四
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姫はあまりのうるささに我慢ができず、先ほどから畳の上で羽を休めて身を縮めていた虫を、ひるむことなく指でつまむと、腰元に棄てよと差し出されました。
腰元は懐紙でおそるおそる受け取り申すと、ぎゅっとくるんでそっとねじって、
「嫌な虫ったらない! もう、もう、もう、二度と来てはなりませんよ」
と、池に面した雨戸を細く開けて、放り棄てました。
「もう大丈夫でございます」
「なんという虫?」
「さあ、存じませぬが」
「そう」
と一言だけお言い棄てなさると、姫はまたすぐに写経に熱中なさいます。
「あまり根をお詰めなさりましてはお体の毒になります。もうお休み遊ばしませんか」
「ああ」
「それではちょっと、お床を敷いて参ります」
と言って、腰元は退出しました。
しきりに鳴く蛙の声が遠く聞こえてもの淋しく、襖のたてつけがカタリと鳴って、雨の音がはらはらと激しく池の水面に打ちつけます。姫は文鎮を横に取りのけて、書写をしている紙をおずらしになりました。するとその下に、またあの虫がいたのです。どうやって、いつの間に入ってきたのか、ご覧になったところ、同じ虫なのです。
瞬き一つせずに見守りなさる姫の眉毛は逆立ち、みるみる怒りの表情を浮かべたお顔の色は蒼くなりました。だしぬけに虫の胴と頭を、それぞれ左右の指でつかんで、糸切り歯をキリキリと噛み鳴らし、唇をお震わせになっています。ものの弾みというのは恐ろしいもので、気がつけば虫の死骸はひっくり返って真っ黒な腹を見せ、もげてばらばらになった頭の髯がわずかに動いていました。
しばらくすると、水を、薬をと、上を下への大騒ぎです。その晩は、姫はずっと伏せっておりました。あくる日も、いつものご様子を取り戻せず、具合が悪そうにしていらっしゃるのを見て、医師も首をかしげました。看病をしていた腰元も心配でならなかったところ、ある女中がふと気づいて、こんなことを言いました。
かつて姫が鼬から救った鯉が、今もなお元気に泳いでいて、朝曇り、夕凪の折々に悠々と浮かび上がると、力強く水をひと掻きしては、藻をくぐって沈んでいくのですが、日ごと月ごとに大きくなって、このごろはもはや二尺以上に育っているようで、ただその片目が潰れているのは、鼬に歯をかけられた毒のせいだろうと女中たちは噂しておりました。思い当たったのはその鯉のことで、
「どうでしょう、あの虫の怨念を、鯉に食べさせてしまっては?」
と、困り顔をした使用人たちのなかで提案したのです。
「とはいっても、死骸なんてとっくに棄ててしまったんじゃないの」
「いいえ、ところがね、ちゃんと小物入れの引き出しのなかに、紙につつんで錠をかけてしまってあるの」
「あら嫌だ。まあ、なんだってそんなものを」
「それがね、こういうことなの。一度は棄ててしまったんだけど、姫様がどこに行った、どこに行ったと言ってお気になさいますから、棄てましたと申したらね、さあ大変。あそこにいる、ここへ来たと言って夢中でお騒ぎなさるもんだから、皆で相談をしてまた拾ってきたの。首だけがもげているのさ。あんなちっぽけな虫のくせに、またおかしなところからちぎれたもんだね。それであらためて姫様にお目にかけて、二度とお体につくことはありませんと申し上げると、すこしお気が休まりになったわね。そうして、あそこに入れて錠を下ろしておけとおっしゃるので、とにかくお心の休まるようにと、だいじにしまってあるの」
「そうとなったら、鯉に食べさせるのは名案ね。きっとご恩を返すでしょうよ。姫様は、あの片目の仙人にとっては、命の恩人でおいで遊ばすから」