第20章:日本、欧州の扉を開く
1857年冬、欧州各地。
アメリカ大陸の制覇を成し遂げた日本は、次なる舞台として欧州に目を向けた。アジア、アフリカ、アメリカを手中に収めた2025年の技術と経済力を持つ日本は、植民地を巡る欧州列強に新たな挑戦を投げかけた。だが、そのアプローチは二極化し、欧州の勢力図に波紋を広げていく。
東京で、外務省の林美咲大臣と田中が新たな戦略を立てていた。
「アメリカ大陸は我々のものだ。次は欧州だよ。だが、植民地を持つ国は我々に敵対的だね」
林が地図を指すと、田中が提案した。
「イギリスやフランスは警戒するでしょう。だが、植民地を持たない国――オーストリアやドイツとは友好関係を築き、自由貿易で味方に引き込みましょう」
決定後、日本の使節団が欧州へ向けて出航。海上自衛隊の艦船と飛行機を伴い、圧倒的な存在感を示す準備が整った。
イギリス
ロンドンでは、日本の欧州進出の報に閣僚が震えた。外務大臣パーマストンは叫んだ。
「日本が欧州に!? アジア、アフリカ、アメリカを奪った次は、我が本国か!?」
インド沖での敗北とカナダの喪失で弱体化したイギリスは、日本の艦船が英仏海峡に現れる悪夢に怯えた。
フランス
パリでは、ナポレオン3世が眉をひそめた。
「日本がアフリカを握り、アメリカ大陸を制した。今度は我が植民地を狙う気か?」
西アフリカの失陥に続き、欧州での日本の動きに危機感を抱いた。
スペイン、ポルトガル、オランダ、ベルギー
マドリード、リスボン、アムステルダム、ブリュッセルでも同様の反応が。
「日本が我が植民地を奪った。今度は本国に手を伸ばすつもりか?」
スペインはフィリピン、ポルトガルは東ティモール、オランダは東インド、ベルギーはコンゴを日本に奪われ、恐怖が広がった。
これら列強は、日本を警戒し、防衛策を模索したが、インド沖の敗北を思い出し、武力対抗が無意味と悟った。
日本は、植民地列強を避け、非植民地国に積極的に接触した。
オーストリア
ウィーンで、日本の使節が皇帝フランツ・ヨーゼフ1世に会った。田中が提案した。
「我々と自由貿易を結びませんか? 貴国の鉄とガラスを我々が買い、自動車と電子機器を提供しますよ」
フランツは日本の「ラジオ」に興味を示し、
「イギリスやフランスより日本の方が魅力的だ。交易を結ぼう!」
と応じた。オーストリアは日本と手を組み、経済が活性化した。
イタリア
ローマでは、サルデーニャ王国のヴィットーリオ・エマヌエーレ2世が日本の「戦闘機」に驚嘆。
「これほどの力なら、イタリア統一に役立つ! 日本は我が友だ!」
日本は武器と技術を提供し、イタリアと自由貿易を確立。ワインとオリーブ油が日本に流れ込んだ。
ドイツ
ベルリンでは、プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム4世が日本の提案に目を輝かせた。
「植民地がない我々に、日本は手を差し伸べるのか? 鉄と石炭を売りたい!」
日本の「トヨタ」と医療品がドイツに普及し、自由貿易が始まった。
ノルウェー、デンマーク、スウェーデン
スカンジナビア諸国でも同様に。オスロ、コペンハーゲン、ストックホルムに日本の使節が訪れ、
「貴国の魚と木材を我々が買い、機械と商品を提供します。イギリスより我々と組みましょう!」
と説得。ノルウェーの漁師は「ホンダ」の船外機に感激し、
「日本のおかげで漁が倍だ! イギリスなんかいらねえ!」
と歓迎。スカンジナビアは日本と友好関係を結び、交易が拡大した。
日本の戦略は、欧州を二分した。
植民地列強は日本を敵視し、防衛会議を開いたが、
「日本と戦えば、またインド沖の二の舞だ…どうすれば?」
と具体策が見つからず、焦りが募った。
一方、非植民地国は日本との交易で繁栄。ウィーンの市民は「カップラーメン」を食べ、
「日本の物は安くて美味い! オーストリアは日本と組んで正解だ!」
と喜んだ。ベルリンの工場では、日本の機械が動き、生産が倍増。スカンジナビアの港は、日本の船で賑わった。
東京で、田中は林に報告した。
「欧州の非植民地国が我々に靡きました。列強は警戒するけど、手出しできませんよ」
林は地図を眺め、笑った。
「植民地を持たない国が我々の味方なら、列強を孤立させられる。次は南米か、それとも列強に直接圧力をかけるかだね」
日本の勢いは欧州に根を張り、世界の覇権がさらに近づいた。




