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翌日。
ルシエンヌは朝の支度をしながら、昨夜はクレイグが訪れてこなかった落胆を隠そうと、ことさら明るく侍女たちと話をしていた。
忙しいとは聞いていたので当然なのだが、一日クレイグの顔を見られないだけで寂しく思っている自分に内心で苦笑する。
こうして離宮に戻ってくるまでは二年近く顔を合わせず、妊娠前も数日に一度顔を見るだけで充分だったのだ。
それが今ではたった一日顔を合わせないだけでこんな気持ちになるなど、贅沢でしかない。
朝食はいつもレオルドと一緒にとるので、そろそろ部屋を出ようとしたところで、火急の用件だと衛兵がやってきた。
その衛兵がレオルドの部屋の昨夜の担当であることに気づき、先に問い詰める。
「レオルドに何かあったの!?」
「そ、それが……殿下の御姿がお部屋になく――」
「部屋にいない!? レオルドが!?」
そんな馬鹿なことがという気持ちと、どういうことかとさらに問い詰めたい気持ちもあったが、それよりも先に体が動き出していた。
ルシエンヌは部屋を飛び出すと、スカートをたくし上げて廊下を走った。
幸いにしてレオルドの部屋は皇帝皇妃の部屋と同じ階に配していたので、すぐにたどり着くことができる。
おかげで、ルシエンヌの慌てた様子を誰かに見られることもなかった。
「――ナミア! レオルドは……!?」
部屋に入ったルシエンヌは、室内をあてどなくうろうろするナミアに声をかけつつも、寝室に飛び込んだ。
ベッドは上掛けがめくられたままで、ルシエンヌはすぐに衣裳部屋や洗面室、ソファの下まで覗き込んでレオルドを捜した。
「皇妃様……」
おそらくナミアたちもすでに捜しただろうことはわかっていたが、自分の目で確かめずにはいられなかったのだ。
レオルドは幼くも聡いからこそ、むやみに心配をかけるようなことはしない。
そんなこともわかっているのに、一縷の望みにかけてしまっていた。
「――いつから……いつからレオルドの姿がないの?」
「そ、それが、つい先ほどお起こししようとして……初めて殿下がいらっしゃらないことに気づきましたので、い、いつからかは……」
「っ――!」
いったい何をしていたのかとナミアたちを詰りたい気持ちをルシエンヌは必死に抑えた。
今は彼女たちに怒りをぶつけている場合ではないのだ。
一刻も早くレオルドを捜さなければと、ルシエンヌが居間へと戻ったとき、クレイグが部屋へと駆けつけた。
「ルシエンヌ! レオルドは!?」
クレイグの顔を見た瞬間、ルシエンヌは堪えきれずに涙を溢れさせた。
ずっとレオルドの傍で一緒に寝ていれば、このようなことを避けられたのにと思わずにはいられない。
だがこの涙は、自責の念と同時に、クレイグがいてくれることに安堵したものでもあった。
一人は怖い。
レオルドの行方がわからないという恐怖に、一人ではなく一緒に立ち向かってくれるクレイグの存在が心強かった。
クレイグはルシエンヌに手を伸ばしかけ、すぐに寝室へと向かう。
慌ててその後を追ったルシエンヌが寝室に入ると、クレイグは扉を閉めた。
途端に二人きりになって戸惑うルシエンヌに、クレイグが小声で告げる。
「この皇宮には隠し通路がある」
「……え?」
「あなたにも近いうちに知らせるつもりだったが、今はそれよりもレオルドの行方だ」
「はい」
「だが、この部屋に隠し通路に繋がる扉はない。ということは、やはりレオルドは自ら部屋を抜け出したか、誰かに連れ去られたかだ。その際に隠し通路を使われた可能性も考えて、すでに出口には秘密を知る者を派遣させた。そこで手がかりが見つかるかもしれないが……。とにかく私は万が一を考えて隠し通路に入ろうと思う。皇宮を囲う防御魔法は強化したので、今から宮を出ることは誰一人できない。何より、レオルド自身には危害を加えられないよう強力な保護魔法を施している。だからルシエンヌは、この部屋で待機してくれるか?」
