(あとがきにかえて)
鏡花の最初期、つまりあらかたの作風が決定される『照葉狂言』や『龍潭譚』が書かれる明治二十九年よりも以前の作品は、執筆された時期と雑誌に発表された時期がばらばらでひとまとめにはしにくいのだけれど、とりあえず言えるのは、その時点での全力をふりしぼって、多種多様な中短掌編を書きまくっていたということだろう。
なかでも、『冠弥左衛門』や『義血侠血』といった、ストーリー性が強くてまとまった量のある作品を除けば、物語を構成することよりも自身の可能性を試すことが目的のような掌編群に、充実期とは別の尖った印象があって面白い。そうして振り返ってみれば、バラエティに富んだ趣向のなかでたまたま書かれた『夜行巡査』が、これもたまたま観念小説というレッテルを貼られて注目を集めただけで、のちに芽を伸ばすことになるのは本作のような、むしろあまり読まれていない作品だと思えたりもする。
『五の君』のヒロインである香折姫は、純粋に高貴であるがゆえにその言動も作者の理想が勝りすぎて、一種のソシオパスにも見えかねなくて、そこをちょっとはらはらしながら読むことになる。香折姫がそのまま成人すれば、『芍薬の花』のお京や『由縁の女』のお楊、『女仙前記』のお雪、あるいは運命の流転によって『幻の絵馬』の和歌子にもなるのだろう。どのようなのちの人生を歩むにしても、その高潔さゆえに巻きこまれることになる血なまぐさい展開は、鏡花においては避けられない。
本作にはそんな、のちには花にも血にも彩られることになる聖なるヒロイン像の芽ばえともいうべきエピソードが綴られていて、あどけない少女時代を描くにあたっても、鯉を狙う鼬や、奇妙な虫の怨念、因業な屑屋のおやじといったビザールな要素が添えられるのが、出発点からして鏡花らしい。一方で各エピソードは緩やかに結びつくのみといった印象を免れず、いちばんの見せ場となるはずの姫様と屑屋の和解の場が省略されたのも、同じく技法的な省略が使われた、同時期の『外科室』ほどに劇的な効果を示すわけではない。屑屋の言葉や笑顔からして、家のなかでは、一人娘の雪を使用人に召し抱えたいといった話がされたのだろうか。
もう一つ、本作の冒頭に寺の門で老人が縊死したという逸話が置かれたのは、直後に書かれた『紫陽花』と同様の趣向で、両篇ともにその意図が謎めいている。物語に陰影を与えるようでもあり、発想倒れでもあるような気もするのだが、これはのちの作品で(たとえば『歌行燈』における膝栗毛のように)、冒頭に置かれた一見して無関係な逸話が、全体と深く結びつく、あるいは重要なことを暗示するといった、鏡花独特の作品構成に発展する、萌芽的な要素なのかもしれない。
『五の君』が書かれたのは鏡花がまだ擬古文で作品を書いていた時期で(言文一致の作品は明治三十年四月発表の『化鳥』が最初)、とはいえ表現自体が難しいところは多くはないのだが、現代語に置き換えるとなると自分がいちばんに戸惑わされたのは、使い慣れない敬語表現だった。ジュブナイルふうの語り口なので、以前アップした『勝手口』と同じく、です・ます体に直して書いてみたのだが、敬語の文末の収まりが悪く、おそらくおかしなところもあるのだろう、かなりむずむずしている。できれば原文のほうをお読みください。
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なお、舞台となった高崇寺は、鹿児島県に高崇寺跡として残る場所にあった寺と同名なのだが、徳川時代に菅氏という領主はいないようなので、名を借りただけの架空の寺ではないか。
また、四章の終わりで、姫が鼬から守った鯉のことを、女中が「あのめッかち(片目)の仙人」と言うことからは、柳田国男が『一目小僧その他』(昭和九年)に書いている、片目の魚が神に仕える者を暗示する話を思い出すのだが、鏡花と柳田國男が出会うのは数年後の明治三十一年頃のことで、晩年の『山海評判記』に至る縁の端緒がはやくもここに顕れている気さえする。
(了)