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その夜。
どうしても自室で眠る気になれなかったルシエンヌは、以前のようにレオルドの寝室で眠ることにした。
クレイグの手配でいつも以上に衛兵が配置されているのは知っていたが、やはり不安はぬぐえないのだ。
レオルドもお昼寝をしっかりしたせいか、興奮からか、なかなか寝付かなかったが、ようやく眠りに落ちて安堵したとき――。
居間からかすかな人の気配を感じてルシエンヌは緊張した。
だがそれがクレイグであることに気づいてほっと息を吐き、ルシエンヌもそっと立ち上がると居間へ入った。
「ルシエンヌ、レオルドは?」
「大丈夫です。少し興奮しているようでしたが、今はぐっすり眠っています」
「そうか……」
クレイグがレオルドの心配を一番にしてくれたことが、ルシエンヌは嬉しかった。
しかし、クレイグはすぐに険しい表情に戻り、ルシエンヌを気遣う。
「ルシエンヌは大丈夫か? 魔力の乱れはないようだが、疲れが出ていないか?」
「はい、大丈夫です。ただ、どうしても落ち着かなくて……」
ルシエンヌはクレイグの問いに正直に答えた。
疲れなどを感じないのはおそらくまだ気が張っているからだろう。
今回はナミアがレオルドを唆し、中庭へと一人で出るように手引きしたが、もっと強硬手段に出ることも可能だったのだ。
「ルシエンヌ、今回は私の油断が招いたことだ。すまない」
「い、いえ! ……それなら私も同じです。ナミアを信頼しすぎてはダメだとわかっていたのですから、もっと早くに解雇すべきでした」
クレイグはアーメント侯爵など叛意を持つ者たちを粗方調べ上げ、捕縛するために動き始めたところだった。
そのために交渉を装いトランジ王国から使者を呼び寄せ、罠を仕掛けようとしたらしい。
しかし、彼らが皇宮から逃げ出そうとすることも予想はしていたが、まさかレオルドの誘拐を大胆にも企むとは思ってもいなかったのだ。
レオルドには産まれたときから危害を加えられないよう保護魔法を施しており、さらには皇宮内に何重かに張った防御魔法があるからと、知らぬうちに油断していたのだろう。
そのため、クロディーヌがお妃候補時代から中庭に自由に出入りできるままであったことをすっかり失念していた。
レオルドを直接害すことはできなくても、もしあのままクロディーヌに連れ去られていれば、救出は難航したどころか、そのままトランジ王国へ逃亡された可能性もあった。
(いつの間にか、私は自分の力に驕っていたのだ…)
レオルドだけではない。ルシエンヌもまたいつでも連れ去られる可能性があったと思うと、クレイグは今さら恐怖した。
そう考えると、世間にルシエンヌとの不仲を信じさせていたままだったのは幸いでもあった。
「ルシエンヌ、お互い足りないところはある。私は特に言葉も気遣いも足りない。できれば、足りないところは補い合い……いや、補ってもらってばかりになるかもしれないが、それでも私はこの先もずっとルシエンヌと共にありたい。そして、できれば愛を乞い続けたい」
「クレイグ……」
クレイグは急に足元へと跪き、驚くルシエンヌに改めて愛を乞う。
その姿を目にして、ルシエンヌは押し込めていた感情をもう抑えられなかった。
まだまだ問題は山積みで、クレイグもルシエンヌもやらなければならないことはたくさんある。
それでも、クレイグの言うように補い合えれば――助け合えればいいのだ。
レオルドにこの先の人生でつらい思いをできるだけしてほしくないように、幸せであってほしいように、クレイグに対してだって同じ気持ちだった。
(ずっと、この気持ちはあったのに……)
自分が傷つきたくないばかりに、見ないようにしていたルシエンヌの心。
それは、何よりもレオルドとクレイグの二人が大切だという想いなのだ。
ルシエンヌは胸に手を当てるクレイグの手を握り、立ち上がるようにとそっと促し自身も立ち上がった。
柔らかく笑うその目には涙が滲んでいる。
「私も、好きです。ずっと、ずっと好きでした」
「ルシエンヌ……」
ルシエンヌの精一杯の告白を聞いて、クレイグは繋いだ手を引き寄せ抱きしめた。
「私もずっと好きだった。ただ気づくのが遅く、気づいてからも拒絶されるのが怖くて言葉にすることができなかった。そのせいでずいぶん時間を無駄にしたが、それまでの分もこれから伝えていくつもりだから覚悟していてほしい」
「それは、私も同じです。クレイグも覚悟していてくださいね」
ルシエンヌも幼い頃からの気持ちをこれから言葉にするのなら、かなりの時間と言葉が必要になる。
悪戯っぽく笑うルシエンヌを、クレイグは愛おしそうに見つめていた。
その温かな視線に気づいたルシエンヌは笑うのをやめ、沈黙の中で自然と二人の距離はさらに近づいていき――そこでふと動きを止めた。
ルシエンヌが寝室に繋がる扉に目を向けると、レオルドが嬉しそうにニコニコしながら立っていたのだ。
レオルドに何かあればいち早く駆けつけられるようにと扉は少し開けていたので音がしなかった。
