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 ルシエンヌは突如知らされた地方視察に出かけるクレイグを、複雑な気持ちで見送っていた。

 今までなら、クロディーヌから知らされたことにショックを受け、悲しい気持ちでいっぱいだったろう。

 実際、ショックは受けたが、その後にクレイグから伝えられたときには冷静でいられた。

 むしろ、ちゃんと本人から伝えてくれたことに感動したくらいだ。


 そして、始めにアーメント侯爵領へ向かうからと、クロディーヌが同行していることに、苛立ちはしても傷ついてはいない。

 クレイグとクロディーヌが一緒にいることを当然として受け入れればいいのだ。

 しかし、すり込みというか、習慣はなかなか消えないものである。

 クレイグが留守にしているとわかっていても、目が勝手にその姿を捜し、夜には隣の部屋の物音に耳を澄ましてしまっていた。


(なかなか切り替えられないものなのね……)


 ずっと『好き』の心を持っていたから、手放したつもりでもまだ残り続ける気持ちがある。

 ふた月ほどの視察から帰ってきたクレイグを目にして、きゅっと心臓を掴まれたように苦しくなるのはそのせいだろう。


「お帰りなさいませ。ご無事でのお戻り、何よりでございます」


 出迎えたルシエンヌは痛む心を抑えて、笑顔を作った。

 そんなルシエンヌを見て、クレイグはふっと笑う。


(笑ってくれた……!?)


 今の笑顔が信じられなくて、ルシエンヌは高鳴る胸を手で押さえた。

 だが、ルシエンヌの背後からクロディーヌが現れ、今の笑顔が自分に向けられたものではなかったのだと気づいた。


「殿下、お帰りなさいませ! 殿下ほどのお力をお持ちなら、ご無事であることはわかっておりましたが、それでもやはり心配はしてしまうものですね」

「――アーメント侯爵領の視察の際には世話をかけた」

「いいえ、殿下のお力になれたのでしたら、光栄です」


 アーメント侯爵領は幼い頃に両親と一緒に過ごした思い出の地だった。

 だが、両親が亡くなってからは一度も帰ることは叶わず、叔母もクロディーヌも今まで足を踏み入れたことはなかったはずである。


(力になれたのは、管理人のザカリーでしょ)


 心の中でクロディーヌに反論し、周囲がどう見ているかを気にせずルシエンヌはその場を離れた。

 妃としての義務は果たしたのだから、もうルシエンヌは必要ない。

『初恋』を忘れるために行動すれば、意外とつらくないものだとルシエンヌは心強く思った。


(まだ少し動揺はしてしまうけどね……)


 先ほどの痛みが引いていく胸をルシエンヌは何度か軽く叩いた。

 その背を見つめるクレイグの視線には気づかないまま、ルシエンヌは自室へと戻り、寝室の扉に目を向ける。

 クレイグが帰ってきたからには、また夜の営みは再開されるだろう。

 期待する気持ちと重荷に思う気持ちがひしめき合っている。


(こんな関係が続く限り、完全に恋心を消せることはないでしょうけど、でも子どもができたら……)


 ルシエンヌは絶対に我が子を愛すると、その気持ちを隠さないと決めていた。

 だから、我が子の命か自分の命かとの選択を迫られたとき、迷わず選ぶことができたのだ。

 クレイグに打ち明けなかったのは、自分を信用していないからだった。


 子どもを産んでくれと――死んでくれと言われるのが怖い。

 当然、ルシエンヌは子を産むと決めていたが、クレイグから言われてショックを受けたくはなかった。

 逆に、子どもを諦めてほしいと言われるのも怖いのだ。

 その言葉で自分が喜んでしまいそうで、それがルシエンヌは怖かった。


(……とにかく、私はあの子を産んで、生き延びたわ)


 ルシエンヌはベッドの中で賭けに勝てたことを喜び、ひとり笑った。

 まだ体を起こすことができなくても、我が子を抱くことを諦めたわけではない。

 アマンの指示に従ってここまで無事にいられたのだから、これからも頑張ればきっと我が子を抱ける。

 そう考えていたとき、アマンが部屋へと入ってきた。


「お加減はいかがですか?」

「ちょっと昔の夢を見ていたみたいだけれど、今は大丈夫よ」

「そうですか。では、このまま頑張っていただければ、未来の夢も見ることができますよ」

「ええ、わかっているわ」


 アマンの治癒魔法のおかげで、ベッドからほとんど起き上がれなくても、床ずれなどは起きていない。

 だが、刺繍ができるわけでもないので、リテに枕元で本を読んでもらうくらいしかできないのがつらかった。


「私、かなりよくなっていると思うんだけど、まだあの子には――レオルドには会えない?」

「残念ですが……。レオルド殿下はやはりかなり魔力が高いようでまだ安定していないそうです。ルシエンヌ様がお傍にいらっしゃると……触れなくてもお互いの魔力がさらに乱れることになるでしょう」

「レオルドは大丈夫なの? 魔力が安定しないなんて、まだ小さいのに苦しんでいるんじゃないかしら?」

「向こうの医師に聞いたところ、クレイグ様が――陛下がお力を補っていらっしゃるそうです」

「クレイグが? そう……。よかったわ」


 先代皇帝のベルトランのように、息子の魔力に嫉妬して嫌って遠ざけるのではなく、きちんと対処してくれていると聞いて、ルシエンヌはほっと安堵した。

 クレイグならきっとそうしてくれるだろうと信じていたが、何事にも絶対はない。


(やっぱりクレイグは優しい人だわ……)


 意に沿わぬ結婚だったにもかかわらず、クレイグはルシエンヌに冷たい態度を取るようなことはなかった。

 単にルシエンヌにほとんど関心がなかっただけだ。

 それでも義務はきちんと果たし、ルシエンヌが無事に懐妊したときには平坦な調子ではあったが、祝いの言葉とともに体を気遣うようにと言ってくれた。

 また先代皇帝が崩御したときには、体に負担だからと葬儀への参列をしなくてもよいように配慮してくれたのだ。


(まあ、それがお腹の子のためだったとしても、嬉しかったな……)


 葬儀のときに、クレイグの横にはぴったりとクロディーヌが寄り添っていたらしく、二人の噂は過熱したようだ。

 しかし、皇帝として即位したクレイグは、ルシエンヌに皇妃としての位を与えてくれた。

 また、赤子の名前を『レオルド』にするがよいだろうかと、離宮まで遣いを寄越して意見を聞いてくれたのだ。

 そのときのルシエンヌはほとんど意識がなかったが、それでもその名前だけははっきりと聞こえ、しっかり頷くことができたのだった。


(レオルドのことはきっとクレイグが助けてくれるもの。だから、私は早く体調を――魔力を取り戻すよう頑張らないと!)


 そう決意して、ルシエンヌはアマンの用意した苦手な薬湯を口にしたのだった。




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