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翌日以降も、今までの授業よりもアマンによる魔力制御の修練に大半の時間を割いた。
レオルドの才能があれば、タラン教師の魔法技の授業も十分に習得できることはわかってはいたが、先に魔力制御を覚えることが必要だと考えたのだ。
しかし、それはルシエンヌの悪評を蒸し返し、広める結果になった。
――皇妃様は主治医とただならぬ仲であり、さらには皇太子殿下までを取り込もうとしている。と。
さらには、叔父夫妻であるアーメント侯爵夫妻までもが、二人の不貞現場を実際に見たと喧伝していることに、ルシエンヌは頭を痛めていた。
(まあ、寝室で手を握り合っているところを見られたのだから、誤解を招いてもしかたないけれど……)
叔父夫妻や世間にどう思われようとルシエンヌは気にしなかったが、問題は皇帝であるクレイグがどう受け取るか、だった。
リテが仕入れてきた噂によると、クレイグは視察予定を短縮して皇宮へと戻ってきているらしい。
それが単なる予定変更なのか、それともルシエンヌの横暴な噂を聞いてなのかがわからない。
(レオルドのことを……私からの悪影響を心配してかもしれないわね)
一年余り前のあの離宮でのクレイグの怒りを思い出し、ルシエンヌはため息を吐いた。
クレイグとはきちんと向き合うつもりではあったが、またあの調子では冷静に、とはいかないかもしれない。
最悪の場合、レオルドを連れて逃げることも頭をよぎったが、すぐに不可能だと思い直した。
歴代最強の魔術師と言われるほどのクレイグから逃れるすべはないだろう。
それならやはり、どうにかしてルシエンヌの必要性と、アマンの研究内容を説明するしかないと自分を叱咤したのだった。
そのため、万が一を考えて、ルシエンヌはレオルドが寝ている間にクレイグへの手紙を書いた。
――母親であるルシエンヌの魔力がレオルドの〝魔力酔い〟の治療に必要なこと。
――アマンは特別な医師であり、レオルドの魔力制御の助けになること。
その他、アマンの研究がどれだけ多くの子どもたちを救うかを書き、続いて二枚目の便せんへと移り、自分がどれだけレオルドのことを愛しているか、そのためにこの二年を耐えてきたかを書いた。
さらにはオレリアのことに触れ、そこで我に返ったルシエンヌは、ずいぶん言い訳がましい内容になっていることに気づいた。
結局、自分はクレイグに理解してもらい、受け入れてもらいたいのだ。
そんな浅ましい気持ちが透けているようで、二枚目以降の便せんをくしゃくしゃに丸めて屑かごへと捨てた。
それから数日後。
にわかに皇宮が騒がしくなり、侍女に様子を見に行かせたルシエンヌは、クレイグが戻ってきたことを知らされた。
本来ならルシエンヌは皇妃として、視察を終えた皇帝をきちんと出迎えるべきだったろう。
だが今からではとうてい間に合わない。
それどころか、クロディーヌとアーメント侯爵夫妻が出迎えたらしいと聞き、ルシエンヌは覚悟を決めた。
クレイグがレオルドに愛情を抱いているのはわかっている。
だからこそ、クロディーヌたちからルシエンヌの暴挙を聞いたクレイグは、すぐにでも部屋にやってくるのではないか。
久しぶりの再会に緊張するルシエンヌの様子に、レオルドは気づいたようだった。
「……かあしゃま、だいじょぶですか?」
「大丈夫よ。どうして?」
「うーん……いつもとちがいます」
「それで心配してくれたのね? ありがとう、レオルド。あのね――」
レオルドの勘の良さに驚きながらも、心配をかけないようにルシエンヌは誤魔化そうとした。
だが、やはりクレイグが――父親が帰ってきたことをちゃんと伝えるべきだと思い直す。
クレイグがどんな態度を取るかはわからないが、レオルドの前では酷いことにはならないだろう。
そう考え、口を開こうとしたそのとき、勢いよく部屋の扉が開かれた。
部屋に入ってきたのは、予想通りクレイグである。
その怒りを含んだ強大な魔力に、ルシエンヌはめまいがした。
クレイグの背後には満足そうに微笑むクロディーヌの姿が見える。
「とうしゃま!」
レオルドの嬉しそうな声に、クレイグの怒りに滲んだ魔力がふっと消える。
途端に、ルシエンヌは体が軽くなり、今まで息を止めていたことに気づいた。
クレイグへと駆け寄るレオルドを見守りながら、ルシエンヌはそっと深く息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。
レオルドはルシエンヌにするようにクレイグへと飛び込み、抱き上げられて嬉しそうに笑う。
「レオルド、元気そうで安心した」
「だいじょぶです」
クレイグの言葉も口調も優しさにあふれている。
それを羨ましく思う自分にルシエンヌは苦笑した。
(レオルドが迷いなく私へ飛び込んできてくれたのも、クレイグがいつも受け止めていたからなのね……)
レオルドに向けるクレイグの笑顔も今までに見たことがないほど優しい。
クロディーヌにさえかすかに口角を上げる程度で、あれを笑顔だと思っていたのが信じられないくらいだった。
(いえ、それでも……)
ルシエンヌには一度も見せてくれなかった柔らかな表情をクロディーヌには向けていたのだ。
そう考え、クレイグの背後をちらりと見ると、恐ろしい形相のクロディーヌと目が合ってしまった。
しかし、すぐにその顔に満足げな笑みが浮かび、クレイグへと向けられる。
「陛下、親子水入らずで積もるお話もあるでしょうから、私たちはこれで失礼いたしますね」
「――ああ。すまない、クロディーヌ」
クロディーヌの言葉は思い遣りにあふれているようではあったが、ルシエンヌには嫌味にしか聞こえなかった。
『家族』ではなく『親子』という言葉にルシエンヌは含まれていない。
(考えすぎかしら? それとも『父子』と言われなかっただけ、よしとするべき……?)
クロディーヌがお付きの者たちに目で合図して出ていくと、リテたちもためらいながら部屋から出ていく。
そして、ルシエンヌとレオルド、クレイグの三人だけが広い部屋に残されたのだった。




