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 レオルドを囲んでの初めての食事は最初のアクシデント以外には特に問題もなく、和やかに終わりを迎えた。

 そして仕事へと戻るクレイグをレオルドとともに見送り、ルシエンヌは大きく息を吐いた。

 クレイグのことをもう恐れてはいないが、別の意味で緊張する。


「かあしゃま、だいじょぶですか?」

「ええ、大丈夫よ。でもそうね……いつもと違うからちょっとだけ驚いたの。ほら、まさか大人になってご飯を食べさせてもらうなんて、そうそう体験できないでしょう?」

「とうしゃまも、おどろいたですか?」

「きっとね。でも楽しそうだったわ。ありがとう、レオルド」


 実際、クレイグは本当に楽しそうだった。

 あんなに表情にも出ていたのは珍しく、ルシエンヌは思い出して嬉しくなり、レオルドを抱きしめた。

 レオルドを挟んで料理を食べさせ合うなど、とんでもないことになったと思ったが、今になっておかしくなってくる。

 腕の中できゃっきゃとはしゃぐレオルドと一緒に、ルシエンヌもくすくす笑った。


 三人の様子を見ていたリテも侍女たちも、目を丸くして驚いていながら平静を保とうとしていた姿もおかしい。

 きっと夕方には先ほどの出来事は皇宮中の噂になるだろう。

 レオルドの侍女の中には、害はないが信頼できるとまでは言えない者もいる。

 そこまで考え、やはり早急に人事に取りかからなければと、ルシエンヌは気持ちを引き締めた。


 ――その夜。

 驚くことに、寝支度を終えて寝室にいたルシエンヌを訪ねて、クレイグが再び現れた。

 しかも今夜はクレイグも寝支度を終えていることに緊張が高まる。

 クレイグの夜衣姿はもう三年以上目にしていなかった。

 どきどきと高鳴る鼓動を抑えることはできないが、平静を装うことはできる。


「クレイグ、今夜は何を……飲まれますか?」

「また同じお茶をもらおう」

「かしこまりました」


 お酒ではないことにがっかりする自分がルシエンヌは嫌だった。

 以前は夜の営みがあるときは――正確にはそれ以外でクレイグが寝室に訪れることはなかったのだが、そのときには何も飲まないかお酒を飲んでいたのだ。

 おそらく今夜も昨夜と同じく話をするだけなのだろう。

 ルシエンヌは複雑な思いを隠して、テーブルに置いていた名簿を片付けようとした。


「それは?」

「あ、はい。これは皇宮内の使用人の名簿です」

「使用人にも名簿があるのか?」

「ええ、さすがに身元保証のない人を雇うわけにはいきませんので」

「それもそうか……」


 皇帝であるクレイグが使用人について詳しくないのは当然である。

 ルシエンヌは苦笑するクレイグを見つめ、それから覚悟を決めて名簿を持ったまま向かいの椅子に腰を下ろした。


「ルシエンヌ?」

「今夜も大切なお話があるのですか?」

「いや……レオルドはあれからどうだったか、気になったので話を聞きたかったんだ」


 ルシエンヌが名簿を持ったままなのをクレイグは不思議に思ったらしい。

 だがルシエンヌは先にクレイグの用件を聞くべきだと、問いかけた。

 クレイグはわずかに口ごもり、軽く息を吐いてルシエンヌの質問に答えた。

 ちょうどそのときリテがお茶を持って現れたが、ルシエンヌは内容的にレオルドのことなら問題ないのでかまわず口にする。


「かなり喜んでいました。やはり両親が揃って食事ができたのが嬉しかったようです。ですから……お時間が許せば、これからもご一緒できませんか?」

「もちろんだ」


 ルシエンヌはレオルドの様子を伝え、勇気を出してこれからも続けたいと告げた。

 本当は自分の願望も含まれている。

 その後ろめたさもあったが、クレイグがきっぱり頷いたことで心が軽くなった。

 クレイグを信じると決めてから、しぼんで消えてしまったと思っていた『好き』の気持ちがどんどん大きく膨らんでいく。

 まだ自分の気持ちを打ち明けるまでの勇気はなくても、他に秘密を作りたくなくて、ルシエンヌは持っていた名簿を開いた。


「こちらは、最新の皇宮内の使用人名簿です。どうやらこの二年で要職にある者の半数以上の異動があり、さらにその半数は新しく雇い入れられた者たちです」

「そうなのか?」


 ルシエンヌがなぜこの話を始めたのか、クレイグは不思議そうに聞いていたが、すぐにはっと息をのんだ。

 名簿から顔を上げてルシエンヌをまっすぐに見る。


