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「父のことはもうずっと昔に諦めている。皇太子としての自覚を持ち、腐敗の進んだ内政をどうにかしようと邁進し始めたときに、ことごとく邪魔をしてきたのは父だったからな」


 諦めというよりも、今度は馬鹿にしたような口調で、クレイグはベルトランについて語った。

 ルシエンヌも知っていたことではあるが、改めてクレイグの口から聞くのはつらい。

 しかし、クレイグは平気だと伝えるように小さく肩をすくめただけだった。


「父は底が浅く意地の悪い人だった。これは恨みでも何でもない客観的な評価だ」


 亡くなった人を悪くは言いたくないが、ルシエンヌもこれには同意せざるを得なかった。

 オレリアもよく言っていたものだ。――あの人は皇帝の器ではない。単に運よく皇家に生まれただけよ、と。

 そのため、ルシエンヌは何も言わずともクレイグの言葉に黙って頷いた。


「クロディーヌが先代皇妃様の――母の遺言を知っていたことについては、これから調べよう。今だから言うが、父は私に結婚式前に嬉しそうに『クロディーヌと結婚できずに残念だったな』と高らかに笑って告げたからな」

「そんな……」

「さらには、クロディーヌと結婚できないよう神殿に働きかけたのは自分だとも言っていた。父が神殿に対し、それほど干渉する力がないことはわかっていたので無視していたが、まさかルシエンヌにまでくだらない工作をしていたとはな……。すまなかった」

「クレイグが謝罪する必要はないんです。私も先代陛下の……意地の悪さは知っておりました。それなのに、その言葉を真に受け、クレイグが私と結婚したのは皇家の遺産を取り戻すためだけなのだと信じ、歩み寄ろうとしなかったのですから」

「いや、それならやはり私が悪かったんだ。クロディーヌとの世間の噂は知っていた。だが愚かなプライドとひょっとして嫉妬してくれるのではないかと思い、さらにはあなたと結婚できた安心感から、自分の気持ちを打ち明けることをしなかったんだ」


 再びお互いの後悔を吐き出し謝罪し合うという不毛な状況に、ルシエンヌもクレイグもふと気づいて目を合わせ、ぷっと噴き出した。

 笑っている場合ではないのだが、この温かで穏やかな時間が愛おしくもある。

 同時に、ルシエンヌは抑えつけていた恋心が手に負えないほどに大きくなっていくのを感じていた。


「ひとまず、お互い過去のことで謝罪するのはやめよう。どうにも話が進まなくなる」

「ええ、そうですね」


 クレイグの提案にルシエンヌもすぐさま同意した。

 過去にやり直したいことはたくさんあってもどうしようもない。

 今はとにかく前に進むしかないのだ。


「先代皇妃様の遺言について知る者はかなり少ない。よって、クロディーヌへ遺言内容を漏らした者は絞られる」

「――この三年で皇宮内の使用人の顔ぶれもずいぶん変わりました。単にクロディーヌが自分の思うように――女主人になるための準備かと思っておりましたが……」


 ルシエンヌはクレイグの言いたいことを理解して、自分の考えを述べた。

 クロディーヌがクレイグを好きなのは間違いないとは思う。

 ただそれだけではないと、クロディーヌの背後に誰かいるとクレイグは考えているのだろう。


「私が皇太子時代から皇帝へと即位し、内政改革を推進していく中で、それをよく思わず阻む者たちは当然多く存在した。賄賂や横領で懐を潤す官僚たちにとって、私の存在はさぞかし邪魔なのだろう。不正を働く者たちは少しずつではあるがあぶり出し、処分を下してきたが、どうしても黒幕とでもいうべき人物がはっきりしなかった」

「まさか……」


 クレイグが出したであろう結論を察したルシエンヌは、思わず呟いていた。

 この話はルシエンヌやクロディーヌの感情とはまったく別物であり、この帝国を揺るがすほどの大事なのだ。


「父の――先代皇帝の執拗な妨害がなくなり、最近になってようやく隣国のトランジ王国へ情報を流している人物を突き止めることができた。その者はおそらく――いや、間違いなくアーメント侯爵と繋がっている」


 ルシエンヌは信じられないとばかりに目を見開き、クレイグを凝視した。

 確かにアーメント侯爵は――叔父は野心家ではあるが、隣国に通じているなどといった大それたことができるほどの度量を持ち合わせているとも思えない。

 だが、クレイグを信じると決めたのだからと、ルシエンヌは気持ちを落ち着けるためにゆっくりと息を吐き出した。


「ルシエンヌにとっては、つらい話になると思うが……」

「かまいません」


 すかさず答えたルシエンヌにクレイグは驚いたようだったが、何も言わずに頷いた。

 しかし、クレイグは続ける前にルシエンヌの手を励ますように再び強く握る。


「クロディーヌがどこまで関わっているのかはわからない。おそらく、子どもの頃――少なくとも私たちが結婚するまでは、侯爵の悪行は知らなかったのだと思う。だが今はわからない。ルシエンヌがこうして戻って来てくれた今、危機感を募らせた侯爵が娘であるクロディーヌに何を言って、何をさせるつもりかわからない」

