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「――ルシエンヌは私を嫌っていたようだが、レオルドのことは愛してくれているのだな」
「はい?」
アマンはぽつりと呟いたクレイグの言葉に驚いた。
いったい何をどう誤解すれば、ルシエンヌがクレイグを嫌いだという結論に至るのかと。
そこでふと、クロディーヌのことを思い出した。
彼女はアマンが知るだけでも、悪意そのものである。
ルシエンヌの不貞やその他の悪意ある噂を広めたのもクロディーヌだろう。
間違いなく、クレイグにもあることないこと吹き込み、ルシエンヌとの仲を裂いたのだ。
「ルシエンヌ様は――」
クレイグを嫌ってなどいないと伝えようとして、アマンは口を閉ざした。
ルシエンヌの気持ちを勝手に伝えるわけにもいかない。
そもそも、今はルシエンヌがクレイグをどう思っているのかは、アマンにもわからないのだ。
妃候補時代にルシエンヌがクレイグに想いを寄せていたことは、実際に二人を見ていなくてもわかった。
妊娠してから皇宮に呼ばれたとき、まだルシエンヌの気持ちが変わっていないのだとも知った。
だが、最近のルシエンヌはどうかと問われれば、答えることができない。
「ルシエンヌがどうした?」
言いかけて口を閉ざしたきりのアマンに焦れたように、クレイグは促した。
ルシエンヌが確かにクレイグを慕っているなら、今からでも二人の仲を取り持ちたい。
だが、ルシエンヌの気持ちがわからない今は、余計なことをするべきではないと判断した。
クレイグの気持ちもわからないままではあるが、できることは一つだけ確実にある。
「……ルシエンヌ様と私とのあらぬ仲が皇宮内で噂されていることはご存じかと思います」
「――そうだな」
一時期は、皇妃の腹の子は主治医のアマンではないかといった、かなり悪質なものまで流れていたのだ。
ルシエンヌが結婚してから妊娠するまで、アマンとは一度も会ったことはなかったというのに。
当然、その噂はレオルドが生まれた時点で消えたが。
「その噂について、陛下はどう思っていらっしゃったのですか?」
不敬を承知で、アマンはかなり切り込んだ質問をした。
これで誠実な答えが得られないのなら、こちらも正直に話す必要はない。
アマンが覚悟を決めて待てば、クレイグは重い口を開いた。
「私は……ルシエンヌが不貞を働いたと思ったことは一度もない。だが……心ばかりは縛ることなどできない。ルシエンヌは妃として、立派に義務も果たしてくれた。ならば、私が何か言えることもない」
「……義務ですか? ルシエンヌ様が義務だけで、殿下をお生みになったと?」
「違う! そういう意味ではなく、私が……私にはもうルシエンヌに何かを求める理由がなくなってしまったんだ」
クレイグの答えに、一瞬怒りが湧いたアマンだったが、その後の言葉で落ち着きを取り戻していった。
今、クレイグは大切な告白をしたも同然である。
当人はそのことに気づいておらず、聞くべき相手も未だに意識はないが、アマンにとっては意味ある言葉だった。
「……ルシエンヌ様はずっと、先代皇妃様にご病気のことを陛下に打ち明けられるようにと説得しておいででした」
「ルシエンヌが……」
「はい。ですが、先代皇妃様は……どうしてもご自身が培ってきたプライドが邪魔をして謝罪できずにいらしたようです」
ルシエンヌが何度も説得していたことは、オレリア本人から聞いていた話である。
だから伝えてもいいだろうとアマンは判断した。
「先代皇妃様は『今さらクレイグに打ち明けても、拒絶されるのが怖い』とおっしゃっておられました。確かに、拒絶されることはとてもおつらいことですし、プライドが傷つくでしょう。ですが、後悔を残したままのほうが、ずっとつらいことだとお思いになりませんか?」
アマンの話を聞いて、クレイグはすでに後悔していた。
先代皇妃が――母が亡くなったときに、ルシエンヌにぶつけた言葉が思い出される。
