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アマンが驚き後を追ってくるのがわかる。
だが、ルシエンヌは止まることなく、目的の場所――レオルドとよく散歩した中庭へと向かった。
中庭はバルコニー下に広がる庭園で、高い塀に囲まれ王族以外は気軽に入ることはできない。
もちろん定期的に巡回兵はいるが、そもそも中庭やルシエンヌたちが暮らす王族棟は常日頃からクレイグの強い結界が張られており、外から侵入することは不可能だった。
だからこそ、クレイグは隠し通路の捜索に当たっているのだろう。
ルシエンヌは隠し通路について教えてもらってはいなかったが、当然あるだろうとは思っていた。
なぜなら離宮にもあるからだ。
クレイグから教えられていなかったことに不満はなく、今はとにかくレオルドが無事であればあとは些末なことだった。
「ルシエンヌ様、まさか殿下がお一人で外に出られたと思っていらっしゃるのですか?」
「いつものあの子ならそのような愚かなことはしないわ。とはいえ、まだ二歳だもの。思いがけないことだってするかもしれない」
レオルドのお気に入りの絵本を見つけて、ルシエンヌは一つの可能性を考えたのだ。
あの絵本は子ども向けのおとぎ話ではあるが、すれ違ってばかりで嘆いていたお姫様に、妖精がとっておきの秘密を教えてくれる場面がある。
――妖精花の朝露を三滴集めて飲めば、願い事が叶う。と。
この妖精花とはどんな花なのか、この中庭にもあるのかと、レオルドはいつもらしくなくずいぶん質問してきていた。
ルシエンヌは絵本に描かれた花を見て、小さな鐘のような形に白鐘花かなと思い、そう答えたのだ。
ちょうど季節は白鐘花が花開く頃で、明日の――今日のお昼にでも一緒に見に行ってみましょうと提案したのだった。
(でも、必要なのは朝露だから……)
まさかレオルドがおとぎ話を信じるなど考えもしなかったが、まだたったの二歳なのだ。
何か叶えたい願い事があり、無茶をした可能性はある。
確かなわけではないが、今はレオルドがおとぎ話を信じて中庭に出てしまったのかとバルコニーへ出ていたとき、人影が見えた気がしてルシエンヌは走った。
「ルシエンヌ様、本当に殿下がこちらにいらっしゃると……?」
「わからないわ。巡回兵だったのかもしれない。でも、いてくれればと思わずにはいられないの」
中庭に到着したルシエンヌは、息を切らしながらアマンの問いに答えた。
それから速度を落とし、四方に視線をやりながら、目的の場所に向かう。
白鐘花が植えられているのは、もう少し奥――バルコニーからは見えない場所だった。
ルシエンヌは先ほどまで自分たちがいた部屋を見上げ、やはりレオルド一人でここまで誰にも見つからずに来るのは不可能ではと思い始めて苦しくなった。
そのとき――。
「はなちて!」
小さな叫び声を聞いて、ルシエンヌは再び走り出した。
そしてすぐにはっとして足を止める。
白鐘花が植えられた花壇にいたレオルドは、クロディーヌに拘束され抵抗していたのだ。
「レオルド!」
「あら、大切な息子がいなくなったというのに、少し遅いんじゃないかしら?」
「……クロディーヌ、見つけてくれたことは感謝するけれど、レオルドは苦しがっているわ。放してくれないかしら?」
ルシエンヌは叫び出したい気持ちを抑え、クロディーヌを刺激しないようにゆっくり話しかけた。
クロディーヌの周囲には護衛騎士らしい男が三人もおり、花壇は無残にも踏み荒らされている。
本来ならここまで警戒する必要はないのだが、今のクロディーヌの様子は鬼気迫るものがあり、ルシエンヌは緊張した。
この中庭は限られた者しか入れないが、お妃候補者は供の者も含めて入れるようにされていたのだ。
本来なら、候補者を外れた時点で排除されるはずだったが、クロディーヌはそのままにされていたに違いない。
「クロディーヌ、お願いだからレオルドを放して?」
「あら、私が今までにあなたのお願いを聞いてあげたことがあったかしら?」