「ですが、叔父はクロディーヌを愛しているはずです。それなのに、自分の悪事にクロディーヌを加担させるでしょうか?」

「侯爵も追い詰められているのは気づいているはずだ。だとすれば、どのような手段を取るかわからない。だから今はまだ表立っては動かないほうがいい。なにせ彼は……」


 何か言いかけたクレイグは、はっとして言葉をのみ込んだ。

 そのらしくない行動をルシエンヌは訝しんだ。


「クレイグ、何ですか? 大丈夫ですから、きちんと教えてください」

「しかし……」

「クレイグ、お願いです」


 ルシエンヌは促したが、それでもクレイグは言い淀んだ。

 ここまできてそれはないと、ルシエンヌもまたらしくなく食い下がった。

 すると、クレイグは手を繋いだままルシエンヌにまっすぐ向き直り、一瞬たりとも目を離さないとばかりに不安げなその顔をじっと見つめて話し始めた。


「まだ確証はない。だがおそらく……アーメント侯爵は先代侯爵を――ルシエンヌのご両親の事故に関与しているはずだ」

「……え?」

「当時は何も考えることなく、悲劇的な事故だと思っていた。だが、クロディーヌに違和感を覚え始めてから、なぜ彼女がいつまでも妃候補として残っていたのだろうと疑問に思ったんだ。彼女は妃候補としてあまりに魔力が弱い。そもそも彼女がアーメント侯爵令嬢でなければ、候補にさえなることはなかった。私は――おそらく神殿も、彼女の存在は現アーメント侯爵令嬢として皇宮にやってくるまで認識さえしていなかった」


 ルシエンヌはクレイグの言葉にショックを受けるあまり、頭の中が真っ白になった。

 今になって両親の事故が作為的なものだと――ひょっとして殺されたのかもしれないとわかって混乱する。


「先代侯爵はとても魔力の強い方だった。たとえ事故が起きたとしても、本来なら奥方とともに身を守るくらいはできたはずなんだ。それなのに……ルシエンヌ?」

「……はい?」

「大丈夫か?」


 ルシエンヌの動揺に気づいたのか、クレイグはその手を離して両手で細い肩を掴んだ。

 そのままそっと抱きしめる。

 自分が震えていたことにようやく気づいたルシエンヌは、クレイグの温かさに安心してほっと息を吐いた。


「ありがとうございます。落ち着きました」

「いや……できれば、もう少しだけこのままでいてくれないだろうか?」

「――はい」


 ルシエンヌがお礼を言ったが、クレイグは離そうとはしなかった。

 それどころか、抱きしめ続けてくれる優しさにルシエンヌは甘えることにした。

 早く話の続きを聞きたいと急く気持ちもあるが、この優しい沈黙がルシエンヌに頭の中を整理する時間を与えてくれる。


 あの日――両親が事故に遭ったあの日は、本来はルシエンヌも馬車に同乗する予定だった。

 しかし、当日になってルシエンヌは熱を出してしまい、領地へ戻ることを中止したのだ。

 両親もすぐに領地から戻ってくると約束し、急いで領地へと発ったのだった。


(でも、なぜあれほど二人は急いでいたの? いつもはもっと計画を立てて領地に戻っていたのに……)


 ルシエンヌも改めてあの日のことを思い出し、眉を寄せた。

 そのせいで体に力が入ってしまったのか、クレイグがそっと離れて心配そうにルシエンヌの顔を覗き込む。

 すぐ近くにクレイグの顔がある。

 それだけでドキドキする胸を手で押さえ、ルシエンヌは思い出したことを口にした。


「あの日、両親は急きょ領地へ戻らなければならなくなったんです。確か、叔父様からの手紙を受け取ってのことだったと思います」

「そうか……」

「……本当なら私も一緒に行くはずだったんです。いつも私たちは――両親だけでなく、私も一緒に行動していたから。でもあの日の朝、私が熱を出してしまって……すぐに戻るからと私だけ王都の屋敷に残ったんです」

「――ああ、そうだったな」


 話しているうちに涙がこみ上げ、震える声になってしまったルシエンヌを慰めるように、クレイグは再び抱きしめた。

 あの日の後悔は、両親の葬儀のときにクレイグに打ち明けている。

 ひどく取り乱し涙が止まらないルシエンヌをクレイグは抱きしめて慰め、皆が集まった葬儀の場ではずっと手を繋いでいてくれたのだ。

 クレイグはあのときよりずっと逞しくなった体で、堪えきれず泣き始めたルシエンヌを抱きしめ続け無言で慰めてくれたのだった。




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― 新着の感想 ―
もっと確証を得てからアーメント侯爵家の話を摺り合わせるのかと思ってましたがもう話すんですね。最後の対決が近いようでもう少し読みたいような、ようやくクライマックスへ向かうのかとホッとするような複雑な気持…
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