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皇宮内を騒がせた人事異動も落ち着いた頃、不正を働いていた政務官や使用人たちから少しずつではあるが、黒幕へと繋がる手がかりを得ることができていた。
また夜にはクレイグがルシエンヌの寝室へと訪れ、新たに得た情報を共有することもできている。
それも二人とリテだけの秘密であり、世間では未だにレオルドを盾にルシエンヌが皇妃の座に居座っていると思われていた。
(相変わらず、私は哀れで邪魔な皇妃様なのね……)
リテが仕入れてきた噂を聞いて、ルシエンヌはため息を吐いた。
ルシエンヌにとっては世間でどう噂されようと警戒されないために必要なことではあるのだが、毎夜のように寝室へ訪れるクレイグとの間に以前のような親密な関係がないことは悩みの種である。
クレイグはルシエンヌのことを好きだと言ってくれ、信じると決めたのだから、いっそのこと自分から誘ってみてもいいのだ。
しかし、もし幻滅されたらと思うと怖かった。
(そもそもクレイグは私のどこが好きなの?)
そう考えてみると、どうしても思い当たるところがなかった。
昔はルシエンヌの他愛ないおしゃべりを聞くのが楽しかったとは言っていたが、再会してからのルシエンヌはほとんど口を開くこともなく、結婚してからも必要最低限の会話しかしていない。
レオルドを妊娠してからはクレイグを遠ざけ、アマンとの不貞の噂も流れた。
(……嫌いになることはあっても、好きでいてもらえる要素がないわ)
もちろんクレイグの中ではレオルドの存在は大きいだろう。
それでも、再会してからのこの八年余りを思い出し、ルシエンヌは眉を寄せた。
結局、クレイグを信じるといっても、自分を信じることができないのだ。
「……かあしゃま?」
「――なあに、レオルド?」
考えに耽るあまり、レオルドの授業が終わっていたことに気づかなかった。
レオルドはルシエンヌを心配そうに見上げている。
慌ててルシエンヌは笑顔で取り繕ったが、レオルドは騙されなかった。
「かあしゃまはこまっているのですか?」
「いいえ、大丈夫よ」
「でも……」
やはり納得しないレオルドに、ルシエンヌはどう伝えようかと考えた。
レオルドに下手な誤魔化しは通じない。
そこで、ほんの少しだけ真実を混ぜる。
「今日は父様が一緒に昼食を食べられないでしょう? お忙しいようで、レオルドに会いにくることもできないそうだから、残念だなって思っていたの」
「そうですか……。うん、ざんねんです」
今日はクレイグは隣国トランジ王国の使者との会談や、その他の雑事でかなり忙しいらしく、レオルドにも会いに来ることができないと昨日のうちに伝えていた。
そのため、わざわざ説明する必要もなかったのだが、ルシエンヌの正直な気持ちでもあったのでレオルドに打ち明けたのだ。
すると、レオルドは納得したように答えてから、自分の気持ちも口にする。
そのいじらしさに、ルシエンヌはレオルドを抱きしめた。
「明日は会えるといいわね!」
「はい!」
そんな母子の様子を見た地学の教師は、片づけを終えてにこにこしながら会釈をして出ていく。
二人のスキンシップの多さに、はじめは驚いていた教師陣も今ではすっかり慣れてしまっていた。
同時に、教師陣からは以前のような事務的な態度は消え、感情豊かな授業内容になっている。
おかげでルシエンヌもほとんどの教師を解雇することなく、継続して雇用していた。
ただ一部の教師は思想が偏っており、ルシエンヌが何度か授業を見学したうえで解雇を言い渡した。
当然、そのことで反発も招き、皇宮内で新たな噂の種になったが、それもアーメント侯爵周囲から流されたものだと調べはついている。
要するに、ルシエンヌに対する悪い噂、クロディーヌに対する好意的な噂はアーメント侯爵派の者から流されているのだ。
予想してはいたことではあるが、クレイグから調査結果を知らされたときには落胆したのだった。
「――かあしゃま、みてましたか?」
「ええ、ちゃんと見ていたわ。浄化魔法としては最上級じゃないかしら」
「じゃあ、きょうはおふろにはいらなくてもいいですか?」
「あら、それはダメよ」
午後になり、魔法技の授業でレオルドが見せた水魔法の一種の浄化魔法は大人顔負けの出来だった。
得意げに言うレオルドを褒めると、ぱっと顔を輝かせる。
レオルドの子どもらしいところと言えば、お風呂が嫌いなところだろう。
お風呂に入る前はちょっとした追いかけっこが繰り広げられるときもあるくらいだった。
ルシエンヌがわざとらしく顔をしかめて窘めると、レオルドはがっかりしたようにため息を吐く。
その仕草がクレイグによく似ていて、ルシエンヌは思わず噴き出した。
「ぼくね、からだのなかがもうくるしくないんです。アマンがおしえてくれて、まりょくがせいぎょできるようになったからですね」
「殿下の御年で魔力が制御できるようになられるなど、本当に素晴らしい才能をお持ちです。この国の将来も安泰ですね」
嬉しそうなレオルドの言葉をルシエンヌは微笑んで聞いていたが、内心では心配でもあった。
確かに魔力制御できるようになり、最近では魔力酔いの症状も出ていないが、アマンが言うにはまだまだレオルドの魔力は成長途中であり、いつ制御不能になるかはわからないらしい。
そのためにも慎重に魔法技を扱うべきなのだが、喜ぶレオルドに水を差したくなかった。
しかし、教師はこれでもかというほどにレオルドを褒める。
レオルドはもっと褒めてほしいとばかりにルシエンヌを見た。
「レオルドは本当にすごいわ。魔力制御の練習も頑張ったものね」
「はい!」
レオルドは今まで幼い体で魔力酔いに耐えていたのだから、魔力制御がどれほど大切なのかは理解しているだろう。
そう判断して、ルシエンヌも褒めるだけにとどめた。
すると、レオルドはさらに嬉しそうに満面に笑みを浮かべて頷いたのだった。




