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今はレオルドのお昼寝中なので、と断るように伝えた侍女を押しのけてクロディーヌが入ってくる。
ルシエンヌは驚きとともに、無意識に立ち上がって近づいてくるクロディーヌを迎えた。
「嫌だわ、ルシー。殿下が寝ていらっしゃるからこそ、あなたと話ができるんじゃない」
「……私と話をしたいの?」
「ええ、もちろんよ。今後のことについてね。今日のあなたは殿下のお昼寝に付き添っていないと聞いたから、ようやく話ができると思って急いでやってきたの」
クロディーヌのその言葉を聞いて、ルシエンヌは目を見開いた。
いつもレオルドのお昼寝に付き添っているが、今日だけは違うことを知っているのはこの部屋付きの者たち以外ではクレイグだけだ。
外にいる衛兵でさえ知らないはずで、ルシエンヌはショックを受けるとともに、改めて二人の親密な関係を思い知らされた。
ルシエンヌが皇妃の部屋に戻るつもりでいることももう聞かされたのかもしれない。
「……大きな声を出さないと約束してくれるなら、どうぞ」
「あら、当然よ。長話をするつもりもないわ」
ルシエンヌは仕方なく、クロディーヌを居間の応接ソファへと勧めた。
クロディーヌは言葉だけでなく態度でも当然とばかりに、ソファへ我が物顔で腰を下ろし、控えていた侍女に茶葉の注文までする。
侍女はちらりとルシエンヌを窺ったが、すぐに目を伏せて控室へと入っていった。
どうやらルシエンヌの命令よりも、クロディーヌのほうが優先らしい。
そのことに苛立ちはしなかったが、ルシエンヌはクロディーヌの長くない話が何なのか気になりつつも態度には出さずに待った。
「それで、何なの?」
「まあ、ずいぶん冷たいのね。陛下が戻っていらしても、まだ皇妃の座にいられるから強気なのかしら?」
「……母として、子を守るためには強くなれるのよ」
「二年以上も放っておいて? 今さら戻ってきて母親面するなんて、ずうずうしいわね。殿下も母親の存在が珍しいから懐いているだけよ。調子に乗らないほうがいいわ」
「それが長くない話なの?」
「あら、違うわよ」
もちろん違うのはわかっていたが、ルシエンヌはあえて問いかけた。
クロディーヌが何を言おうと、もう引くつもりはない。
これから先、レオルドの傍にいることはクレイグも認めてくれたのだ。
たとえ皇妃の座を追われようと、クロディーヌがクレイグと再婚しようとかまわなかった。
とはいえ、本音を言えばさすがにつらい。
今のようにレオルドの部屋に籠ったままでいられないが、だからといってレオルドを離宮へ連れていくことは許されないだろう。
(ひょっとして、先ほどのクレイグの質問――皇妃の部屋に戻るつもりかどうか訊いてきたのは、クロディーヌに与えるため?)