当然、クレイグも気づいており、小さく息を吐いて問いかける。
「レオルド、眠れないのか?」
「ねてまちた。でもふわふわあたたかくて、しあわしぇなかんじがしたので、おきまちた」
いつもよりも舌足らずな口調で話すレオルドの顔は、言葉通りにとても幸せそうに見える。
きっと楽しい夢でも見たのだろうと思い、ルシエンヌはレオルドの許へ行こうとした。
すると、レオルドがぶんぶんと首を横に振る。
「だめです! かあしゃまととうしゃまは、はなれてはだめなんです!」
「レオルド?」
「ぼくはきょう、ようせいしゃんにおねがいしたんです! かあしゃまととうしゃまがいっぱいなかよくできましゅようにって! ぼくはもうひとりでだいじょぶです」
ふんすっと鼻息荒くレオルドは訴えると、くるりと踵を返して扉の隙間からその姿を消す。
ルシエンヌはレオルドの主張に驚いていたが、はっとしてクレイグと顔を見合わせると後を追った。
当然、クレイグも続く。
「かあしゃま? とうしゃまも?」
一人でよいしょとベッドによじ登っていたレオルドは、両親の姿を見て驚いたようだ。
クレイグはレオルドを助け、ルシエンヌが上掛けをかけてやると、レオルドは嬉しそうに笑った。
「レオルドは父様と母様が仲良くなれるように、妖精の雫にお願いしたのか?」
「はい!」
枕元に腰を下ろしたクレイグが問いかけると、レオルドは嬉しそうに答えた。
だがすぐに、しょんぼりとする。
「でも、それでしんぱいをかけました」
「そうね。勝手に部屋を抜け出したことはいけないことだったわね。だけど、父様と母様のためにお願いしてくれたことは嬉しいわ。ありがとう、レオルド」
「そうだな。こうして父様は母様と仲良くなれたんだから、感謝するよ。だが、やはり皆に心配をかけ、多くの者たちに迷惑をかけたことは反省しなければならないし、もうこのようなことはないよう気をつけなければならないぞ? わかったな、レオルド?」
「はい……」
十分に反省して見えるレオルドに、ルシエンヌもクレイグも強く言うこともなかった。
ただ必要な言葉だけを告げて、落ち込むレオルドを優しく撫で、その柔らかな頬にキスをする。
「レオルド、母様も父様もあなたを愛しているわ。たとえ悪戯っ子でもね。だから安心して眠りなさい」
「そうだぞ、レオルド。お前がいてくれたから、父様は母様を失わなくてすんだんだ。レオルド、ありがとう。愛しているよ」
ルシエンヌに続いてクレイグが優しく愛を告げると、レオルドは満面の笑みを浮かべた。
その笑みは幸せに満ちている。
「ぼくもかあしゃまととうしゃまがだいすきです。おやすみなさい」
レオルドは恥ずかしそうに早口で言うと、上掛けを引き上げて顔を隠してしまった。
その姿が可愛くも愛しくて、ルシエンヌは上掛けから覗く柔らかな金色の髪を撫でつけるように優しく撫でた。
すると「えへへ」と嬉しそうな声が聞こえ、クレイグが隣でくすりと笑う。
クレイグがそのように笑うのが珍しくて、ルシエンヌは目を丸くして隣を見ると、温かなまなざしとぶつかった。
その瞳はレオルドとよく似ていて、思わず微笑んだルシエンヌの唇にクレイグがそっとキスをする。
さらに大きく目を見開いたルシエンヌに、今度はクレイグが悪戯っぽく微笑んだ。
「私たちはずいぶん遠回りをした。だからもう、遠慮はしないことにする」
そう言うクレイグの言葉をぼうっと聞いていたルシエンヌは、はっと我に返って慌てて息子を見下ろした。
レオルドは未だに上掛けを被ったままで、ルシエンヌがそうっと顔を覗いても目を開けることはなく、穏やかな寝息が聞こえてくる。
ひょっとして先ほどは寝ぼけていたのかもしれないと思いつつ、起こさないように静かに寝具を整えた。
「……レオルドのことは大切だが、もう少し私に時間を割いてくれるよう努力しなければならないな」
少し拗ねたように言うクレイグがおかしくて、ルシエンヌは小さく笑った。
クレイグがルシエンヌと同じように、何かあれば一番にレオルドのことを考えてくれるだろうことはわかっている。
そのうえで、ルシエンヌを大切に想ってくれていることも信じることができた。
「クレイグの言う通り、レオルドが私たちの仲を取り持ってくれたんですもの。この子が大きくなって、私たちを必要としなくなるまでそんなに時間はかからないと思います」
「だが、私はそれまでも待てない」
そう言って、クレイグは再びルシエンヌにキスをした。
先ほどよりも深く。
やがて唇が離れると、ルシエンヌはふふっと笑い、クレイグが不思議そうに片眉を上げた。
「私も待てません」
クレイグの疑問に答えるように呟いたルシエンヌは、そのままキスを返した。
今度はクレイグが驚いたようだったが、すぐにキスに応えてくれる。
「――しあわしぇですね……」
突然割り込んだ声にぱっと離れた二人は、目を閉じたままでまだむにゃむにゃと言っている愛する息子の姿に頬を緩ませた。
そして顔を見合わせ、レオルドの言う通り幸せに満たされてくすくす笑ったのだった。




