33
「とうしゃま、だいじょぶですか?」
「大丈夫だ。ありがとう、レオルド。ちょっと自分の不甲斐なさにショックは受けているがな」
クレイグの顔色を心配したレオルドに、何でもないとばかりに答える。
二歳の息子に心配をかけてしまうなど情けないことこの上ないが、すべて自業自得なのだ。
それでも、きちんと聞かなければと、クレイグは話を戻した。
「それで、ルシエンヌに――母様に意地悪をした者は他にいないか?」
「……あいたいって、いったひとはたくさんいたみたいです。でもみんなことわってました。クロディーヌだけがいつもむりやりやってきて、かあしゃまはへいきなふりをしないとだめでたいへんそうでした」
「ルシエンヌはいつも無理をする」
「はい」
レオルドの知らないこと、一年余り前に離宮に乗り込んだときも、ルシエンヌは気丈な態度でクレイグに接していた。
だが、冷静にあのときのことを思い出せば、ルシエンヌは驚くほど瘦せ細っていたように思う。
そんな目の前の実情さえ見ようともせずに嫉妬と怒りに任せてルシエンヌを攻撃したことはクレイグを酷く苛んだ。
どうやってルシエンヌに償えばいいのかわからない。
こんなに愛しい子を産んでくれた感謝の気持ちもまだきちんと伝えていない。
感情がくちゃぐちゃで整理できないでいるクレイグに、レオルドはさらに衝撃の事実を伝えた。
「かあしゃまがぼくをうんで、いきるかくりつはほとんどなかったです」
「――え?」
「でも、アマンがいっしょうけんめいかあしゃまをたすけるために、かんがえてくれて、うまれたぼくからすぐにはなれることでちた。かあしゃまはぼくをいちどもだいてくれなかったけど、ぼくはそれでよかったです。かあしゃまはないていたけど、ぼくはアマンがかあしゃまをたすけてくれるように、かみさまにおねがいしてました」
女性は出産時に大量の魔力を喪失する。
そんな当たり前のことさえ失念して、一度も我が子を――レオルドを抱くことのなかったルシエンヌをクレイグも誰もが責めた。
クロディーヌもアーメント侯爵夫妻も、身内でさえ味方にならず、皇宮内では皇妃様はなんと冷たいのだと誹る者ばかりだった。
孤立無援の中で、それでもレオルドに会うために戻ってきてくれたルシエンヌの勇気と愛情に、クレイグは知らず涙を流していた。
「とうしゃま、ないてる?」
「ああ、そのようだ」
記憶にある限り、初めて涙を流したクレイグは、己の頬を触って驚いた。
クレイグの感情を揺らすのはいつもルシエンヌなのだ。そして今はレオルドも。
ふふっと笑ったクレイグは、レオルドが貸してくれた人形を見下ろした。
クレイグが怖がらないようにと人形を渡されたときには意味がわからなかったが、おそらくルシエンヌがレオルドが怖がったときにそう言って慰めたのだろう。
レオルドの優しさはルシエンヌから受け継いだものだ。
今まで、何度か顔を合わせたレオルドは、まるで幼い頃の自分のように何事にも無感動だった。
クレイグは人形ごとぎゅっとレオルドを抱きしめ、深く息を吐いた。
「とうしゃま?」
「……母様は父様を許してくれるだろうか?」
「うーん? おこってないから、だいじょぶ」
気弱なクレイグの言葉に、レオルドは頼もしく返事をしてくれた。
ほっと安堵したのもつかの間、クレイグはルシエンヌから許し以上のものがほしいことに気づいてしまった。
「……母様は、父様を好きになってくれるだろうか?」
「うーん? それはわかりまてん」
残念ながら、今度は頼りない返事だった。
だがそれも自業自得で、二歳の息子に頼るべきではない。
それなのに、レオルドは小さな手でクレイグの脇近くの背中をぽんぽんと叩く。
腕を回して精一杯届く位置が脇腹近くだったのだろう。
「とうしゃま、がんばって」
幼い息子に励まされたことに、クレイグは思わず噴き出した。
ルシエンヌがクレイグを許してくれるなら、これから信頼を取り戻し、愛を勝ち取ればいいのだ。
そう決意したとき、寝室側の扉がそっと開いた。
はっと振り向けば、そこにはアマンが立っている。
「やはり陛下でしたか……」
後ろ手にそっと扉を閉め、小声で呟くように言ったアマンは、クレイグの顔を見て目を丸くした。
おそらく涙のあとに気づいたのだろう。
「どうかされたのですか?」
「いや……ああ、そうだな。私が今までどれだけ無知で傲慢だったか、思い知らされたところだ。そして、レオルドが天才だということもな」
「ぼく、かあしゃまのことつたえただけです」
「それでも、母様のお腹にいた頃のことを覚えているなんて、天才だよ。それに教えてくれて、本当に助かった。ありがとう、レオルド」
レオルドを抱いたまま立ち上がったクレイグは、驚き立ち尽くすアマンへ目を向けた。
それからレオルドを下ろし、深く頭を下げる。
「陛下!?」
「ルシエンヌとレオルドを救ってくれて、感謝する。本当に、言葉には尽くせないほどだ。ありがとう、アマン」
「いえ、そんな……」
アマンは皇帝であるクレイグに頭を下げさせていることに動揺して、ろくな返事もできなかった。
そもそもレオルドがルシエンヌのお腹にいた頃の記憶があったなど初耳で、その情報さえも理解できていない。
そうこうしているうちに、クレイグは自身に浄化魔法をかけて涙のあとを消し、いつもの威厳ある皇帝へと戻った。
「できれば顔が見たいが、起こしては悪いからな。これで失礼するが、またルシエンヌが落ち着いたら会いたい。そう伝えてくれ」
「か、かしこまりました」
レオルドの頭をくしゃっと撫でてから、クレイグは踵を返した。
アマンは未だ得たばかりの情報を処理できないまま、頭を下げてクレイグを見送る。
そしてレオルドの部屋から出たクレイグは、すれ違う者皆が恐れひれ伏すほど今までにない厳しい顔つきで執務室へと戻っていった。




