだ!」
と歓迎。経済が安定し、北欧は日本との絆で発展を遂げた。
反日本派諸国の衰退
イギリス
ロンドンでは、インド、アフリカ、カナダを失った影響が深刻化した。植民地の綿花や金がなくなり、工場が停滞。市民は失業に苦しみ、
「日本が我が帝国を潰した! どうやって暮らせばいいんだ!」
と嘆いた。政府は税収が減り、外務大臣パーマストンは、
「我が栄光は消えた…日本に勝てんのか?」
と絶望。イギリスはかつての覇権を失い、衰退の一途を辿った。
フランス
パリでは、西アフリカや中南米の喪失で経済が縮小。植民地の砂糖やコーヒーがなくなり、市民が暴動を起こした。ナポレオン3世は、
「日本が我が植民地を奪った。どう対抗すればいいのだ?」
と頭を抱えた。軍事力も維持できず、フランスは欧州での影響力を失った。
スペイン、ポルトガル、オランダ、ベルギー
マドリード、リスボン、アムステルダム、ブリュッセルでも同様に。フィリピン、東ティモール、東インド、コンゴを日本に奪われ、経済が破綻。スペインの市民は、
「植民地がなくなって金がねえ! 日本が憎い!」
と叫んだが、政府はなすすべなく、オランダやベルギーも没落した。
日本派の諸国が繁栄する一方、反日本派の諸国が衰退するにつれ、欧州内の格差が鮮明に。
ウィーンやベルリンでは、日本の技術で街が輝き、市民が豊かさを享受。対して、ロンドンやパリでは、失業と貧困が広がり、かつての華やかさが消えた。
ドイツの商人は、
「イギリスは落ちぶれた。日本と組んだ我々が勝ち組だ!」
と笑い、パリの労働者は、
「日本派が栄えてるのに、俺たちは飢えてる…何でだよ!」
と憤った。
列強間の会議でも、日本派が優位に。オーストリアの使節が、
「我々は日本と自由貿易で強くなった。植民地に頼る時代は終わりだ!」
と主張すると、イギリスやフランスは反論できず、黙り込むしかなかった。
東京で、田中は林に報告した。
「日本派の欧州諸国が発展し、反日本派が衰退。欧州の格差が我々の戦略を証明しましたね」
林は地図を眺め、笑った。
「植民地にしがみつく国は落ち、非植民地国が我々と共に昇る。次は南米か、それとも反日本派に最後のトドメを刺すかだね」
日本の勢いは欧州を二分し、世界の覇権をさらに固めつつあった。




