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「私はもう逃げません。レオルドのためにも、私は自分自身も信じようと思います」
「――ルシエンヌ、ありがとう」
ルシエンヌの決意を聞いて、クレイグは嬉しそうに笑った。
そして立ち上がると、ルシエンヌの隣に腰を下ろして、その手を握る。
「私がどれほどに嬉しいか、言葉では伝えようがないほどだ。いや、言葉以外でも伝えることができたのに、それをしなかったことで、あなたを傷つけたことに違いはない。だからこれから、どれだけ時間がかかろうとも、私の償いをさせてほしい」
「償いなんて……」
「もちろん償いだけではない。積極的に愛を乞うつもりだ」
クレイグは低くも甘い声で囁き、ルシエンヌの両手に口づけた。
その言動にルシエンヌがうろたえていると、クレイグは顔を上げてふっと微笑む。
「あなたの言動の源がレオルドだというのは少々悔しいが、今はまだレオルドに譲るよ」
「クレイグ?」
「だが、いつか……レオルドが私たちの助けを必要としなくなったときには、一番でありたい」
「……はい」
レオルドに対してクレイグが嫉妬のようなものを感じていると知って、ルシエンヌの心はくすぐったくなった。
それが愛なのか単なる思い出の中の恋なのかはわからないが、お互いレオルドが大切なことに変わりはない。
今一番に優先するべきなのもレオルドなのだとクレイグとわかり合えていることが、ルシエンヌは何より嬉しかった。
「一度、レオルドときちんと話をしてみます。あの子はとても聡い子だから、自分を責める必要のないことにまで気を回してしまっているようなので」
「そうだな」
だからこそ、ルシエンヌとクレイグの仲を心配してくれているのだ。
明日、二人が仲直りをしたと伝えれば、心から喜んでくれるだろう。
アマンが言うには、精神安定も魔力の乱れに関係あるそうなので、魔力酔いの症状も多少は軽くなるかもしれない。
そこまで考えて、ルシエンヌはやはりまだまだレオルドが自分にとって一番なのだと気づいて内心で苦笑した。
ところが、クレイグも同じように考えていたようだ。
「明日の昼食は一緒にとらないか? レオルドに二人が仲直りしたことを伝えれば、きっと喜ぶだろう。そうすれば、体調も安定するかもしれない」
思わずルシエンヌはふふっと声を出して笑った。
すると、クレイグが傷ついたような顔になる。
「あ、違います。笑ったのは、同じようなことを考えていたからで、クレイグにとってもレオルドが一番なのだと思うと嬉しかったんです」
「そうか……」
無表情で一言答えただけだったが、クレイグが喜んでいるのが不思議とルシエンヌにはわかった。
今までなら、何を考えているのか、怒っているのかもしれないと思っただろう。
クレイグの気持ちを信じられるようになっただけで、こんなにも自信が持てることにルシエンヌは驚いていた。
「では、明日は一緒に昼食をとってくれるんだな?」
「ええ、もちろんです」
ルシエンヌがしっかり答えれば、クレイグは生真面目に頷いた。
笑顔がなくても、今はもう傷つくことはない。
だが、クレイグが次に口にした名前に、ルシエンヌの浮かれた気持ちは急速に降下した。
「クロディーヌのことだが……」
「はい、何でしょう?」
「……悪いが、レオルドと会わせないように……いや、あなたもしばらくは彼女と距離を置いてほしい」
「え?」
さすがに予想外な言葉に、ルシエンヌは驚いた。
クレイグはわずかに言い淀み、ルシエンヌの目をじっと見つめながら続ける。
「今まで……私は即位してからずっと国政を正すために様々な角度から改革を試み、不正を暴いてきた」
「はい、存じております」
「私はそのことばかりに気を取られて、かすかな違和感をずっと見過ごしていた」
「違和感、ですか?」
「ああ。クロディーヌの言葉も当時は忙しすぎて、その違和感に気づくことはなかった。だが、今思い返せば、どうにも納得いかないことが多い」