「皇宮内の使用人の人事権は本来、ルシエンヌに――皇妃にあるはずだ」

「はい。おっしゃる通りです」


 もちろん、皇妃であるルシエンヌが末端の者たちまで人選をするわけはないが、それでも半数もの人事異動が留守にしている間に行われているのは異常だった。

 ルシエンヌは別の名簿も開いてクレイグに見せる。


「こちらは……先代皇妃様の遺産の一つです」

「先代の……?」

「はい。先代皇妃様は不器用でどうしようもありませんでしたが、クレイグのことを愛していました。ただどうしても素直に愛情を示すことができなかっただけで……。だからこそ、皇妃様は私に離宮や様々なものを遺してくださったのです。それらの理由がようやくわかった気がします」

「どういうことだ?」


 ルシエンヌは新たに開いた名簿の中にある名前をいくつか指し示した。

 そこには小さく印が付けてある。


「この印のある名前の方は、今はもうこちらの名簿にはほとんどありません。皇妃様は信頼できる方たちに印をつけ、私に教えてくださったのです」

「……では逆に、新たに名前が加わった者たちは信用できないということだな」

「――はい」


 のみ込みの早いクレイグに頷いて答えたルシエンヌは、続ける言葉をためらった。

 クレイグはあえて触れようとしないが、伝えなければならないのだ。


「先ほども申しましたが、お母君はクレイグを愛しておられました。だからこそ、クレイグが成そうとしていることも、それによって直面する問題もわかっていらっしゃって、少しでも助けになるようにとこの名簿を遺されたのだと思います。どうやら私がクレイグの妃に選ばれるだろうことは確信を持っていたようですから。私の魔力量をおそらくアマンたちから聞いていたのでしょう」

「たとえ……そうだとしても、母がそなたを――ルシエンヌを私に関係なく愛していたのは間違いない」

「――ありがとうございます」


 クレイグは母親の愛をもう否定することはなかった。

 まだ納得いかないものもあるのかもしれないが、そのことよりもルシエンヌのことを気遣って必要な言葉をくれる。

 その優しさに、ルシエンヌは胸がきゅっと掴まれたように苦しくなりつつも微笑んだ。


「はじめは私の知らない間の人事異動は、単にクロディーヌやアーメント侯爵夫人が自分たちに都合いいように手を加えたのだと思っておりました。ですが、これほどの要職を変えるとなると……」


 そこでルシエンヌは口ごもり、どう言うべきかと悩んだ。

 女性使用人を掌握する女官長や侍女頭、メイド頭などの重要な女性の役職だけでなく、侍従長などの男性使用人まで人員変更が行われているのだ。

 それは皇太子の養育係であるナミアも同様だった。

 そして前任者は解雇されていたり、適当な閑職へ追いやられている者もいる。

 それだけの人事を皇妃であるルシエンヌが存命にもかかわらず、皇帝の愛妾だというだけでクロディーヌが手をつけられるわけがない。

 間違いなく、黒幕となる人物がいるはずなのだ。


「なるほど。使用人についても改めて調べなければならないな。それも解雇されたこの前任者たちがいれば、かなり助けになるのだが……。彼らが今どこにいるか、そこから手を付けたほうがいいだろう」

「それに関しましては、ご心配には及びません」


 クレイグは素早く頭を回転させて、使用人の人事に関わった者を調査する必要があると結論付けた。

 さらには、元侍従長などから聴取できれば、様々な手がかりが得られるだろうと考えたようだ。

 その考えに感嘆しつつ、ルシエンヌはにっこり微笑んで答えた。


「ひょっとして、すでに行方を掴んでいるのか?」

「正確には、すでに再雇用しております」

「何?」

「先代皇妃様から、もし皇宮で解雇された使用人がいれば、離宮で雇用してほしいと頼まれていたのです」


 ルシエンヌの言葉の意味をクレイグはゆっくりと受け止めているかのようにしばらく沈黙していた。

 だが、やがて口を開いたクレイグの表情は、今までよりも穏やかな雰囲気をまとっている。


「私は母似らしい。怖がりなくせに、無駄にプライドが高い」

「クレイグ……」

「そなたが私に母へ手紙を書いてはと提案してきたように、母にもしていたのだろう? だが、私も母もそれをしなかった。拒絶されることが怖くてな。……後悔ばかりだ」


 そう呟くクレイグに、ルシエンヌはかける言葉もなかった。




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