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中庭の散歩はレオルドにとってかなりの刺激になったようだった。
今まではめったに部屋の外に出ることもなく、皇宮内を歩くだけでもレオルドには新鮮で楽しかったらしい。
そして庭に出ると、太陽の眩しさに驚き、風が花々の香りを運んでくることに驚き、虫の羽音にも驚いていた。
「レオルド、葉っぱや花を触ってもいいけれど、ひょっとして危険な虫が隠れている場合もあるから気をつけてね」
「さわってもいいですか!?」
「ええ。そっとね。強く触ると傷ついてしまうこともあるから」
「はい!」
ルシエンヌの声かけに喜び顔を輝かせて答えるレオルドは年相応に見える。
足取りはしっかりしているが、幼児体型のレオルドが屈むと、ぷくぷくした足や丸いおしりは上等な布越しでもわかり、その可愛らしさにルシエンヌだけでなくお付きの者たちもほっこりしていた。
おそるおそる花びらへと伸ばす手も丸く指も短くて、すべてが愛おしい。
慣れないうちはあまり太陽に当たらないほうがいいと判断して、散歩は早めに切り上げたものの、レオルドだけでなくルシエンヌにとっても楽しく満足いくものだった。
◇ ◇ ◇
その後、昼食を終えたルシエンヌはレオルドとボードゲームをして遊ぶことにした。
ボードゲームは昨日急ぎ手配したもので、二歳児には本来難しい内容のものである。
しかし、レオルドは難なくルールを理解して、ルシエンヌの手強い対戦相手となっていた。
駒を掴む指はまだ短く丸みを帯びていて微笑ましくなるが、盤に進めるその戦略は笑えない。
「……レオルド、少し待って」
「だいじょぶです」
ルシエンヌが「う~ん」と悩みながら言うと、レオルドは嬉しそうに「ふふ」と笑う。
遊びの内容もレオルドの対応も二歳児らしくはないが、それでも心から楽しんでいるのがわかり、ルシエンヌは喜びとともに安堵していた。
そこに、忙しないノックの音が響く。
リテが対応のために前室へと向かったが、苛立った男性の声が聞こえ、ルシエンヌはすぐさまレオルドを抱き上げ緊張に身を固くした。
控室からは護衛も素早く出てくる。
「皇妃様! なぜ今日の授業を休みにするのですか!? まさか私を殿下の教師から外されるおつもりですか!?」
部屋へと駆けこんできたのは魔法技の教師であるタレンだった。
リテが顔色を悪くして、その後をすぐに追ってくる。
ひとまず危険はないと判断したルシエンヌは、タレンに対峙するために、怯えるレオルドをナミアへと預けた。
ナミアはすぐにレオルドを護衛騎士の一人とともに寝室へと連れていく。
「……今日の授業はお休みするとしか伝えていないはずよ。ただ、あなたの授業はレオルドにはまだ早いとは思います。ですから、授業内容については明日以降、改めて話し合いましょう」
「殿下はとても優秀な方です! 早いなどということはありません!」
「ええ、そうね。レオルドはとても優秀な素晴らしい子よ。でも、それとこれとは別だと思うの。今日は違う授業をする予定だから、あなたもゆっくり休んでちょうだい」
レオルドを怯えさせるなど教師失格だと思いながら、ルシエンヌは冷ややかに告げた。
しかし、タレンはまだ食い下がる。
「別の授業とは――教師は誰なのですか!?」
「……私の主治医のアマンよ」
「医者ごときが魔法技を教えられるとは思えませんね! 皇妃様は噂通り、主治医にずいぶん入れ込んでおられるようだ」
「好きなように言えばいいわ。では、それだけなら今すぐ出ていってくださらない? レオルドがすっかり怯えてしまったわ」
「――っ、あなたが好きにできるのも、陛下が戻られるまでですよ」
アマンの名前を聞いた途端に、タレンは怒りから侮蔑へと変わったようだった。
今さらルシエンヌがそんな言葉で怯むわけもなく、それがどうしたというように首を傾げただけ。
タレンはルシエンヌの背後に控える護衛騎士をちらりと見てから、踵を返して出ていった。
「――レオルド? 驚いたわね、大丈夫かしら?」
「かあしゃま!」
寝室に急ぎ入ったルシエンヌに、レオルドがナミアの腕から抜け出して床へと下りて駆け寄ってくる。
