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6

 

 過去の夢を見ていたらしいと気づいて、ルシエンヌは朦朧とする意識の中で、その皮肉に微笑んだ。

 オレリアから遺された離宮に、ルシエンヌは今逃げ込んでいる。

 正確には療養のためなのだが、世間はそうは見ないだろう。

 きっと今頃、ベルトランは腹を抱えて笑っているかもしれない。


(ああ、それはもう無理ね。陛下は亡くなられたんだもの……)


 ベルトランはルシエンヌの懐妊がわかり皇宮内が喜びに沸く中で急逝したのだ。

 そのため、すぐに国中が喪に服すことになった。

 あの世というものがあるのなら、ベルトランはやはり笑っているかもしれないとぼんやり考えたルシエンヌの耳に、きついリテの声が聞こえる。


「ルシエンヌ様、しっかりなさいませ! 御子に二度とお会いできなくてもよろしいのですか!? 一度もお抱きにならなくてよろしいのですか!?」


 その力強い声に、はっと我に返る。

 長い夢を見ていたと思ったのだが、現実の時間にしてほんの一瞬だったようだ。

 ルシエンヌは周囲に意識を向け、自分がまた離宮に移ってきたばかりなのだと察した。


「……子は……元気なの……?」

「はい。つい先ほど、あちらにいる者から、皇子殿下はとてもお元気だと。今は湯も浴びられて眠っておられるそうです」

「そう……よかった……」


 ほっとしたルシエンヌは眠くて仕方なかったが、リテが何かと声をかけてきたために眠ることができなかった。

 しばらくして、アマンが苦い薬湯を持ってくる。

 皇宮を離れる前に飲んだものと同じものらしく、その臭いに思わず顔をしかめた。

 すると、アマンもリテも嬉しそうに笑う。

 何て意地の悪い二人だと思いながら薬湯をどうにか飲み干すと、アマンが優しく声をかけてきた。


「妃殿下、これでしばらくはしっかりお休みになってください。またお薬の時間になりましたら、お起こしいたしますので」

「同じもの?」

「はい」

「嫌だわ……」


 ルシエンヌがぼやくと、アマンとリテはまた嬉しそうに笑った。

 ちっとも面白くなんてないのに、と思いつつ気がつけば眠っていたらしい。

 リテに声をかけられて嫌々目を開ければ、また例の薬湯を飲まなければならなかった。

 その度にルシエンヌは子が元気かと気にし、「お乳を飲んだらしい」「大声で泣いているらしい」「健やかに眠っているらしい」との返答に安心して再び眠りに落ちたのだった。


 出産から――離宮にルシエンヌが移ってからひと月経った頃。

 ようやくルシエンヌは意識をはっきり保てるくらいまでには回復した。

 それでもまだまだ魔力量は満たされず、体を起こすこともできずにベッドに横たわっているだけなのはかなりきつかった。

 それも考えることくらいしか、できることがないからだ。

 すると、どうしても我が子とクレイグのことばかりを考えてしまっていた。


 ベルトランと謁見した次の日、予定通り結婚式は行われたが、クレイグに特に変わった様子は見られなかった。

 罵声を浴びせられることもなければ、睨まれることもなく、冷たい態度を取られるわけでもない。

 会話は必要なこと以外ないが、それは子どもの頃からあまりしゃべらなかったクレイグを知っているだけに気にならなかった。

 ただ何かと理由をつけては皇宮にやってくるクロディーヌとは、以前ほどではないにしてもそれなりに話をし、時折かすかな笑みを浮かべてるのをルシエンヌは目にしていた。


 夜の営みは初夜からそれなりの頻度であった。

 だが、これも義務なのだろうとルシエンヌが思うのは、夜遅くに寝室を訪れては会話もほとんどなく、事後はさっさと去っていってしまうからだ。

 優しい言葉の一つでもあれば、また違ったのかもしれない。

 結婚して一年が経過する頃には、未だ懐妊の兆しのないルシエンヌに、臣下たちが焦れているのが伝わってきていた。

 そもそも魔力の強い者は子を成しにくいのだ。

 それならばやはり愛妾を、との声も上がっており、叔父や叔母はルシエンヌから愛妾を勧めるべきだと――クロディーヌとの仲を認めるべきだと詰められていた。

 しかし、クロディーヌだけは違った。


「――そうそう。明後日から殿下は地方へ視察に出られるのよね。事前連絡なしに突然訪問されるなんて、きっと迎える側も大変でしょうね」

「……え?」

「まさか知らないの? そんなわけないわよね? だってルシーはお妃様なんだもの。ちなみに我がアーメント侯爵領はいつ視察にいらしても何の問題もないから、のんびりしていられるってわけ。お父様のおかげでね」

「……そうね」


 侯爵領がしっかりしているのは先代の――ルシエンヌの父が雇った管理人がしっかりしているからだ。

 叔父は新しく始めた交易以外には領地経営に興味がないらしく、皇宮内の権力争いに忙しい。

 だが、そんなことより抜き打ち検査のような地方への皇太子訪問を、妃であるルシエンヌは知らされておらず、クロディーヌが知っていることがショックだった。

 クロディーヌはルシエンヌを傷つけるために、わざとその話題を持ち出したのだろう。


「まあ、ここだけの話……皇帝陛下はあまり国政に興味はなかったようで、地方が好き勝手しているから……。これから大変だと思うけれど、殿下ならずっと目指していた治世を必ず成し遂げられると思うわ。ねえ、ルシエンヌもそう思うでしょう?」

「ええ……」


 クレイグが目指していたものなど知らない。

 何も知らないのも、会話らしい会話をしてこなかったから――できなかったからだ。

 それでも、このときはまだルシエンヌも諦める気持ちはなかった。

 何がどうあれ、結婚したのは自分なのだから、時間が経てばいつかは同じだけの『好き』の気持ちは返ってこなくても、好意は持ってくれるだろうと。

 ところが、次のクロディーヌの言葉で、その決意は打ちのめされてしまった。


「それにしても、お互い災難だったわよね。まさか皇妃様があんな遺言を遺されるなんてねえ」

「……知っていたの?」

「あら、このことは秘密だったわね。うっかりしてたわ。誰にも言わないって約束したのに。でも、ルシエンヌは当事者だから別にいいわよね?」


 可愛くてへへと笑うクロディーヌを、ルシエンヌはもう見ていなかった。

 クレイグへずっと抱き続けた恋心が砕け散り、ようやく頭の中にかかっていた霞が晴れていくような気分だった。




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