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皇太子であるクレイグとの結婚式は半年後に決まった。
ルシエンヌは自分の結婚式だというのに、準備を進める叔父夫妻やクロディーヌから疎外されていた。
叔父がやる気を出しているのは、娘のクロディーヌほどではないにしても、姪が皇妃になることは栄誉と権力を得ることに変わりはないからだろう。
そしてクロディーヌは何もかもを否定したいようだった。
「お母様、そのベールのデザインは私の結婚式のときに使いたいから別のにしましょうよ。それにドレスのデザインもそれは私が使うわ。今から総刺繍のドレスを準備すれば、私のときまでに間に合うわよね?」
「それもそうね。では、ルシエンヌはこちらでいいわ」
仕立物屋の前でのクロディーヌと叔母の会話に、職人たちは驚きちらちら目配せをしている。
まるでクロディーヌの結婚式もすでに決まっているような内容ではあったが、誰もそのことには触れなかった。
それでもルシエンヌは不安を抑え、黙って微笑んでいた。
(大丈夫。二人のお妃様が認められたなんて話、聞いていないもの)
いくら世情に疎いルシエンヌでも、以前からたまに囁かれていた『妃を二人』という意見を神殿が認めればさすがに耳に入る。
何度も忘れよう、諦めようとした初恋だが、クレイグだって一緒に過ごせばいつかは振り向いてくれるかもしれない。
ルシエンヌにだって笑いかけてくれるかもしれない。
そんな儚い希望をルシエンヌは抱かずにはいられなかった。
そして結婚式の三日前。
皇宮に居を移したルシエンヌはクロディーヌや叔父夫妻から離れられてほっとしていた。
これからの結婚生活にあたり、侯爵家から連れてきた使用人は侍女のリテだけである。
亡くなったオレリアの侍女たちもルシエンヌ付きになってくれたので、生活面での不安はなかった。
(あとはクレイグと少しでも歩み寄れたら……)
オレリアの病を伝えなかったことは、ずっと心のしこりとして残っている。
後悔しても遅く、クレイグに許してほしいとも思っていない。
ただ、妃としてだけでも認めてくれたなら……。
そう願うルシエンヌの期待は、皇帝によって打ち砕かれてしまった。
いよいよ式の前日になり、今まで謁見を許されなかった皇帝ベルトランから、急きょ会ってもよいと返事をもらえたのだ。
クレイグは忙しいらしく一緒にというのは叶わなかったが、ルシエンヌは気を奮い立たせてベルトランとの謁見に臨んだ。
幼い頃に一度だけ会ったことのあるベルトランは怖い印象しかなかった。
(でも、陛下は気難しいと有名な方だから、子どもなら怖く感じるものよね)
そう自分に言い聞かせ、指示された部屋でベルトランを待つ。
約束の時間よりかなり遅れて入ってきたベルトランは、顔を伏せて膝を折るルシエンヌを一瞥して鼻を鳴らした。
そのまま自分はソファにどかりと座ったが、ルシエンヌに楽にするようには言わない。
そのため、ルシエンヌは膝を折った姿勢のままだった。
「あれは意地の悪い女だった……」
突然のベルトランの言葉にも驚くことなく、ルシアンヌは顔を上げず聞いていた。
ベルトランの言う「あれ」とは、亡くなったオレリアのことだろう。
二人の間が冷め切っていたのは知っていたが、亡くなった今も悪様に言うほどベルトランがオレリアを嫌っているとは思ってもいなかった。
ひょっとして、そのオレリアに可愛がられていたルシエンヌのことも、ベルトランは気に入らないのかもしれない。
ルシエンヌは高まる緊張を抑えるように、俯いたまま唾を飲み込んだ。
「皇妃はその位に就いたとき、皇家より代々伝わる宝飾品の一部と一定の財産を譲渡される。歴代皇妃は――余の母もそうであったが、宝飾品は当然として、財産も皇家に帰属するよう、遺言で次代の皇妃へと受け継がれるようにするものだった」