あの部屋は皇帝の部屋と隣り合っているために、皇妃の部屋と呼ばれているが、皇妃でなければ使用できないわけではない。
過去には何人もの皇帝が愛妾に与えていたようだ。――皇妃が存在しても、していなくても。
ルシエンヌもクロディーヌも、侍女がやってきたことで会話を続けることはなかったが、お互い微笑みを崩すことはなかった。
侍女は二人の間にカップを置きながら、好奇心を隠さずにちらちらと二人を見る。
だが、ルシエンヌもクロディーヌも無言でお茶を飲み始めたことで、諦めて控室へと戻っていった。
それからしばらくして、先にクロディーヌがカップを置く。
「さて、では本題に入りましょうか」
「――どうぞ」
ルシエンヌは微笑んだまま、ゆっくりとカップを置くと、促すように首を軽く傾げた。
あくまでも皇妃はルシエンヌであり、ただの侯爵令嬢でしかないクロディーヌより圧倒的に身分が高いのだ。
以前と違って従妹だからと、遠慮も配慮もしない。
レオルドがたまに漏らす言葉から、クロディーヌが悪影響を与えていたのは間違いなく、それがルシエンヌは許せなかった。
たとえレオルドがどれほど優秀でも、まだたったの二歳なのだ。
ルシエンヌが傍にいられない分、噂のようにクロディーヌが愛情を持って接してくれているのだろうと信じていた。
だからこそ、一年ほど前の「産んでくれてありがとう」発言だと思っていた。
ところが、世話をすることもないどころか、ほとんど会いにくることもなかったらしい。
それなのにルシエンヌが選んだ乳母や養育係を解雇したのは、単なる嫌がらせとクロディーヌにとって都合のいい噂を世間に広めるためだろう。
我が子を捨てた皇妃の代わりに、甲斐甲斐しく世話をする侯爵令嬢を世間は支持している。
未だに皇宮内でもクロディーヌ支持が根強いのは、ルシエンヌが表に出ないからでもあった。
しかし、ルシエンヌにとって世間の噂も支持もどうでもいいのだ。
レオルドさえ健やかに育ってくれるなら、見せかけの皇妃でいてもかまわなかった。
そんな心の余裕があるルシエンヌに対して、クロディーヌはかなり苛立って見える。
その愛らしい顔から笑みを消し、形のいい眉を吊り上げてルシエンヌを睨みつけた。
「余裕でいられるのも今のうちよ。陛下は私を愛しているんだから」
「それで?」
動じた様子のないルシエンヌに、クロディーヌのほうが動揺したようだ。
一瞬怯んだようではあったが、すぐに表情を傲慢な笑みに変えて続けた。
「だから、あなたはお飾りの皇妃でしかないってこと。殿下があなたに懐いているから、仕方なく陛下はあなたを皇妃の座においたままなのよ」
「それの何が問題なの? あなたが陛下と愛し合っているというのなら、愛妾としてどうぞ一緒に過ごせばいいわ。まあ、最近は陛下もお忙しくてそのお時間もないようだけれど」
少しでも捻出した時間はレオルドのために使ってくれている。
それを知っていたルシエンヌは、にっこり笑って告げた。
実際にクレイグとクロディーヌが愛し合っていようと、それはもうずっと前から知っていたことだ。
今さら傷つくことはなく、クレイグがレオルドを愛してくれていることがルシエンヌには重要だった。
そして、レオルドの傍にいられることも。
「まさか、話というのはそれだけ?」
「そ、それだけって……みじめじゃないの? 陛下の気持ちは一生あなたには手に入らないのよ?」
「だとしても、私はレオルドを授かることができたわ。それだけで一生分の幸せを手に入れられたと思っているの」
「信じられない! 陛下のことはどうでもいいって言うのね!?」
「声を落としてくれない? レオルドが起きてしまうわ」
クレイグにまた歪んで伝わるのかと思いつつも、ルシエンヌは答えずレオルドの心配をした。
クロディーヌは怒りに魔力を乗せて放ったが、ルシエンヌに影響もなければ、レオルドが起きてくることもない。
それだけ、クロディーヌの魔力は弱いのだ。
「とにかく、話がそれだけなら、そろそろレオルドの起きる時間だし、出て行ってくれないかしら?」
「ルシエンヌ……あなた……」
クロディーヌは怒りに震えながら立ち上がった。
思わずルシエンヌは身構えたが、クロディーヌは醜く歪んだ顔で見下ろしてくるだけ。
テーブルを挟んでいなければ手を出されたかもしれない。
ルシエンヌもまた立ち上がり、目線を合わせると再び微笑んだ。
「見送りは必要?」
「けっこうよ!」
吐き捨てるように言って、クロディーヌは踵を返して部屋を出ていった。
ほっと息を吐いたルシエンヌはソファに腰を下ろし、残っていたお茶を飲む。
初めてクロディーヌに勝てたような充足感に満たされている。
今まで戦っていたつもりもないが、内心ではやはり対抗心があったのだろう。
そんな自分に気づいて、ルシエンヌは自嘲したのだった。




