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ルシエンヌが意識を取り戻したと報告を受けてから数日。
未だに面会を許されることはなく、クレイグは苛立っていた。
ルシエンヌに影響がないよう、己の魔力を抑えることはできる。
とはいえ、皇宮に戻ってすぐにルシエンヌに久しぶりに再会したクレイグは、嫉妬のあまり魔力を放ってしまったのだ。
あのときのことを思い出すと、自信があった魔力制御もルシエンヌが絡むと絶対大丈夫だとは言い切れなかった。
クレイグが魔力制御できなくなったために、レオルドは魔力を暴走させ、ルシエンヌは生死の境をさまようことになってしまったのだから。
(そうだ、あれは嫉妬だったのだ……)
アマンが女性だと知ってから、クレイグもかなり冷静になり、自分のこれまでの過ちを知ることができた。
ルシエンヌが昔のように接してくれないことに対する苛立ち。
どうにかルシエンヌに意識してもらいたくて、ことさらクロディーヌと親しくしていたように思う。
その幼稚な言動を思い出し、クレイグは頭を抱えた。
それでも、結婚できたときには嬉しかった。
ただどうしても、先代皇妃――母がルシエンヌに皇家の財産を遺したことで、クロディーヌから聞かされていた手紙のやり取りも相まって、自分だけが除け者にされた気持ちになり、わだかまりを持ち続けていた。
そのために、素直に接することができず、必要以上に傍に近づけず、夜も義務としてしか過ごすことができなかったのだ。
本当は昔のような笑顔を見たかったというのに。
結婚してからのルシエンヌは常に緊張しており、久しぶりに見た顔は恐怖に引きつっていた。
クレイグは己の愚行に深くため息を吐いて、顔を上げた。
やらなければならないことは多い。
その中の一つに、先代アーメント侯爵夫妻が亡くなった事故についての調査もあった。
先代アーメント侯爵はかなり魔力が強く、馬車の事故ごときで亡くなるにしては不自然なのだ。
領地へ急ぎ向かう途中の山道で、馬車ごと崖から落ちたとのことだったが、侯爵の力があれば防御魔法を展開して自身だけでなく人馬ともに守ることができたはずだった。
それができなかった何か――。
改めてクレイグが極秘裏に調べ始めたところ、先代アーメント侯爵が亡くなってから、国政はさらに不正がはびこるようになっていた。
賄賂が横行し、一部の者に富が集中し、民には重税が課されるようになったのだ。
それどころか、隣国トランジ王国へ希少鉱物が不正に流出しており、皇宮内の要職に身元が曖昧な者が登用されている。
なのに、クレイグの父は無頓着のまま、己の快楽に興じてばかりいた。
クレイグが意見をしようものなら烈火のごとく怒り、皇太子としての権限を取り上げようとさえした。
おそらく、クレイグ以外に子がいれば、たとえ魔力で劣っていようとも、その子を皇太子としただろう。
(ひょっとして、父も世間の噂と同様に、私がクロディーヌを望んでいると思っていたのか……?)
