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 レオルドは幼くてもとても聡い子なのだ。

 今のルシエンヌの行動をじっと見ていたのだから、これから何が起こるか理解してくれただろう。

 魔力は膨大で魔法の才能があってもまだ不安定なレオルドが力を使うよりも、救護してくれるアマンが傍にいるルシエンヌが久しぶりではあるが魔法を使うほうがずっと安心だった。

 それもルシエンヌにとっては大した魔法ではない。

 子どもの頃はよく使っていたが、両親には外では使わないようにと言い含められていた魔法。

 クロディーヌも知らない、両親以外には誰も知らない魔法なのだ。


(クロディーヌも護衛騎士も、私とアマンの二人だからこそ、油断しているみたい……)


 当初は早く衛兵でも駆けつけてくれないかと願っていたが、逆に今だからこそクロディーヌたちに隙が生まれている。

 クロディーヌの背後で黙って立つ騎士たちは、ルシエンヌとのやり取りを半ば退屈そうに聞いているのがわかるほどだった。

 ただ、すぐにこの場を去ろうとしないのは、下手にルシエンヌに騒がれては困るからだろう。

 ルシエンヌは俯き、何度も両手を握っては緩め、と繰り返した。

 その様子をクロディーヌは満足そうに見ている。

 やがて顔を上げたルシエンヌはレオルドをじっと見つめてから、クロディーヌへ視線を移した。


「クロディーヌ、あなたはずっと私に関心がなかったわね。ただ私を踏み台にしたかっただけ。だから私が小さい頃にした悪戯も知らない」

「何それ? そんなくだらないこと――っ!?」


 ふんっと鼻で笑うクロディーヌを無視して、ルシエンヌは無詠唱で光魔法を放った。

 そこまで眩いものではなかったが、突然のことでクロディーヌも護衛騎士も目を閉じる。

 ルシエンヌは魔法発動と同時に素早く踏み出して、乱暴にレオルドを抱えて取り上げると、アマンと同時に走り出した。


「ま、待ちなさいよ!」


 大したダメージは与えていないので、クロディーヌも護衛騎士たちも後を追ってくる。

 騎士たちはさすがというべきか、すぐにルシエンヌに追いついた。

 捕まえようと手を伸ばす騎士を、アマンが慣れない攻撃魔法で弾く。

 しかし、やはり大したダメージは与えられず、ルシエンヌはとにかくレオルドを守らなければとその場にしゃがみこんだ。


「かあしゃま! ぼくは――ぼくがっ!」


 心配するレオルドの声が聞こえる。

 自分が魔法を使えば、さらに母を苦しめることになるかもしれないと迷っているのだろう。

 レオルドに大丈夫だと伝えようとしても、光魔法を無詠唱で使ったせいで体力魔力ともに落ち込んで声にすることができない。

 それでもレオルドが自分の腕の中にいる。

 ルシエンヌはそれだけで先ほどまでの恐怖はなかった。

 何があっても――たとえ自分を盾にしてでも、レオルドを守り抜いてみせる。

 その強い意思からもう一度立ち上がろうとしたそのとき――。


「遅くなって、すまない」


 ふわりと全身が温かな空気に包み込まれたと思った瞬間、クレイグの頼もしい声が聞こえた。

 ルシエンヌとレオルドの周囲にはどうやら防御魔法が張られているらしい。

 それがこんなにも心地よいのかと感じながら、ルシエンヌはアマンを捜した。

 アマンもどうやらクレイグに防御魔法を施されたようだ。

 ほっとしたルシエンヌはようやくクレイグへと目を向けて息をのんだ。

 クレイグはクロディーヌへ激しい憎しみと怒りの表情を向けている。


「へ、陛下……」

「答えろ、クロディーヌ。これはそなたの独断か、それとも父親に指示されたのか?」

「ち、違います! 陛下は勘違いされているのです! 私はただ、殿下を保護しただけなのです! それをルシエンヌが大騒ぎして、私を誘拐犯に仕立て上げようとしているのですわ!」

