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「……かあしゃま?」

「ええ。おはよう、レオルド」

「あっ、おはようござます!」


 翌朝。

 いつも起きる時間をナミアに聞いていたルシエンヌは、彼女の代わりにレオルドに優しく声をかけて起こした。

 レオルドはゆっくりまぶたを開け、ぼんやりとルシエンヌを呼ぶ。

 ルシエンヌが微笑み挨拶をすれば、頭がはっきりしたのか、勢いよく体を起こして頭を下げた。


「レオルド、そんなに急いで起き――っ!」


 二歳児とは思えない礼儀正しさにルシエンヌは戸惑いつつ、「急に起き上がってはダメ」と注意しようとして、その言葉は途切れた。

 レオルドが顔を上げるとにぱっと笑ってルシエンヌに突進してきたのだ。

 その行動は子どもらしく、ルシエンヌは注意も忘れてレオルドを抱きしめた。

 すると、ふわふわと身体が温まるような不思議な感覚になる。


「かあしゃま、あったかいです」

「本当ね。とっても温かいのはレオルドが元気だからかしら?」


 ルシエンヌは抱きしめたままのレオルドの額に手を当てた。

 どうやら熱はないようだ。

 ルシエンヌもすでにアマンの診察済みで、発熱もなければ魔力も安定しているとのことだった。

 昨日はやはりレオルドの魔力酔いの影響を受けたのだろう。

 このままレオルドの体調も落ち着けばいいのだが、アマンの予想では今後成長するにつれて魔力もさらに増幅され、魔力酔いの症状が重くなる可能性が高いらしい。


(でも、それは覚悟の上だわ)


 クレイグが幼い頃に苦しんでいたような思いをレオルドにさせないために、この二年を費やして万全の体調に戻したのだ。

 たとえ後遺症が残ろうとも、最悪の結果になろうとも、ルシエンヌは今度もレオルドを優先させるつもりだった。


「さあ、朝の支度をして一緒に朝ご飯を食べましょう?」

「かあしゃまもいっちょですか?」

「ええ。そうよ」

「おひるごはんは?」

「お昼も、夜も一緒よ」


 おずおずと問いかけてくるレオルドに、ルシエンヌははっきりと答えた。

 途端にレオルドの顔がぱっと輝く。


「では……では、あちたは?」

「明日も一緒」

「そのつぎは?」

「明日の次の日――明後日も一緒にご飯を食べましょう。でも、ご飯だけじゃないわ。レオルドが遊ぶときも、お散歩するときも、お勉強するならそれも、一緒よ。さすがにそれは嫌かしら?」

「いやじゃないです! かあしゃまとずっといっちょがいい!」


 そう言って、レオルドはルシエンヌに抱きついた。

 ルシエンヌは優しく抱き返し、何も言わずにその背を撫でる。

 この先、ずっと一緒というのは無理でも、レオルドが成長して母親を必要としなくなるまでは、できるだけルシエンヌはレオルドの傍にいたかった。

 もしクレイグに何か咎められたらどうしようと不安な気持ちもある。

 それでも、今のルシエンヌはクレイグに立ち向かうだけの勇気を持っているつもりだった。


(昨日だって、クロディーヌにちゃんと言い返すことができたもの)


 あのときのことを思い出してルシエンヌは自分がちゃんと強くなれているのだと感じた。

 ルシエンヌは腕の中にすっぽり収まる息子を見下ろして優しく微笑むと、その小さな体をくすぐり始めた。

 すると、レオルドは驚いたのか目をぱちくりさせて見上げてきたが、耐えられなくなったのか身を捩る。


「か、かあしゃま! っ、なにを……っふふっ……!」

「レオルドにはもっと笑ってほしいから強硬手段でくすぐっているのよ! くすぐったい?」

「くす……? くすぐったい、でしゅっ……!」


 レオルドはくすぐられるのも初めてだったのか、わけがわからないといった様子だったが、次第にきゃっきゃと声を上げて笑う。

 その声に驚いて、ナミアが寝室に顔を覗かせた。


「ナミア、レオルドの支度を手伝ってくれる?」

「か、かしこまりました」


 ナミアのおどおどした態度は気になるが、ルシエンヌとクロディーヌの間で板挟みになっているからだろう。

 ただ、ナミアがレオルドの世話をきちんとしていたのは、昨日の聞き取りから十分に伝わってきていた。

 どうやらクロディーヌからあれこれ口を出され、熟練の養育係としては苦労していたようだ。

 しかし、そのクロディーヌは口は出すが手を出さない典型で、気が向いたときにしか会わないようで、ここ数日ほどは部屋に訪ねてくることもなかったらしい。

 それは遠慮しながら話すナミアから上手く誘導して聞き出したことだった。


 しかし、昨日はあれから何度も部屋の前でレオルドに会わせろとしつこく騒いでいた。

 暫定的な処置としてルシエンヌが離宮から連れてきていた護衛を扉前で待機させていたために部屋に侵入されることはなかったが、今朝にはもう母代わりだったクロディーヌを不当にレオルドから引き離した非道な皇妃として皇宮内で噂されているようだ。

 ルシエンヌにとっては噂などよりも、昨日の大騒ぎでレオルドが怯えないか、またはクロディーヌに会えなくて寂しがらないかだけが心配だった。

 だが、幸いにしてレオルドに不安な様子はない。


(クロディーヌが私のことを嫌っていても、レオルドのことは大切にしてくれていると思っていたのに……)


 昨夜、母親がいることで興奮するレオルドを寝かしつけてから遊戯室へ入ったルシエンヌは、クロディーヌたちが都合のよいように噂を流していたと確信していた。

 本来なら遊戯室と勉強部屋は分けたほうがいいのだろうが、幼いうちはまだ学びは遊びの延長でいいとルシエンヌは考えて同じ部屋にしていたのだ。

 ところが、遊戯室には玩具の一つもなく、絵本がわずかばかりで、後は子どもには難しそうな本ばかりが並んでいた。

 そこに勉強机と、座面の高い椅子が一脚あるだけ。

 ルシエンヌが出産前に用意していた玩具も人形も、可愛らしい絵もなく、座面の低いソファや子ども用の机もなくなっていた。


 ナミアの話では、レオルドが進んで教師を望んだわけでもないらしい。

 ある日いきなり、クロディーヌが派遣した教師がやってきて、ナミアとの遊びの時間を勉強の時間へ変更してしまったとのことだった。

 だが、レオルドは不満を言うことなく、また勉強もしっかりできたために問題にはならなかったのだ。


「レオルド、今日は何をしたい?」

「なにを……?」


 朝食を一緒に食べながら、横に座るレオルドに問いかければ、意味がわからないといった様子だった。

 大きな目でキョトンとした顔は可愛いすぎるが、内心で悶えている場合ではない。

 レオルドがきちんと意思表示できるようにしたい、というのがナミアと話していてルシエンヌが感じたことだった。


(まだ二歳だもの。もっと我儘でいいのに……でも、それもレオルドの性格なだけかもしれないし、焦らずゆっくりいかないと……)


 二歳児だからとひとくくりにはせず、レオルドにじっくり向き合って知るためにも、しばらくはできる限り一緒に過ごすと決めていた。

 幸いにして、ルシエンヌには皇妃としての仕事はないため、時間だけは十分にある。

 だがそれも、クレイグが戻ってくるまでかもしれないと思うと、ルシエンヌはわずかばかりの時間も惜しかった。




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