「まさか、クロディーヌの言葉をすべて覚えているんですか?」
なぜか気まずくなったルシエンヌは半分冗談で言ったのだが、クレイグは当然とばかりに肯定する。
「そうだな。だが、一言一句というなら、自信はない」
「……まさか、私の言葉も?」
「あなたの言葉は一言一句覚えている」
「こ……子どもの頃のことも?」
「ああ」
いったいクレイグはどれだけルシエンヌを驚かせれば気がすむのだろうと思う。
ルシエンヌは唖然としてクレイグを見つめた。
しかし、残念ながら冗談の気配はない。
子どもの頃のどうでもいいくだらない話をしていたことを思い出して、ルシエンヌは顔を赤くした。
できれば忘れてほしいと思い、ふと気づく。
「ひょっとして……レオルドもそうなのでしょうか?」
「おそらくそうだろう。私が覚えているのは、魔力を暴走させた頃からだが、レオルドは生まれる前からだというのだから、驚きだがな」
本来ならレオルドの言動にもっと驚くか、幼子の戯言と信じないだろうことを、クレイグが受け入れたのは自分も同様に小さい頃からの記憶があったからだ。
さらには、レオルドのほうが記憶力――と言っていいのかはわからないが、とにかく魔力同様クレイグより優れているらしい。
そのことに、クレイグが嫉妬している様子がないことに、ルシエンヌは大きく安堵した。
できればクレイグのような経験――父親に嫉妬され拒絶されたどころか、疎外され邪魔をされていたようなつらい思いをさせたくない。
ルシエンヌがレオルドを想う気持ちは間違いなくクレイグも同様なのだ。
そこで、ルシエンヌははっとした。
「どうした?」
また話が逸れてしまっていたが、クレイグが口にしたクロディーヌへの違和感という言葉に、ルシエンヌは思い出したことがあった。
今度ははっきりと心配そうな表情でクレイグはルシエンヌを見ている。
ルシエンヌは言うべきか迷ったが、レオルドはもちろんクレイグの今後のためにも伝えておいたほうがいいと覚悟を決めた。
「クレイグは、オレリア様の遺言について――私に離宮を遺すとの遺言をクロディーヌに伝えられましたか?」
「まさか! そんなことを言うはずがない」
「ですよね……」
あのときはクレイグがクロディーヌに打ち明けたのだと傷ついたが、今はそんなことを言うはずがないと信じられた。
だとすれば、ベルトランが嫌がらせにクロディーヌに教えたのかと考え、それも不自然だと思う。
「ルシエンヌ、ひょっとしてクロディーヌは母の遺言を知っていたのか?」
「……はい。それでてっきりクレイグが打ち明けたのだと思っていたのですが……。先代陛下でしょうか?」
言いたくはなかったが、ベルトランがクレイグとルシエンヌの仲を裂くために伝えたのだろうかと口にして、やはり違和感を覚えた。
それはクレイグも同様らしい。
「先代陛下は――父はおそらく私とクロディーヌの噂を信じていたと思う。だとすれば、父はわざわざクロディーヌとの仲を取り持つようなことを言うはずがない」
「残念ながら、私もそう思います」
クレイグの推測を受けて答えたルシエンヌは、あのときのことを言おうか迷い、この状況で隠し事はなしにするべきだと口を開いた。
本当なら、父親が息子に――クレイグへ嫌がらせをしていたことを告げたくはない。
「結婚式の前日……先代陛下は私を呼び出され、陛下が――クレイグが私と結婚するのは、離宮などオレリア様から譲られた皇家の遺産を取り戻すためだとおっしゃいました」
「……そうか」
クレイグがぽつりとこぼした言葉は諦めに滲んでいた。
二人の仲を――夫婦仲を裂こうとするほどに、ベルトランは息子を疎んじていた証でもあるのだ。
改めてクレイグが傷つくのを見ていられず、ルシエンヌは握られたままの手を握り返した。
すると、すぐにまたクレイグはルシエンヌの手を持ち上げてキスをする。
「ありがとう、ルシエンヌ。だが、私は大丈夫だ」
いつもは変わらないクレイグの表情に、ほんのりと笑みが浮かぶ。
それはとても優しく温かい、そしてちょっと不器用なクレイグの心そのものが表れていたのだった。