ルシエンヌはオレリアにだけでなく、クレイグにも手紙を書いてはどうか、会いにいってみてはどうかと伝えてくれていたのに。
(私は、私のプライドを優先させて拒絶されることを恐れ、母との和解の機会を永遠に失い、その悲しみをルシエンヌにぶつけてしまった……)
母親の遺言については、当時は腹も立ったが、後になってむしろ好都合ではないかと思ったものだ。
あの遺言がある限り、たとえ神殿がクロディーヌを妃に選んだとしても、ルシエンヌを手放さないですむ。
それもまた、ルシエンヌに拒絶されることを恐れた言い訳でしかない。
クレイグは未だに目を閉じたまま荒い呼吸をするルシエンヌを見つめた。
それから、ルシエンヌが命をかけてまで守ろうとした我が子に視線を移す。
レオルドは呼吸が安定しており、ただ眠っているだけのようだ。
クレイグは安堵すると同時に、ルシエンヌから深い愛情を受ける息子が羨ましいとさえ思ってしまっていることに衝撃を受けた。
「もし、少しでも陛下に後悔があるのなら……ルシエンヌ様が目を覚まされたとき、そのお気持ちをお伝えされてはどうでしょうか? そのようなお気持ちがなかったとしても、どうか殿下のためにも、ルシエンヌ様に歩み寄ってくだされば幸いでございます」
「……アマン、お前はなぜそこまでルシエンヌに肩入れする?」
アマンの言葉は、クレイグの痛い所を突いた。
この期に及んでまだプライドを優先させてしまう自分にうんざりしながらも、クレイグはアマンの返答を待った。
アマンはクレイグの質問にふっと鼻で笑うように吐息を漏らす。
「肩入れ、とはおかしなことをおっしゃる。私は医師です。患者のために力を尽くすのは当然です」
「親子二代にわたってか?」
「父も私も、己の家系に表れる力を必要とされる方のために使いたいのです。それは兄も同じでしょう」
「だが、兄君は私の要請を断ったが?」
「それはすでに私がルシエンヌ様の許にいるとわかっていたからです。皇家にお生まれになる御子様が、一番に我が家系の力を必要とされるでしょうから」
「そうだな。そなたには――そなたたち親子には世話になっておきながら、意地の悪い言い方をした。すまない」
クレイグはアマンと話すうちに、くだらない嫉妬をしていることに気づいて謝罪した。
すると、アマンは驚いたように目を見開く。
皇帝が臣下に――皇妃の主治医でしかないアマンに謝罪するなど、本来はあり得ないのだ。
それだけプライドを抑えつけているという証でもあるのだろう。
「――そなたは結婚はせぬのか?」
唐突なクレイグの質問に、アマンはどう答えるべきか迷った。
わずかな沈黙が流れ、ちらりとクレイグに視線を向けたアマンは、この質問がルシエンヌたち二人の未来にかなり影響を及ぼすだろうことに気づいた。
何気なさを装っているが、クレイグの両手は固く握られている。
やはり正直に答えるべきだと考えたアマンは、どう伝えるべきかと悩みつつ口を開いた。
「本来なら……私は子を成し、この力を子孫に伝えるべきなのでしょう。ですが、申し訳ないとは思っておりますが、そのことについては兄に託しております」
「兄君は確か、お子が三人いたな。だが、なぜそなた自身が結婚しようとしないのだ?」
「私は……」
この短時間話しただけで、本当に打ち明けてもいいのか。
アマンの葛藤は続いたが、すがるようにルシエンヌに視線を向けたことで、クレイグに余計な誤解を招いたようだ。
クレイグから発せられる魔力がぐんと強くなりアマンへ向けられたことで、自身の軽率さを呪った。
だがこれもまたクレイグの答えなのだ。
クレイグがレオルドを大切に思う気持ち、そしてルシエンヌに抱いているだろう気持ちがはっきりと表れている。
アマンは今度こそ覚悟を決め、勇気を出して答えることにした。
「私は……女なのです」
「――何だと?」
「私は医師として働いておりますが、性別は女です」
「まさか……」
クレイグはアマンの告白に信じられないとばかりに目を瞠り、言葉を失ったようだった。




