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「――レオルド、今夜から母様は自分の部屋に戻ります。でもレオルドが寝るまでは傍にいますからね」


 翌朝、いつものように目覚めたレオルドの世話をナミアと行い、朝食を終えてしばらくしてから、ルシエンヌは切り出した。

 レオルドはその言葉に一度首を傾げたが、すぐに理解したのか目を丸くする。

 ひょっとして寂しがるだろうか、嫌だと我が儘を言ってくれるだろうかと考えていたルシエンヌだが、レオルドは嬉しそうに笑った。


「かあしゃま、とうしゃまとなかなおりしたですね?」

「え、ええ。仲直りというか……別に、ケンカをしていたわけではないのよ?」


 確かに二年以上の別居生活はあったが、皇宮に戻ってきてから、あの再会以来はレオルドの前でクレイグとケンカしていたような素振りは見せていないつもりだった。

 それでも、二人の間のぎこちない空気を、レオルドは聡いので気づいていたのだろう。

 ルシエンヌはそう考えたのだが、レオルドは小さく首を横に振る。


「ぼくはかあしゃまととうしゃまがなかよくしてくれたら、すごくしあわせです。だからだいじょぶです」


 レオルドのいじらしい言葉に、ルシエンヌはたまらなくなってぎゅっと抱きしめた。

 昨夜のリテに対するよりは力を緩めたつもりだったが、レオルドはきゃっきゃと笑いながら悲鳴を上げる。


「かあしゃま、くるしいです~」

「母様もレオルドが大好きすぎて苦しいのよ」


 ルシエンヌも笑って言い返し、その場は明るい笑い声に包まれた。

 ナミアはそんな二人を微笑ましそうに見ていたが、リテたちルシエンヌの侍女は皇妃の部屋の準備にと席を外している。

 レオルドの世話はしばらくルシエンヌの侍女たちにお願いするつもりだったが、改めてレオルド付きの侍女の人選をしなければならないだろう。

 いくらクレイグがこの帝国の絶対的存在であっても、皇宮内の使用人のすべてを従えているわけではない。

 どれだけクロディーヌの――アーメント侯爵たちの息がかかっているかわからない今は、人選もかなり慎重に行わなければならないのだ。


(この二年間でかなり変化があったようだけれど……)


 ルシエンヌは離宮に滞在中から、オレリアの元侍女を通して使用人の人事をある程度は把握していた。

 男性使用人よりも女性使用人の顔ぶれがかなり変わっているのは、どうやらクロディーヌとアーメント侯爵夫人が我が物顔で口を出していたからのようだ。

 政務官に関してはクレイグ配下の者たちの采配であるが、やはり使用人――特に女性使用人については女主人の支配下にある。

 クロディーヌたちが口を出していたというのは、皇宮内で女主人として振る舞っていたという証でもあった。

 おそらく、ルシエンヌが離宮に籠ってしまったことで、クレイグはいずれは離縁した後にクロディーヌと再婚すると思われていたに違いない。

 実際、ルシエンヌもその懸念は――レオルドから引き離されてしまう恐怖は常にあった。

 結婚前から恋仲にあると噂されていたクロディーヌとクレイグは、神殿に引き裂かれた悲恋の二人として大衆劇にもなっているらしい。


(まあ、その戯曲作家も叔母様が支援しているのは知っているけれど……)


 ルシエンヌはレオルドが家庭教師について午前の勉強をしている間、これからのことをあれこれと考えていた。

 クレイグが即位してから内政改革にかなり苦心していたのは知っている。

 ベルトランが政治に興味がなく、政務官たちに腐敗が広がっているのを、オレリアでさえ苦慮していたのだから。

 そして、改革を行おうとしている息子を心配していた。

 離宮に籠っていた先代皇妃は、それでも皇宮内の使用人の人事には目を光らせていたのだ。

 誰が信用できるか、信用に値しなくても味方につけておくべきか、などルシエンヌは先代皇妃から教えられ、名簿も受け継いでいる。

 だが、さすがに魔力を喪失して回復するまでの間、皇宮内の人事にまでルシエンヌが気を回すことはできなかった。

 その間に、クロディーヌたちは皇宮内だけでなく世間をも味方につけ、オレリアから引き継いだ信頼に値する使用人たちを解雇するか、閑職へと追いやっていたのだ。


(クレイグが本当はどういうつもりかはわからないけれど……それでも、私は皇妃としてやれるべきことをやらなければ……)


 クレイグがルシエンヌのことを想ってくれているという期待は捨ててはいない。

 とはいえ、まだ完全に信じることはできない。

 当然ながら「好き」だとの言葉も何ももらっていないのだ。

 だが、クロディーヌとの間に何もない、という言葉は信じられる。

 それはおそらく、ルシエンヌとの結婚前から、クロディーヌにクレイグが優しい笑顔を向けていた頃も含めてだろう。

 もちろん、クロディーヌとの間に何もなくても、気持ちだけは縛ることはできない。

 それでもクレイグは後継者であるレオルドを得た今も、皇妃としてルシエンヌを選んだのだ。

 それならば、ルシエンヌにも皇妃としての責任を果たさなければならない。


(でもこれって、まるでクレイグを試していたみたいよね……)


 魔力体力が回復する間の二年は何もできなかった。

 その間にクロディーヌたちが人事に手を出していることも知っていたが、クレイグとの仲を考えるとそれも仕方ないことだと諦めてもいた。

 ただレオルドのことだけを考え、噂を信じてクロディーヌが愛情を与えてくれていると寂しいながらも安心してもいた。


(噂でさえ作れるものだってことにうっかりしていたわ……)


 レオルドの寂しさを考えれば後悔が募る。

 だが、過去を取り戻すことはできなくても、これからを幸せで満たすことはできるのだ。

 そのためにも、ルシエンヌは立ち上がらなくてはならない。

 ルシエンヌは真剣に教師の話を聞くレオルドを優しく見つめ、それからそっとその場を離れた。

 レオルドはもうルシエンヌが少し離れたくらいで不安そうになったりしない。

 少しだけ増えた玩具がしっかり片づけられた遊戯室兼勉強部屋から出たルシエンヌは、居間の隅に据えられた書物机に向かった。

 そして、手紙を書いては封をしていく作業を始めたのだった。




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― 新着の感想 ―
2歳児だけがかしこいな。
好きだという言葉を貰ってないってルシエンヌもクレイグに好きだと伝えてなかったよね。それどころか皇妃候補に決まった時になりたくなかったと受け取れる発言はしてたという…ルシエンヌ本人は気付いてなさそうだけ…
さあ反撃開始!ですね。 しかし、侯爵家平民も味方に取り込もうとはなかなか侮れないですね。
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