「……わかりました」
ルシエンヌも本当は自ら捜しにいきたかったが、クレイグが捜索に加わるのなら皇妃である自分まで動き回るわけにはいかないと唇をかみしめ頷いた。
そんなルシエンヌの唇を労わるように、クレイグは親指でなぞる。
はっと顔を上げたルシエンヌにそのまま額にキスを落とし、クレイグは部屋の外へと向かった。
「この部屋で特別な魔法が使われた気配はない」
そう言い残してクレイグは出ていく。
クレイグが言う「特別な魔法」とは、浄化魔法などの生活に必要な魔法とは違う種類の魔法のことだろう。
そんなことまでわかるのかとルシエンヌが驚いているうちに、クレイグは一度振り向き大丈夫だと言うように微笑むと、急ぎ去っていった。
ルシエンヌは一緒に捜したいという気持ちを抑え、改めて何か手がかりが残されていないかと室内を見回してから、バルコニーに出た。
そんなルシエンヌの耳に、かすかなざわめきが聞こえてくる。
どうやらレオルドが行方不明になっていることは広がりつつあるらしく、皇宮内全体が動揺し騒がしくなっていた。
おそらく皇宮から出られなくなっているのも、拍車をかけたのだろう。
「ルシエンヌ様!」
リテとアマンが寝室へと駆けつけてくる。
ルシエンヌは表情を曇らせている二人に指示を出した。
「リテは皇宮内の情報収集にあたって。アマンは、万が一のことを考えて治療の準備を整えておいてほしいの」
「かしこまりました」
リテは顔色こそ悪いものの、いつものように素早く応えて動き始める。
だがアマンはルシエンヌの手を握り、魔力の乱れがないか調べ始めた。
「アマン、私は大丈夫よ」
「……治療の準備をとおっしゃるのなら、まずはルシエンヌ様が魔力を整えていてくださらなければなりません」
「――そうね。そうだったわ」
もしレオルドに何かあれば、ルシエンヌは自分の魔力すべてを差し出しても助けるつもりだった。
それならばアマンの言う通り、今はルシエンヌ自身が無理をするわけにはいかないのだ。
アマンがレオルドもだが、ルシエンヌ自身を心配してそう告げてくれているのも理解したうえで、ルシエンヌは素直に頷き居間へと戻った。
だがやはりじっとなどしておられず、もう一度寝室に入り、ベッド横にあるチェストの上の絵本が目にとまる。
最近レオルドが気に入っている絵本ではあったが、昨夜の寝かしつけのときに読み聞かせたのは別の本だった。
(どうしてこれが……)
レオルドは夜中に起きだしてわざわざ本棚から持ち出したのだろうか。
そう思い、本棚へ目を向けるとやはり一冊抜き出したあとがある。
レオルドは光魔法も扱えるようになっており、小さな明かりくらいなら灯せるので、眠れなくなって絵本を読もうとしたのだろうかと考えた。
ルシエンヌも子どもの頃に両親に隠れて夜中に本を読んだこともあり、それをレオルドに悪戯話として聞かせたばかりだった。
それを実践したのだろうかと思い、ルシエンヌはまさかと青ざめる。
ルシエンヌは急ぎバルコニーへ出て手すりから身を乗り出し、階下を覗いた。
「ルシエンヌ様!?」
ルシエンヌの様子にアマンだけでなく、ナミアまで居間側からバルコニーへ出てきた。
「ナミア、もちろんここは捜したのよね?」
「い、いえ、あの、すみません! 私はまだ……」
「私が捜しました!」
ルシエンヌが問いかけると、ナミアはしどろもどろに否定したが、別の侍女が声を上げた。
その侍女は以前ルシエンヌが選定していた者で、数日前に呼び戻したばかりだった。
その隣でナミアがぶるぶる震えている。
「あなた、まさか……」
言いかけたルシエンヌは視界の隅に映った姿を確認しようと、もう一度バルコニーから身を乗り出した。
レオルドはまだ浮遊魔法は使えないはずだ。
普段は二歳児とは思えないほど聡い子でも、やはり大人には理解できない突拍子もない行動を起こすことだってあるだろう。
本当に『まさか』としか思えないが、ルシエンヌは部屋から飛び出した。




