一
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今も残る高崇寺の門は、その昔、閂に帯をかけて縊死した老人がいたことで県下に名をとどめています。
境内は広く、近隣の子どもたちの遊び場となっていましたが、日暮れ時には誰もいなくなってしまいます。物の怪が出ると、大人たちに威されていたからです。
その寺には、香折とおっしゃる姫が養われていらっしゃいました。人々は陰で尼君、尼君とささやいておりましたが、じつは旧藩主、菅氏の第五の姫であられました。
学校では八歳、九歳の子どもたちは男女を分けず、同じ教室で学んでいます。高貴な方だというので、皆は香折姫と距離を置いて、席が隣であっても話しかけたりはしませんでした。
ある日の習字の時間に、前の席に座っていた貧しい家の少年が、安物の墨があまりに堅いからといって、水に灰を混ぜて摺っていたのですが、当時は監生と呼ばれていた補助教員がそれを見つけて、大声で叱りました。その子が泣き出したのを見た姫は、かわいそうに思われたのか、ご自身がお持ちになった貴重な墨を与えたいとおっしゃりました。
けれどもその子は、
「いいえ、いいえ」
とすっかり気後れして、手を出そうともしません。困った姫は、傍らに控えた付き添いの腰元のほうをお振り返りになりました。
すると腰元は、
「それをお遣わしなさいますと、姫様が今日お使いなさる墨がなくなってしまいます。明日になさいまし、その子には、ほかのを持って来てやりますから」
と小声で言って、その場を取り繕おうとします。
姫は頭をお振りになって、
「二つに、わけて」
と強く訴えなさるのです。
「ま、そこまでなさらなくても。せっかくの墨をお折りになっては、もったいのうございます」
と、それでも腰元は言うことを聞きません。
「じゃあ、いいから!」
と姫様は語気を強めると、その場で墨の両端を持って、うんっと力を込めましたが、幼い腕の力では墨は折れませんでした。
腰元は何も言わずに、その様子を見守っています。
姫は隣の席の少女に向かって、
「折って、折って」
と言いながら、その墨を押しつけなさいましたので、少女はうなずいて受け取ろうとしましたが、腰元がそっと目配せをしたのを見ると、気後れして手を引っこめました。
するとどうしたことでしょう。姫はいらだちなさったご様子で、だったらこうしてやるとでもいうように、机の上に置かれていた、扇の形をした水晶の文鎮を手に取ると、墨を硯にもたせかけて、斜めになった真ん中を力を込めて打ちつけたのです。墨は三つに折れて、水晶の文鎮も半ばから砕け散ってしまいました。
腰元は、あきれ顔をしています。
姫は嬉しそうに微笑んで、折れた墨の一つを少年に、もう一つをお礼の気持ちからか隣の席の少女にお与えになりました。
それ以来、皆は姫とうち解けて、へだたりなくことばを交わすようになりました。
姫は不思議な御気性のお方で、それ以来、学校に持ってこられた墨はどれもこれも残らず、暇さえあれば打ち折って、二つにし、三つにし、四つにし、しまいにはそれ以上に小さく折って、お友だちに分け与えなさるのです。また逆に、濃い墨が固くくっつき合うことに気がつかれると、小さなかけらを一つ一つ継ぎあわせては丁寧に日に干して、固まるのを待ってからまた使うという習慣を身につけなさいました。