「……そもそもお願いをしたことがないわ」
「それもそうだったわね」
ルシエンヌはレオルドを拘束するクロディーヌから目を離さず、世間話でもするように答えた。
レオルドはじたばたしていたが、やがておとなしくなり悲しそうな申し訳なさそうな顔をルシエンヌに向ける。
「かあしゃま……」
「レオルド、大丈夫よ。だけど、ひとりで抜け出したことは後でちゃんと説明してもらいますからね」
今の状況は何でもないのだと、ただ悪戯をしたことは後でしっかり叱ると伝えると、レオルドはしょんぼりした。
悲しそうな顔よりはずっといい。
ルシエンヌはレオルドからクロディーヌへと視線を移し、再び問いかけた。
「それで、クロディーヌはここへ何をしに? ずいぶん早くから起きているから驚いたわ」
「あら、そう?」
いつものクロディーヌならまだ夢の中の時間のはずだ。
その服装もしっかり整えられている。
そこでクロディーヌの姿が旅装であることに気づいた。
「出かける予定だったの?」
「ええ、そうよ。国外へいくつもりなの。それが予想外にお土産を手に入れることができて、お父様も訪問先の方々も喜ばれるわ」
「……どちらへ行くつもりなの?」
「陛下から聞いていないの? だとすれば、やっぱりあなたはただの母親係でしかないのね」
話を聞いてはいたが、未だにルシエンヌは信じられなかっただけだった。
叔父がずっと前から隣国のトランジ王国と通じおり、ルシエンヌの両親の事故を仕組んだなど。
しかもクロディーヌが叔父とトランジ王国との関係をほのめかしているということは、彼女自身も知っていたということになる。
だがそんなことよりも、今はクロディーヌの腕の中のレオルドだ。
クレイグの保護魔法が施されているのだから、レオルドを拘束することはできても危害を加えることはできない。皇宮の外へ出ることもできない。
わかってはいても、鬼気迫る様子のクロディーヌに捕らえられているレオルドを目の前にして安心などできるはずがなかった。
そもそもクロディーヌがトランジ王国へ朝早く発とうとしたその日に、レオルドが抜け出したのは偶然ではない。
先ほど疑惑を抱いた通り、内通者がいるのだ。
(でも、本当に……?)
悲しい裏切りをルシエンヌはまだ信じたくない気持ちがあった。
そんなルシエンヌを馬鹿にするように、クロディーヌは猫なで声でレオルドに声をかける。
「殿下、ここで魔法を使われては、大切な〝かあしゃま〟にも影響が及ぶのではなくて? 高度な魔法を扱えば扱うほどに、殿下の魔力は乱れて〝かあしゃま〟は苦しむことになるのでしょう?」
「あ……」
魔法で逃げ出そうとしたらしいレオルドはクロディーヌに忠告されて、真っ青になってしまった。
おそらく、魔力を暴走させたあのときのことがトラウマになっているのだ。
「レオルド、母様のことは気にしなくて大丈夫よ。私も魔力は十分に強いのだから、自分を守ることくらいできるわ」
レオルドに気にする必要はないと伝えながらも、ルシエンヌは久しぶりに防御魔法を発動させられるだろうかと考えた。
もしレオルドが魔力暴走を起こしたなら、いつでも魔力を補うつもりではいる。
だが問題は、レオルドの魔力暴走にルシエンヌが魔力を補うことで治癒することができるとクロディーヌが知っていることだ。
しかもレオルドが――皇太子の姿が消えたという最重要事項がこんなにも早く皇宮内に広がることもおかしかった。
(クロディーヌの息がかかった使用人たちは異動させたけれど、やっぱり……)
レオルドの様子から、部屋を抜け出したのは自らの意思だとはわかる。
それでも、普段は周囲に迷惑をかけることを避け、問題を起こさないレオルドにしては今朝の行動はさすがに予想外すぎた。
(とにかく、クロディーヌの手からレオルドを取り戻さなければ……)
ルシエンヌははじめて目の前の二人から視線を一瞬外し、後ろで黙ったまま隙を窺っているアマンをちらりと見た。
アマンは励ますように目だけで微笑む。
ルシエンヌは軽く頷くと、覚悟を決めて再びレオルドとクロディーヌへと向き直ったのだった。




