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ルシエンヌは昨日からのクレイグの言動に困惑し、まだ頭も心もついていかなかった。
それでも、クレイグの言葉に自分がどれほど無神経だったか気づかされる。
クレイグは子どもの頃からずっと、強すぎる魔力を持つゆえに周囲から恐れられていたのだ。
そんなクレイグに、幼馴染であり妻でもあるルシエンヌまでもが距離を置いてしまえば、完全に孤立してしまう。
そう考えたルシエンヌだったが、すぐにクロディーヌのことを思い出した。
「クロディーヌは……クロディーヌとは何もないとおっしゃいましたが、彼女は陛下を慕っております。陛下も私のことにかまわず――」
「クロディーヌが誰を慕っていようが、関係ない。私はあなたが好きなのだから」
クレイグの突然の告白に、ルシエンヌは目を大きく見開いた。
聞き間違いかとも思ったが、もう一度聞き直す勇気もない。
そんなルシエンヌの考えを読んだかのように、クレイグは強くルシエンヌの手を握って繰り返した。
「私はあなたが――ルシエンヌが好きだ。おそらく、子どもの頃からずっと……」
「で、ですが、クロディーヌが……」
「何度も言うが、クロディーヌは関係ない。いや、正確にはクロディーヌの話を聞くのは好きだった。それは、喪に服している間のあなたの話がたくさん聞けたからだ」
「私の……?」
「ああ。あなたが三年も喪に服すつもりなのだと聞いたとき、ご両親には悪いが残念に思った。そのときにはまだ、なぜそんな気持ちになるのかも理解せず、クロディーヌが『ルシー』の様子を話してくれるのを楽しみにしていた。ずっと嘆き悲しんでいると聞いて、気軽に会いに行けない自分の立場を呪い、笑うようになったと聞けば、どれだけ安堵したかわからないほどだった。そして、クロディーヌの話からあなたとはかなり親しく過ごしているのだろうと、彼女があなたに笑顔を取り戻させたのだと信じていた」
ルシエンヌはクレイグから語られるクロディーヌの話に驚いていた。
彼女は確かにルシエンヌが喪に服している間、親切ではあったが、そこまで親しくしていたわけではない。
それどころか、皇宮でクレイグとどんなふうに楽しく過ごしたかを喜々として語り、ルシエンヌは羨ましく思ったものだった。
「あなたの喪が明け、皇宮に上がってきたとき、私はかなり喜んだ」
「……そんなふうには見えませんでした」
「そうだな。私とあなたの出会いはあまりいいものではなかった。それからも、あなたの話を聞くことを楽しみにしていたというのに、初対面の気まずさとちょっとした反抗心から――いや、若い頃特有の気取った態度で、あなたに素直に接することができなかった。だから再会したときも喜びをあらわにするのはプライドが許さなかったんだ」
「それでも、ずっとクロディーヌと過ごしていらっしゃいました。私には見たこともない笑顔でクロディーヌの傍に……」
ルシエンヌはあの頃の嫉妬がよみがえり、恨み言のように口にしてしまったことで唇を噛んだ。
なぜ今さらという気持ちもあるが、それは自分も一緒なのだ。
クロディーヌの話に微笑むクレイグを見て、嫉妬するだけで自ら話に加わる努力もせずに逃げていた。
その臆病な気持ちは、今もまだルシエンヌの心にしっかり沁みついている。
クレイグの突然の告白に喜びよりも疑いの気持ちが強く、罪悪感が大きいのだと気づいた。
先日のレオルドの魔力暴走後から、クレイグはどうにかルシエンヌに歩み寄ろうとしている。
それはきっと、ルシエンヌが寝込んでいる間に、妊娠中と出産後の苦労をアマンから知らされ、クレイグは後悔に苛まれているのだ。
その考えは、続いたクレイグの言葉で確信に変わった。
「あなたが妊娠中、どれほど大変だったか……いや、命の危険にさらされていたのかも聞いた」
「アマンはそこまで話したのですか?」
絶対に秘密にしてほしいとお願いしたのに、と大恩あるアマンに苛立ってしまう。
やはりクレイグは罪の意識とともに、恩を感じているのだ。
そしてレオルドのためにルシエンヌと関係改善しようと必死なのだろうと考えて、ふくらんだ希望がしぼんでいく。
しかし、そんな考えが吹き飛ぶほど、クレイグは驚きの事実を口にした。
「アマンからは妊娠中のルシエンヌについての話は聞いていない。話してくれたのは、レオルドだ」
「え? いえ、え? レオルド?」
理解が追いつかず、ルシエンヌはあやふやな返事をしてしまった。
何かの冗談かとも思ったが、クレイグの顔は真剣である。
ルシエンヌは先ほどから驚きの連続であまりの動揺を落ち着かせようと、大きく深呼吸をした。