ルシエンヌはレオルドを抱きとめてから、その幼い顔をじっくりと見つめた。
突然の教師の乱入に驚いただろうに、レオルドはルシエンヌの体を確かめるようにぺたぺたと触る。
「かあしゃま、へいきですか? だいじょぶ?」
自分の恐怖よりも、ルシエンヌのことを心配してくれているようだ。
その優しさに、ルシエンヌは再び強く抱きしめた。
「母様は大丈夫よ。タレン先生は今日の突然の授業変更に驚いたみたいね」
「へんこう、よかったですか?」
「ええ、もちろんよ。毎日同じ授業では、少し退屈してしまうでしょう? だから、たまにはお休みも必要だし、違ったことをするのもいいと思うの」
「げーむ、たのちいです!」
「レオルドが楽しんでくれて嬉しいわ」
タレンの話は終わりとばかりに、ルシエンヌはにっこり笑って軽く手を叩いた。
やはり先ほどのタレンの態度が怖かったのか、レオルドの言葉が幼くなっている。
クレイグのことを呼ぶとき、言い直していたのも気になるが、それが父親の威厳からそうさせるのか、周囲からの圧力なのかはまたしっかり確認するつもりでいる。
ただ、クレイグが無理に幼児言葉を矯正させているとは思っていなかった。
「さあ、そろそろおやつを食べましょうか? ゲームは途中だけど、続きはまたにしましょう?」
「もう?」
「ええ。今日は特別。その後はお昼寝して、ちょっとだけ魔法の練習をしましょうね」
「おひるねはだいじょぶです」
「そうねえ……。お昼寝は必要だけれど、先に魔法の練習にする?」
「ぼくがきめるのですか?」
「そうよ。ただし、夜に寝る時間は変わらないわよ?」
「かあしゃまもいっちょですか?」
「ええ、母様も一緒にいるわ」
「ずっと?」
「ずっとよ」
「……じゃあ、おやつのあとにねます!」
「では、そうしましょう」
レオルドはこの三日の間、しきりにルシエンヌが一緒かを確認する。
あまりべったりになってもよくないのではと思うが、今はとにかくレオルドの気持ちを優先させ安心させたかった。
現に、ルシエンヌの返答を聞いて、不安そうだったレオルドの顔に愛らしい笑みが戻る。
その後はおやつを食べているときも、お昼寝をするときも、レオルドはずっとルシエンヌの一挙手一投足に反応し、服を掴んだりと離れるのを恐れているようだった。
「――ルシエンヌ様、大丈夫ですか?」
「さすがに、少し疲れたわね」
レオルドがようやく寝つき、ベッド脇に座ったルシエンヌに、アマンが問いかける。
初日にレオルドの魔力酔いを抑えるために、ルシエンヌは魔力をかなり消耗してからは、気をつけていたので、寝込むほどではない。
しかし、今日は魔力の強いタレンの怒りを正面から受け止め、レオルドの不安からくる魔力の乱れを抑えるために、思った以上に魔力を消耗したらしい。
「少し、治療しましょうか?」
「そうね。レオルドが起きるまでにまた元気になっていたいから……。お願いできるかしら?」
「もちろんです」
レオルドが起きたら、アマンには魔法の授業を行ってもらう予定である。
それも魔法技ではなく、自身の体内を巡る魔力の制御であるため、アマンもまた魔力を消耗するはずなのだ。
それなのにルシエンヌに治療を施して負担にならないか心配だった。
だが、アマンの様子を見て大丈夫だと判断し、ルシエンヌはお願いすることにした。
それだけルシエンヌも疲れているのだ。
ルシエンヌは立ち上がると、ベッド近くにある長椅子に腰を下ろし、アマンへと手を差し出す。
アマンはいつものように、膝をついてルシエンヌの手を握った。
本当はアマンにも腰かけてほしいが、さすがにそれでは親密すぎる姿になるのがわかっていたので、ルシエンヌは言い出せないでいた。
アマンが握ってくれている手から体へと、温かな熱が流れ込んでくる。
ルシエンヌは目を閉じ、その心地よさに身を任せた。
それからしばらくした頃、居間のほうが騒がしくなり、ルシエンヌは目を開けた。
瞬間、いきおいよく寝室の扉が開かれる。
驚いたルシエンヌだったが、まだ治療途中のため動くこともできず、闖入者の正体に目を丸くしたのだった。