この話がどこへたどり着くのか、ルシエンヌは『まさか』との思いを押しやり、黙って聞いていた。
だが、続いたベルトランの言葉に、ルシエンヌは最悪な形で予想が当たったことを知った。
「あれは、遺言で宝飾品は次代の皇妃へと遺しながらも、財産についてはその半分をクレイグに、そしてもう半分をそなたに遺したのだ」
「っ――!」
驚きのあまり声を出しそうになったルシエンヌは、どうにか堪えることができた。
許可も得ずに発言したなら、きっとベルトランの不興を買う。
顔を伏せたままなので頭がくらくらしてきたが、ルシエンヌはどうにか耐えていた。
その姿を見て、ベルトランは満足そうに笑うが、侍従を一人後ろに控えさせただけの部屋では、その顔を見る者はいない。
「あれが死んだ離宮も、そなたのものだ」
「……」
「よって、この婚姻は皇家の財産を取り戻すためのものであり、神殿の意向は関係ないのだ。クレイグも皇家の財産が散逸するのを防ぐために、そなたと結婚せねばならぬ。ほんに、あれは我が子に愛情を注ぐこともしない、母親としても冷たい女だった」
ルシエンヌはぶるぶる震えていたが、それでもぎゅっと歯を食いしばり耐えていた。
我が子に愛情を持っていないのは、陛下のほうではないかと、ルシエンヌは訴えたかった。
ベルトランが己より格段に魔力の強い息子――クレイグを疎んじているのは有名である。
クレイグは子どもの頃に魔力を暴走させたことがあった。
それ以来、皆はさらにクレイグを恐れて必要以上に近寄らず、孤独を強めていったらしい。
それなのに母として慰めることもできなかったことをオレリアはずっと後悔していたのに、プライドが邪魔をしてクレイグに謝罪することも、言い訳することさえできなかったのだ。
ルシエンヌはオレリアに同情しつつも、腹を立ててもいた。
くだらないプライドや立場を理由に子どもを傷つけたまま放置していい理由にはならない。
両親が亡くなり、ルシエンヌもまた叔父夫妻に疎んじられるようになってどれほどつらく苦しかったか。
そんなルシエンヌをオレリアが気にかけてくれたことに感謝はしていたが、まさかこのような見当違いの遺言を遺すとは考えてもいなかった。
オレリアはルシエンヌがずっとクレイグを好きなことに気づいていたのだ。
そこで橋渡しをしようとしたのかもしれないが、あまりに酷い。
今になって、オレリアの葬儀のときのクレイグの言葉の意味がわかってしまった。
オレリアの病を隠していたことに対する「それはそうだろうな!」という怒りの言葉は、ルシエンヌが遺産を手に入れると前もって知っていたと思って吐き出されたのだろう。
それならそれで、なぜそのときに遺産について教えてくれなかったのか。
(そんなの……喜んで放棄したのに……)
悲痛な思いで目を閉じたルシエンヌの耳に、楽しげなベルトランの声が聞こえる。
「ああ、そうそう。遺言については、クレイグが結婚するまではルシエンヌに知らせてはならないとあったな。一日早いが、まあいいだろう。ついでに言うなら、あれの遺産についてはそなたが死ぬまで誰にも譲ることもできないとあったな。というわけで、これからは身辺に気をつけるがいい」
ベルトランはそう告げると、声を上げて笑い出した。
そしてもう用はないとばかりに立ち上がると、しつこく笑いながら部屋から出ていく。
一人残されたルシエンヌは、ようやく顔を上げることができたもののめまいに襲われ、近くの椅子の背に手をつき、どうにか体を支えた。
ルシエンヌがもし今死ねば遺産はどうなるのかわからないが、結婚した後なら遺言がなければ財産はすべて夫に遺される。
ベルトランが最後に言い捨てた言葉は、結婚後にクレイグに命を狙われるとでも告げているようだった。
(まさか、そんな……)
ルシエンヌは信じられない思いでその場に座り込み、現実から逃げるように目を固く閉じたのだった。




