第17章:ペリー、再び日本へ
1857年春、日本、東京。
インド沖でのイギリス敗北から半年、世界を席巻する日本の勢いは止まらず、アメリカでもその影響が広がっていた。マシュー・カルブレース・ペリー提督は、再び日本を訪れる決意を固めた。自分が開国させた日本と、新たな交易と同盟を結び、アメリカをさらに高みへ導く――その野望を胸に、彼は船に乗り込んだ。
ペリーの艦隊が東京湾に到着した時、海上自衛隊の「いずも」が迎えた。艦上の田中が笑顔で手を振ると、ペリーは懐かしさと新たな決意を感じた。
外務省で、林美咲大臣と田中が彼を出迎えた。ペリーは胸を張り、提案を切り出した。
「諸君、俺が開いた日本は今や世界の頂点だ。アメリカは貴国とさらに結びつきを強めたい。新たな交易と、相互防衛条約を結ばん!」
林が興味深げに尋ねた。
「相互防衛条約? 具体的には?」
ペリーは地図を広げ、熱弁した。
「日本とアメリカが互いを守る同盟だ。貴国が我が大陸と大西洋に拠点を置けるよう、我が港と土地を提供する。逆に、アメリカは貴国の技術と軍事力を頼りに、世界での地位を固めたい!」
田中が笑い、頷いた。
「提督、面白い提案ですね。イギリスを破った我々に、アメリカが手を組む価値はありますよ」
林が補足した。
「我々が大西洋に進出できれば、欧州への圧力がさらに増す。アメリカの資材と我が技術で、互いに繁栄しましょう」
交渉は迅速に進み、数日後、歴史的な条約が結ばれた。
1857年5月、「日米相互防衛条約」が調印された。
条約の内容はこうだ:
・日本とアメリカは互いの防衛を約束し、共同で軍事行動を取れる。
・日本はアメリカ東海岸(ニューヨーク、ボストン)と大西洋に軍事・経済拠点を設置可能。
・アメリカは日本の技術と商品を優先的に導入し、日本はアメリカの綿花、木材、鉄を大量購入。
条約後、日本は即座に動き出した。ニューヨーク港に海上自衛隊の艦船が停泊し、戦闘機が上空を飛んだ。ボストンには日本の商社が進出し、「トヨタ」や「ホンダ」の工場が建設された。大西洋では、日本の船が貿易ルートを拡大し、欧州への足がかりを築いた。
田中は現地でこう宣言した。
「我々はアメリカと共に世界をリードする。欧州よ、覚悟しろ!」
条約のニュースは世界に衝撃を与えた。
ロンドンでは、イギリス政府がパニックに。
「日本が大西洋に!? 我が海軍がインド沖で敗れたのに、今度はアメリカと組まれた…終わりだ!」
外務大臣パーマストンは崩れ落ち、かつての「日は沈まない帝国」は完全に過去のものとなった。
パリでは、フランス皇帝ナポレオン3世が呟いた。
「日本とアメリカの連合は脅威だ。対抗するか、組むか…決断を迫られたな」
ロシアやドイツも同様に、日本の新たな動きに戦慄し、外交戦略の見直しを始めた。
清の咸豊帝は笑った。
「日本がここまでやるとは。我が味方で良かった!」
国際社会は、日本とアメリカの連合が新たな覇者となる現実を受け入れざるを得なかった。
アメリカでは、条約がさらなる発展をもたらした。
ニューヨークに日本企業の工場が立ち並び、「トヨタ」の自動車が市民の足に。ボストンでは、「ソニー」のラジオが家庭に普及し、アニメが若者を熱狂させた。商人たちは、
「日本の商品のおかげで儲かるぜ! ペリー様々だ!」
と歓喜。逆に、アメリカの綿花と鉄が日本に流れ、農家と鉱山労働者が活気づいた。
海軍は日本の技術を導入し、イージス艦の設計を学び始めた。将校たちは、
「これがあれば、イギリスなんぞ怖くない!」
と意気揚々。ペリーは軍に「戦闘機」のデモを見せ、
「これが未来の戦争だ。俺が日本からもらってきたぞ!」
と誇った。
街には「スターバックス」が増え、「寿司」が流行。ワシントンの議員すら、
「日本の飯は美味いな。会議の弁当にしたいぜ」
と笑った。アメリカは日本の影響をさらに受け、徐々に発展していった。
ペリーは東京で林と酒を酌み交わし、感慨に浸った。
「俺が開いた日本が、俺の国をこんなに変えた。悪くない人生だな」
林が笑い、グラスを掲げた。
「提督のおかげで我々もここまで来た。次は欧州か、アフリカか、世界をどう染めます?」
ペリーは頷き、呟いた。
「アメリカと日本で、世界の頂点に立つ。それが俺の最後の夢だよ」