「それを私に信じろと?」

「事実ですもの!」


 ルシエンヌが離宮に閉じこもっていた頃にやってきたクレイグはとても怒っていた。

 あのときほど恐ろしいクレイグを見たことはなかったが、今はあの比ではないほどの怒りを感じる。

 ルシエンヌでさえ体が震えるほどなのだから、怒りをまっすぐぶつけられているクロディーヌの恐怖は計り知れないものだった。

 クロディーヌの護衛騎士たちでさえ、恐怖に固まってしまっているのに、彼女はそれでも挑むように反論している。

 しかし、クレイグはそんなクロディーヌに心動かされた様子もない。


「とうしゃま、ちがいます! かあしゃまは、ぼくをたすけてくれました!」


 久しぶりに使った光魔法とその後の逃走劇のせいで息も絶え絶えなルシエンヌに代わり、レオルドがクレイグへと訴えた。

 その小さな体は震えており、レオルドもまたクレイグの怒りに気圧されているのがわかる。

 クレイグはその様子に気づいたらしく、すぐに自身から放たれる怒りの魔力を抑えた。


「すまない。つらかっただろう?」


 クレイグは膝をつくと、レオルドを抱えるルシエンヌをそのまま抱き上げた。

 ルシエンヌは声を出すこともできず、自分の不甲斐なさに唇をかみしめる。

 それを咎めるように、クレイグはルシエンヌの唇に唇を寄せた。


「きしゅした! とうしゃまが、かあしゃまにきしゅした!」


 レオルドは嬉しそうに声を上げ、ルシエンヌは状況も忘れて顔を赤くした。

 そこに怒りに滲んだクロディーヌの声がする。


「陛下! 私の話を信じてくださらないのですか!? ずっと私を愛してくださっていたでしょう!?」

「そなたを愛したことなどない。私がそなたの話を聞いていたのは、ルシエンヌのことを教えてくれたからだ。だが、それも嘘にまみれていた」

「そんなっ、そんなの嘘よ……。ルシエンヌなんかより私のほうがずっと皇妃にふさわしいのに!」


 クロディーヌはクレイグの言葉にショックを受けたというより、怒りにわなわな震え出した。

 そして、近くにいた騎士の剣を抜いて背を向けたクレイグに振り上げる。

 当然、クロディーヌは剣の重さによろめいたが、それでもルシエンヌはレオルドを守るように強く抱きしめた。

 しかし、クレイグは振り返ることなく片腕でルシエンヌたちを抱えたまま、虫でも払うように片手を軽く振る。

 それだけでクロディーヌだけでなく、剣を抜いた騎士たちは何かに体当たりされたように後ろに吹き飛ばされた。

 クロディーヌたちは倒れたままぴくりとも動かない。

 クレイグに抱きしめられたまま、その逞しい背中越しにクロディーヌたちを見て、ルシエンヌはおそるおそる問いかけた。


「ク、クロディーヌは……?」

「気を失っているだけだ。死んでは供述もできないからな。すぐに拘束させる」

「そうですか……」


 ほっと息を吐いたルシエンヌの頬をクレイグが優しく撫でるが、その顔は痛ましげに眉を下げていた。


「すまない、ルシエンヌ。嫌な思いをさせたな。レオルドを守ってくれて、ありがとう」

「いえ、私は大丈夫です。レオルドはどこか痛いところはない?」

「ぼくはちょっとくるしいです」

「あ、ごめんね、レオルド」


 ルシエンヌは首を横に振ってクレイグに答えると、レオルドが腕の中から顔を出して困ったように笑う。

 必死になるあまり、強く抱きしめすぎていたようで、ルシエンヌは慌てて腕の力を緩めた。


「アマン、そなたは自分で歩けるか?」

「はい、陛下」


 アマンはきっぱり答えると、ふっと笑ってみせた。

 軽く頷いたクレイグは、ルシエンヌとレオルドを抱えたまま歩き始める。

 クレイグがいっさい振り返ろうとしないのは、レオルドにクロディーヌたちの姿を見せないためかもしれない。


「ク、クレイグ、私も――っ!?」


 レオルドだけ抱いてくれていれば、自分も歩けると言おうとしたルシエンヌの言葉を、クレイグはまたキスして封じる。

 恥ずかしくて顔を伏せると、レオルドが嬉しそうに顔を輝かせていた。


「ぼく、うれしいです」

「レオルド、嬉しいのはいいことだが、皆に心配をかけたことについてはしっかり反省してもらうぞ」

「ごめんなしゃい……」


 クレイグが少し厳しい口調で言い聞かせると、レオルドの顔から輝きが消え、しゅんとした。

 その姿を見ると庇いたくも慰めたくもなるが、ルシエンヌはぐっと我慢する。

 ルシエンヌが落ち込むレオルドから視線を逸らしたとき、まったく動く様子のないクロディーヌたちの許に魔法騎士たちが駆けつけていた。


「あれらは騎士たちに任せていればいい。尋問は後程になる」


 ルシエンヌの視線に気づいたのか、クレイグが言う。

 そのままルシエンヌとレオルドはクレイグに抱かれたまま部屋へと戻ることになり、すれ違う貴族や使用人たちを驚かせた。

 当然、レオルドの無事な姿に皆が安堵もしている。

 そうしてレオルドの部屋に入ったとき、ルシエンヌは再び驚きに目を丸くしたのだった。




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― 新着の感想 ―
2歳児ですからお叱りはほどほどで。 ただ、パパさん嬉しいからって息子の目の前で2回も奥さんにキスするのは情操教育的にはどうなんでしょ? とりあえず災い転じて福と成すでしょうか、クロディーヌ逮捕で侯爵家…
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