その間、クレイグは黙って待っていてくれる。
「陛下、やはり座ってください。このままでは話しにくいですので」
レオルドに関わる話ならルシエンヌも遠慮していられない。
これまでにないルシエンヌの口調に、クレイグもようやく立ち上がり、席へと戻った。
それだけで、ルシエンヌはわずかにほっとしてしまう。
皇帝だからというよりは、クレイグにすぐ傍にいられると、どうしても緊張してしまうのだ。
(レオルドを授かっているのに、おかしな話ね……)
そう考えて、ルシエンヌはかなり自分が落ち着いたことに気づいた。
そんなルシエンヌをクレイグはじっと見ている。
何を考えているのか正確にはわからないが、ルシエンヌが落ち着いたことには気づいたようだ。
一度大きく息を吐き出し、先ほどの続きを話し始めた。
「私も驚いたのだが、あなたが寝込んでいる間にレオルドが話してくれたんだ。レオルドは魔力が強いというだけでなく、かなり聡明な子だ。正直なところ、心配になるほどにな」
「ええ、それは私も思っております。もっと子どもらしく……いえ、子どもらしくというのは私の押し付けなのかもしれませんが、それでも今はもっと自由に過ごしてほしいのです。勉強は後からでもできますが、ちょっとした遊びや自然の中での新しい発見など、たくさんの経験を積んでほしいと思っております」
レオルドのことになると途端に饒舌になるルシエンヌを見て、クレイグは苦笑した。
その笑みで、ルシエンヌは我に返る。
「すみません。話しすぎました」
「いや、そんなことはない。あなたの話はレオルドのことだろうと他のことだろうともっと聞いていたい。だが今はレオルドについて、きちんと話をしたほうがいいな」
「……はい」
ルシエンヌは恥ずかしく思いながらも、クレイグがまた「話を聞いていたい」と言ってくれたことを嬉しくも思っていた。
あまりに単純な自分に笑いたくなるが、今はレオルドについての大切な話なのだ。
「話が逸れてしまいましたが、レオルドは私のお腹にいた頃の記憶があるということでしょうか? 記憶があるだけでなく、そのときのことを理解していると?」
「ああ。私も信じられなかったが、レオルドは『自分があなたの魔力を奪ってしまわないように頑張った』とも言っていた。アマンがレオルドを諦めたほうがいいと言っていたことも聞いていたようだ」
「そんな……」
「だが、それも当然だと、むしろそうしてほしいとまで思っていたようだ。だが、あなたは断った。自分よりもお腹の子を優先してほしいと。そしてアマンが必死に助けてくれたのだと。私はアマンにもどれほど感謝すればいいのか……それなのに、嫉妬のあまり彼女にまで冷たく当たってしまった」
「え……?」
レオルドの話した内容をクレイグから聞いていたルシエンヌは、一瞬聞き逃すところだった。
だが、クレイグはアマンを『彼女』と呼んだ。
そのことに驚くルシエンヌに、クレイグは自嘲するように唇の端を上げた。
「私があまりにアマンに攻撃的なものだから、嫉妬していると気づいた彼女は自分の性別を教えてくれたんだ。女性であるために、医師として世間から責められないように性別を偽っていたのだと」
「そこまで……」
「アマンはおそらく私を信用してくれたわけではない。あなたへの誤解を解くためだ。レオルドが話してくれたのも、あなたに対する私の理不尽な態度を改めさせるためだろう。それだけ――皆が秘密を打ち明けなければならないほど、私は愚かだということだ」
クレイグの言葉に、ルシエンヌは黙って首を振って否定した。
愚かだというのなら、ルシエンヌこそが一番の愚か者だろう。
クレイグを好きだと告白する勇気もなく、クロディーヌに嫉妬し、ただ選ばれるのを待っていただけで、結婚してからも受け身でいるばかりで自分から行動することさえなかった。
レオルドを妊娠したときも、つらい自分、耐えている自分のことだけで精一杯で、クレイグが真実を知ったときに傷つくかもとは思いもしなかったのだ。
それどころか、レオルドさえも傷つけていた。
それもすべて、自分の愚かなプライドを守るためだった。
「……私は陛下を――いえ、クレイグを信じます」
「ルシエンヌ……?」
「私は……自分が傷つくのが怖くて、クレイグを信じることができませんでした。それも愚かなプライドのためなんです」
ルシエンヌが自分の今の気持ちを正直に告げると、クレイグは戸惑っているようだった。
一度抑えつけ諦めてしまった『好き』の気持ちはどこにあるのか、自分でもわからない。
それでも、もう逃げることはしないと、これからは自分の気持ちは正直に伝えようと、ルシエンヌは強い意思をもってクレイグを見つめた。




