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翌日、ルシエンヌから発せられた使用人たちの異動命令に、皇宮内の者たちは驚き、一部で反発を招いた。
――ひょっとして、陛下と食事をなさったことで、受け入れられたと勘違いしているのでは?
――まるで皇太子殿下を人質にしているよう。
――皇帝陛下が何もおっしゃらないのをいいことに、ついに本性を現したのよ。
――皇妃様は使用人たちを掌握して、クロディーヌ様より優位に立とうとしているのでは?
――クロディーヌ様がお気の毒で……。
などといった噂があっという間に駆け巡り、囁かれるようになったらしい。
ルシエンヌはその噂をリテから聞いて、声を出して笑った。
「ルシエンヌ様、笑い事ではありませんよ」
「あら、そうかしら? たった一日でよくそれだけの話を広められるものだと感心したのよ」
反発も不利な噂も当然予想していたことだったので、ルシエンヌは特に気にすることもなく、むしろその噂を喜々として広めている人たちを調べてほしいと頼んだ。
ルシエンヌが離宮にいる間からずっと噂を拾い、皇宮内の様子を伝えてくれていた人物についてはそのままにしている。
また明日より元の役職――女官長や侍従長に戻ってくれる者たちについては、先に手紙で知らせていたので問題なく進むだろう。
ルシエンヌにとって心強かったのは、クレイグが味方になってくれていることだった。
手紙を書いていたときには、どうやってこの人事異動を納得させようかと思案していたのだ。
もちろん、使用人の人選については皇妃である自分の役目だと押し通すつもりではあったが、最悪身分をはく奪されるかもしれない。
そこまでの状況に陥ってしまった場合には、どうにかしてレオルドの傍にいられるような手段をいろいろと考えてもいた。
(でも、全部無駄に終わってよかったわ……)
こんなに短期間で自分を取り巻く状況が変わるとは思ってもいなかった。
まずレオルドが無条件に自分を受け入れてくれたことは奇跡だと思っている。
しかし、お腹にいたときのことまで話を聞いて覚えていたというのは、心配でもあった。
もし生まれたときから一緒にいられれば、もっとレオルドは大人に無条件に甘えられたのではないかとの後悔もあった。
「――かあしゃま?」
「なあに、レオルド」
「かあしゃまは、つらいですか?」
「――いいえ、そんなことはないわ。だって、レオルドと一緒にいられるんだもの。こんなに幸せなことはないわ」
「それなら……よかったです」
ルシエンヌがあれこれ考えているのが伝わったのか、お昼寝から起きてきたレオルドが心配そうに訊いてきた。
一番幸せにしなければいけないレオルドに心配をかけているなど本末転倒だと、ルシエンヌは反省して気持ちを切り替えた。
レオルドはお昼寝前に読んであげた絵本を抱えている。
もう何度も読んであげた絵本だが、どうやらお気に入りらしい。
先ほどは途中で眠ってしまったために、続きを読んでほしいのだろう。
「レオルド、魔法技の授業までまだ時間があるから、その本の続きを読みましょうか?」
「はい!」
絵本の内容はすれ違うお姫様と王子様が妖精の力を借りて結ばれる物語だ。
おとぎ話を気に入っているレオルドが可愛くて、ルシエンヌはまた絵本を開いて読み聞かせを始めた。
その後、アマンの魔法技授業では、次の段階に移ることになった。
アマンが言うには、レオルドはかなり順調に体内の魔力を制御できるようになっているらしい。
「――殿下、そろそろ魔法技の実技に戻りましょうか?」
「じつぎ?」
「はい。以前のように火を灯したり、水を出現させたりする魔法の技ですよ。魔力制御がかなり上達した今は、おそらく以前よりもずっと強力な魔法技を繰り出すことができるでしょう。だからこそ、自制――制御は必要です。わかりますか?」
「うん!」
アマンの言葉に、レオルドはぱっと顔を輝かせた。
やはり体内の魔力制御よりも、魔法技を繰り出すほうが楽しいのだろう。
子どもらしい反応にアマンもルシエンヌも微笑んだが、レオルドはすぐにはっとして表情を曇らせる。
「でもぼくは……まりょくをちゃんとせいぎょできるようになった? かあしゃまをくるしめないですか?」
アマンの授業にずっと熱心だったのは、魔力をしっかり制御して〝魔力酔い〟を起こさないためではなく、そのせいで母であるルシエンヌを苦しめないためだったのだ。
その健気な気持ちに嬉しくもあり、心苦しくもあった。
レオルドはいつも自分のことよりも、ルシエンヌやクレイグのことを考えている。
どうすればもっと我が儘になってくれるだろうかと思い、そこでルシエンヌこそが我が儘だと気づいた。
(私、レオルドにもっと子どもらしくって、求めてばかりいるわ……)
レオルドのためを思い、まだ二歳なのに、子どもなのに、とルシエンヌの勝手な子ども像を押し付けている。
確かにレオルドは通常の二歳児よりもずっとずっと大人びており、心配になるほどではあるが、それはレオルドの個性ではないのか。
魔力だけでなく、おそらく頭脳も突出して秀でているレオルドに、普通を求めてしまうのは大人の傲慢さなのだ。
「レオルド、ありがとう。最近の母様はすごく元気でしょう? もう寝込むこともないもの。それもレオルドが頑張ってくれたおかげね。もちろん、母様はレオルドが元気なことが一番の願いだから、無理をしてはだめよ?」
「かあしゃまも、むりしないでください」
「ええ、そうね。では、二人とも無理をしないって約束しましょう!」
ルシエンヌが約束の証に、レオルドの柔らかな頬に口づけると、楽しそうな声が聞こえた。
そしてすぐに、レオルドもまたルシエンヌの頬に可愛くキスをする。
「やくそくです」
ほんのり照れて顔を赤くしながら、レオルドが言う。
それだけでもう胸がキュンとなるのだが、ルシエンヌはにっこり微笑むだけにとどめた。
そんな親子のやり取りを、アマンやリテは微笑ましく見守っていた。
だが、このときのルシエンヌは、未だにレオルドがとある悩みを抱えていることにはまったく気づいていなかったのだった。




