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まだ恋ではない

作者: 夏野モエギ

 陽翔にはヒーローがいる。三つ年上の幼馴染である律だ。

 律は走るのもはやいし、陽翔が知らないことをなんでも知っている。

 それに五年生になった今ではぐんと背が伸びてからかわれることはなくなったけれど、それまでの陽翔はチビでよくいじめられていた。そんな陽翔をいじめっ子たちから助けてくれていたのも律だった。

 だから陽翔にとって律は強くてかっこいい憧れのヒーローなのだ。それは律が中学校に入学してからのこの二年、ほとんど会うこともなくなった今でも変わることのない事実だった。


「やっべえ」


 陽翔は、ガチャガチャとランドセルを鳴らして走った。もうすぐ五時のチャイムが鳴る。

 放課後のドッジボールが白熱しすぎて帰るのがすっかり遅くなってしまった。

 家までの道をショートカットするために公園を横切る。するとブランコに誰かが座っていた。

 セーラー服を着ているから中学生だ。うつむいているから顔はわからない。けれど、陽翔にはそれが律だとわかった。

 だってブランコのそばに置かれたスクールバッグには、陽翔が中学校の入学祝いで律に渡したウサギのキーホルダーがつけられていたから。


「律!」


 久しぶりに会えた喜びで陽翔は跳ねるようにして律に駆け寄った。

 律が顔を上げる。そのときつう、と涙が律の頬を伝った。

 それを見た陽翔は背負っていたランドセルを投げ捨てて、ブランコの柵を勢いよく跳び越えた。それから律の前にしゃがみ込んで、ズボンで拭ってからそうっと膝の上に置かれた律の手を握る。


「りっ律、どうかしたの? 誰かに、いじめられた?」


 それはよく陽翔が律にしてもらっていたことだった。手を握って優しい声で、目を合わせて心配をする。

 陽翔はそれを思い出しながら、なるべくゆっくり律へと問いかけた。


「……久しぶりだね、陽翔。大丈夫、なんでもないよ」


 ブランコの鎖を握っていた手で涙を拭うと律は弱々しく笑った。衝撃だった。

 陽翔にとっての律は強くてかっこいい、頼れるヒーローだ。それがこんなにも弱々しい顔をして泣いている。陽翔にとっては天変地異が起こるに等しい衝撃だった。


「で、でもっ」

「ほんとに大丈夫。彼氏にフラれただけだし」

「……かれし」


 またもや陽翔に衝撃が走った。

 彼氏というのは、好きな人ということだ。つまり律には好きな人がいたということだ。

 彼氏。好きな人。律。ぐるぐると同じ単語が頭を駆けめぐる。


「す、好きだったの?」


 律の手をぎゅうっと握って、陽翔の口から飛び出したのはそんな言葉だった。

 律が困ったように眉を下げる。それから迷子のような顔をした。


「うーん、好きになれたらよかった、のかな」

「好きじゃなかったってこと?」

「……そうだね。告白されて付き合ってみたけど、結局好きになれなかったの。それでフラれちゃった」


 また律が弱々しく笑う。けれど陽翔には理解できなかった。

 律は彼氏のことを好きじゃなかったと言った。それなのにどうして律は泣いているのだろう。

 律の気持ちがちっともわからなくて陽翔は唇を噛む。それを見た律が陽翔の頭を優しく撫でた。ひどく懐かしい感触だった。


「優しいね、陽翔は」

「おれ、律みたいに優しくないよ」

「……私も優しくないよ。だから、これから一生誰のことも好きになれないんだろうなあ」


 ぽつりと律が呟く。その暗い声音に陽翔は胸の奥がざわざわとした。それは、なんだか律の言葉ではないみたいだった。

 律の手を握る。大きかったはずの律の手は、今は陽翔と少ししか変わらなかった。

 息を吸って、吐いて。そうっと尋ねる。


「そう、言われた? 誰のことも好きになれないって、そんなひどいことを言われたの?」


 律が真っ黒な瞳をゆらゆらと揺らした。それから泣くのをこらえるように何度もまばたきをする。

 結局、律はなにも言わなかったけれど、それが答えだった。

 腹が立った。お腹の奥でぐらぐらとお湯が沸いているみたいだった。だって、そんなの律を傷つけるためだけの言葉だ。律はそんな言葉を投げつけられていい存在ではないのに。


「律、ちょっと待ってて!」


 陽翔は、ばっと立ち上がって公園の隅まで走る。そして目当てのものを見つけて引きちぎった。

 それから陽翔はまた走る。手にしているものを握りつぶさないようにしながら律のところまで必死に走った。


「りっ律! 手出して!」


 ぽかんとした律が陽翔に言われるがまま手を出した。その薬指に先ほど引きちぎってきたシロツメクサを結びつける。

 花の指輪も花冠も昔にこの公園で律とよく作っていた。くるくると指に巻きついた指輪を見て、陽翔がひとつ頷く。そして律の顔を見た。


「律、おれと結婚しよう!」

「え?」

「おれもうチビじゃないし、もっと身長伸びるし、ドッチもうまいし、律は絶対おれのこと好きになるよ!」


 陽翔はシロツメクサの指輪がついた律の右手をぎゅっと握った。

 父は母を守りたいと思ったから結婚したと言っていた。陽翔が今守りたい人は律だ。心ない言葉からも、傷つける人からも律のことを守りたい。

 今まで律にはたくさん、たくさん守ってきてもらったからその分も、それ以上もとにかくたくさん律のことを守りたかった。だから、律と結婚したい。


「おれが絶対に律を守るよ!」


 陽翔はまっすぐに律を見た。律がまばたく。

 それから律はくすくすと笑った。涙が出るほどに、たくさん笑った。


「なっなんで笑うの?」

「あはっ……ごめん、ごめん。うーん、陽翔がかっこよかったから、かなあ」


 涙を拭いながら律が言う。かっこいいという言葉に陽翔の頬が熱くなる。

 ふいに五時を知らせるチャイムが鳴った。


「あ、やべっ」

「もう五時か……陽翔、送っていってあげるよ」

「おれが律のこと送るから!」


 投げ捨てたランドセルを拾いながら陽翔が言う。

 そんな陽翔の頭を律が優しく撫でた。


「それはまだ陽翔には早いかな」

「じゃあ中学生になったら!」

「そのときには私は高校生だしなあ」

「……じゃあいつならいいの」


 唇を尖らせる陽翔に律はくすくすと笑った。

 律が右手を夕日にかざす。そして眩しいものを見るように目を細めた。


「……いつか、陽翔が私に追いついてくれたときかな」

「じゃあすぐじゃん。おれ、成長期だし」


 陽翔の言葉に律がまばたく。それからやはり、くすくすと笑った。

 夕日が二人を照らす。並んだ影がゆっくりと住宅街の方に向かって歩き始めた。

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