第2章:黒船提督、東京で立場を悟る
1853年7月8日、浦賀沖――いや、もはやそんな古臭い名前の場所ではないらしい。
私の眼前には、鋼とガラスでできた巨大な都市が広がっていた。案内された小さな舟に乗り、海上自衛隊の「あたご」なる鋼鉄船から上陸した先は、「東京」と呼ばれるこの国の首都だ。
マシュー・カルブレース・ペリー、アメリカ海軍提督。私の誇り高き黒船艦隊は、この未知の日本に呑み込まれつつあった。
舟から降りると、足元は石ではなく、黒々とした平らな道だった。触ってみると冷たく、まるで人工の岩のようだ。見上げれば、空を突く塔々が無数に並び、その間を奇妙な鉄の馬車が猛スピードで走り抜けていく。
「何だ、この喧騒は…?」
私が呟くと、先導する男――自称「外務省の田中」と名乗った男――が振り返った。
「提督、ようこそ東京へ。ここは日本の中心です。驚くのも無理はありませんが、落ち着いてくださいね」
彼の口調は穏やかだが、どこか私を子ども扱いしているようで癪に障る。
案内されたのは、「外務省」と書かれた巨大な建物だ。中に入ると、壁には光る板が埋め込まれ、奇妙な文字や絵が動いている。まるで生きているかのようだ。
「これが…文明なのか?」
私の背筋に冷たいものが走った。我が国のワシントンでさえ、こんな光景は想像もつかぬ。
会議室と呼ばれる部屋に通され、私は数人の日本人と向かい合った。田中という男に加え、もう一人、「外務大臣」と名乗る女が座っている。女が大臣だと? この国は狂っているのか?
だが、彼女――林美咲と名乗った――は鋭い目で私を見据え、英語で切り出した。
「ペリー提督、貴方の来訪目的は記録に残っています。1853年、日本に開国を迫るためですね。しかし、ご覧の通り、ここは貴方の知る日本ではありません」
私は胸を張り、威厳を保ちながら応じた。
「我がアメリカ合衆国は、この日本との通商を望む。貴国がどれほど奇妙な力を有していようと、我々の要求は変わらぬ。鎖国を解き、貿易を認めよ。それが文明国の務めだ!」
私の声は力強く響いた。黒船艦隊の威光を背に、強硬に交渉を進めるつもりだった。
だが、次の瞬間、田中が小さな箱を取り出し、何かを押した。すると、部屋の壁に巨大な絵が映し出された。それは、我が艦隊の映像だ。黒船が海上を進む姿が、まるでそこにあるかのように鮮明に映っている。
「これは我々の衛星が撮影した貴方の艦隊です。4隻、蒸気船と帆船の混成。武装は当時としては立派ですが…」
田中がさらに箱を操作すると、今度は「あたご」なる鋼鉄船が映った。その甲板には、見たこともない筒が並び、次の瞬間、海面に轟音と共に水柱が上がる映像が流れた。
「これは我々の主砲の一撃です。貴方の艦隊なら、一瞬で沈みます。ミサイルを使えば、貴方の祖国に届くことも可能ですよ」
田中の言葉に、私は息を呑んだ。林大臣が静かに付け加えた。
「提督、私たちは貴方を敵とはみなしません。ただ、貴方の立場はここでは通用しないのです。貴方の知る日本は消え、今の私たちがここにいます」
私の頭は混乱していた。
黒船艦隊は、この国では玩具に過ぎない。私の威厳も、交渉の力も、彼らの「衛星」や「ミサイル」とやらに比べれば無意味だ。この国は、我が国を遥かに超える力を持っている。
「ならば…貴国は我々に何を求めるのだ?」
私が声を絞り出すと、林大臣は微笑んだ。
「私たちは平和を望みます。貴方の国との交易も、条件が合えば可能です。ただし、対等な立場でね」
対等だと? 私は内心で笑った。対等どころか、この国に逆らうことすらできぬではないか。だが、ここで意地を張れば、艦隊も私も帰れぬまま終わるだろう。
私は深呼吸し、初めて頭を下げた。
「我が国は未熟だ。この日本の力を認めざるを得ぬ。ならば逆に、私からお願いしたい。貴国の門戸を開き、我が国との交易を認めてはくれぬか? 貴方の言う『対等』な形で」
田中と林は顔を見合わせ、頷いた。
「その姿勢なら話は早いですね。提督、貴方は賢明です。これから具体的な条件を話し合いましょう」
林大臣の言葉に、私は苦笑いを浮かべた。開国を迫るつもりが、開国をお願いする立場に落ちるとは。だが、この国の力を目の当たりにした今、もはや選択肢はそれしかない。