もしそうなら、ルシエンヌを息子の妃としたい妻オレリアへの嫌がらせとしてクロディーヌを最終候補に残したことに説明がつく。
また、オレリアが亡くなっても、クロディーヌを望んでいるクレイグへの嫌がらせとして、ルシエンヌが妃に選ばれたときに異を唱えなかったのではないか。
実際、オレリアの遺言を知ったクレイグは、ルシエンヌへ一過性ではあったが怒りを抱いていた。
(あれは、裏切られたとの気持ちが強かったからだろうな……)
当時の自分の気持ちを改めて分析したクレイグは、どれだけ自分が周囲の思惑に操られていたかを自覚して恥じた。
父のベルトランだけではない、おそらくクロディーヌとその背後にいる現アーメント侯爵の企み――権力を握り、さらなる私腹を肥やそうとしていることにも気づけないでいたのだ。
正直なところ、出会った頃のクロディーヌに悪意があったとは思いたくはない。
ルシエンヌが喪に服している間、クロディーヌと過ごすのは実際楽しかった。
クレイグにとっては友情だと勝手に信じていたが、クロディーヌにとっては違ったのだろう。
過去のクロディーヌの言葉をひとつひとつ思い出せば、時間が経つにつれてルシエンヌの近況を話す口ぶりには、少しずつ悪意が滲んでいた。
今思えばおかしなことは多かったのに、当時は気づかず感情に任せていたことが情けない。
クレイグの母子仲を知っているはずなのに、先代皇妃とルシエンヌとの手紙のやり取りを何度も告げてきたこと。
単なる考えなしの言動とも思えるが、その言葉の中には「魔法で本人にしか開けられないように封印されている」「読み終われば魔法で消える仕組みになっているみたい」といかにも二人の間には知られたくない秘密があるように話していた。
それは開封しようと試み、手紙を盗み見ようとしていた証でしかない。
もし本当にクロディーヌがルシエンヌのことを思うなら、世間の噂――アマンとのただならぬ仲といったものも、どうにか誤魔化そうとしてくれたはずだ。
しかし、アーメント侯爵夫妻とともに、ルシエンヌの不貞の証拠を示すような話ばかりをクレイグに吹き込んでいた。
(まあ、それを素直に信じた私が愚かだったのだが……)
妊娠中に苦しむルシエンヌにもっと寄り添うべきなのに、アマンとの噂を信じて見舞いを一度断られたくらいで配慮を欠いた。
産後、離宮に移ってからは、子を疎んじているとのクロディーヌの言葉を信じて腹を立てた。
さらには、産後なかなか戻ってこないルシエンヌにしびれを切らし、離宮に乗り込んでルシエンヌを罵倒してしまったのだ。
あのときは先日以上に、怒りに任せて魔力をぶつけてしまったと思う。
(それでまたルシエンヌは寝込んでしまったのだろう)
そのせいで、ルシエンヌは息子であるレオルドに会って抱きしめることができなくなってしまったのではないか。
まだたった二歳であれだけの魔力を持つレオルドに、母であるルシエンヌが体内の魔力が乱れたまま触れ合うのは危険でしかない。
レスター家の医師であるアマンなら、その判断を下し、ルシエンヌの魔力が完全に回復するまでレオルドとの接触を許可しなかったのだろう。
考えれば考えるほど、クレイグは数年にわたる己の愚行を悔い、どうしようもなくなって執務室を出た。
クレイグが即位して数年。
汚職にまみれた政務官たちを処分してはきたが、やらなければならないことはまだまだある。
不正を働く者たちを処分しても、彼らは末端でしかなく、腐敗した内政部の中枢――おそらくトランジ王国の内通者にはまだたどり着けないのだ。
それなのに、今はどうしてもルシエンヌのことばかり考えてしまう。
そして気がつけば、クレイグはレオルドの部屋の前までやってきてしまっていた。
まだ面会の許可は下りていなかったが、衛兵はクレイグの姿を認めると当然咎めることもなく、あっさり扉を開いた。
ルシエンヌとの面会はできなくても、レオルドに会うことはできる。
無事に回復したとの報告は受けていたが、クレイグはレオルドともあれ以来会っていなかったため、魔力をできる限り抑えて部屋へと足を踏み入れた。
「……とうしゃま?」
突然入ってきた皇帝の姿に、レオルドの傍にいた養育係――ナミアは慌てたようだ。
しかし、レオルドは落ち着いた様子で、父親に不思議そうな視線を向けた。
レオルドの傍で頭を下げるナミアと、部屋の隅で深く膝を折る侍女たちに気にするなとばかりに、クレイグはぞんざいに手を振った。
それに応えて、ナミア以外の侍女は部屋から出ていく。
クレイグは目を伏せたままのナミアに問いかけた。
「レオルドの調子はどうだ?」
「――はい。ご報告いたしました通り、すっかりお元気になられました」
「今は遊びの時間か」
「さようでございます」
「では、悪いがしばらく二人きりにしてくれ。私がレオルドの相手をしよう」
「……かしこまりました」
ナミアはちらりとルシエンヌが眠る寝室のほうへ視線を向けたものの、すぐにクレイグの言葉に従った。
そんな二人のやり取りを黙って聞きながら、レオルドはクレイグをじっと見ていたのだった。




