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 突然のクロディーヌの訪問で離宮は動揺し、しばらくは落ち着かなかった。

 なぜ勝手にルシエンヌの部屋まで通したのかと、リテは他の使用人たちを叱ったが、侯爵令嬢であり主人の従妹であるクロディーヌを、一介の使用人が止めることなどできるはずがない。

 それはリテもわかっていたが、怒りを鎮めることができなかった。

 あの後、数日寝込んでしまったルシエンヌは、ふさぎ込むことが多くなっている。

 唯一の心の支えだったレオルドを、クロディーヌに奪われてしまったようで、生きがいをなくしてしまった気分だった。


(ううん。奪われたなんて考えてはだめよ。レオルドは物ではないんだから。クレイグはかなり忙しいようだし、クロディーヌが……誰かが身近にいてくれて愛してくれるのは、レオルドの精神的にもいいはずよ)


 即位してからも改革に邁進するクレイグは変わらず多忙を極めているようだった。

 何事にも変化を嫌う者は多少なりともいる。

 それが国政ともなると、制度を刷新しようとも、今まで悪政の陰で恩恵を得ていた者たちにとっては改革者は――クレイグは敵となるのだ。

 しかも先代皇帝ベルトランとは緊密な関係にあった隣国トランジ王国とも軋轢が生じているらしい。

 クレイグがアーメント侯爵領を皮切りにふた月ほどの視察に出かけた場所も、トランジ王国と独自に交易している領地であったことを思い出す。

 トランジ王国とアーメント侯爵領との交易は叔父の代になってから始まったことではあるが、ルシエンヌはそのあたりのことはよく知らず不安になった。


(まあ、クレイグほどの魔力が強い人を相手に何か仕掛けようなんて人はいないはずだけど……)


 神殿の記録を紐解けば、おそらくクレイグは初代皇帝と同等の力を有しているとされている。

 そのため、数多くの強力な魔法を操り、圧倒的強さを誇っていた。


(そんなクレイグよりも強い魔力だなんて……。レオルドは本当に大丈夫かしら……?)


 体調がよくなってくると精神的にも落ち着き、自分の気持ちよりもやはり息子のことが心配になってくる。

 魔力が強すぎるために少し不安定だと聞いていたが、今のルシエンヌには何の力にもなれず歯がゆかった。


(本当にダメな母親よね……)


 早く魔力体力ともに回復させてレオルドに会い、抱きしめ、そしてこの手で育てるのだ。

 そう何度も自分に言い聞かせ、ルシエンヌはどうにか心の折り合いをつけようとしていた。


 そしてようやく心身ともに回復してきた頃。

 ほとんど訪れる人もいない離宮に、皇宮から先触れがやってきた。


「――陛下が、こちらへいらっしゃる?」

「はい。皇妃陛下のお見舞いのためのお時間の調整がようやく叶いましたので」

「……息子は――レオルドも一緒なの?」

「いいえ。陛下お一人でございます」

「そう……。ありがとう、ご苦労様」


 使者の嫌味な言い方も気にならず、ルシエンヌの心は浮き立っていた。

 レオルドに会えないのは非常に残念だが、まだ一歳にもならないのだから王都の端とはいえ、連れ出さないほうがいいのだろう。

 何より、ルシエンヌがレオルドに会えるほどには回復していないのだ。

 使者を下がらせた後、ルシエンヌは興奮を抑えてリテにクレイグを迎える準備に急ぎ取り掛かってほしいと伝えた。

 その話を聞いたアマンが駆けつける。


「ルシエンヌ様! 陛下がいらっしゃると伺いましたが、お会いになるおつもりですか!?」

「それはもちろんそうよ。ずいぶん体も楽になってきたし……残念ながらレオルドにはまだ会えないけれど」

「当然です! 陛下とお会いになるだけでもお体にはご負担になるでしょうに……。お断りすることは――」

「馬鹿なことを言わないで。陛下がいらっしゃるというのに、お会いしないなんてどれほど不敬なことか」


 ルシエンヌはアマンの訴えを笑い飛ばした。

 本音では不敬よりも何よりも、会いたいのだ。

 もう『好き』ではないと思っていた。それでもやはり簡単にクレイグを心から追い出すことはできない。


「それでは、少しでもご負担を減らすためにも、ベッドに横になってお会いしてください」

「それも無理よ。先ほど使者と会ったときには座っていたのよ? 立ち上がることはできなかったから、たぶん彼は私のことを横柄だとでも思ったでしょうけど……。とにかく、陛下がいらっしゃってくださるのに、寝たままなんてできないわ。きちんと立ってお迎えするつもりよ」

「そんな無茶はどうかおやめください!」


 ルシエンヌとアマンの押し問答はわずかに続いたが、結局はアマンが折れた。

 このやり取りさえ、ルシエンヌには負担がかかっているからだ。

 アマンはルシエンヌの傍に膝をつき、その腕を取って魔力の乱れを安定させてくれる。

 本来は血の繋がらない他人の魔力に干渉する――安定させることなど、強い魔術師でも不可能に近かった。

 しかし、この能力があるからこそ、アマンの父親は娘が男装してでも医師となることを認めたのだろう。


「いつもありがとう、アマン」

「お礼をお伝えしなければならないのは、私のほうですよ。こうして私が私らしくいられるのも、先代皇妃様とルシエンヌ様が支援してくださるおかげですから」


 アマンはルシエンヌの手を握ったまま、優しく微笑んだ。

 そこに、突然低い声が割り込む。


「思っていたより、元気そうだな?」

「……陛下?」


 ルシエンヌは夢を見ているのかと思って反応が遅れた。

 この一年弱、実際に姿を目にすることはできなくても、何度も夢に現れた初恋の人が部屋の入口に立っているのだ。

 記憶にあるよりもさらに逞しくなった体躯、窓から差し込む陽光を浴びて輝く金色の髪、力強く芽吹く若葉のような緑色の瞳はルシエンヌの心を再び捕らえた。

 だが、きっとこれもまた夢だろうと思いかけたルシエンヌは、アマンが慌てて手を離したことではっとした。

 何度か瞬きすると、アマンは膝をついたまま深く頭を下げており、入口に立つクレイグの背後で青ざめているリテの姿が見える。


「それほど驚くことか? 先触れは出しただろう?」

「ですが……」


 到着したとの知らせも、物音もまったくしなかった。

 訳がわからず、それでも立ち上がろうとしたルシエンヌをアマンが急ぎ支える。


「……ずいぶん献身的だな」

「アマンは医師ですから。私の心配をしてくれるのは当然です」


 今までになくよく話すクレイグに、ルシエンヌは本物だろうかとぼんやり考えた。

 やはり頭がよく回ってないらしい。

 部屋へと入ってきたクレイグは目の前に立ち、無表情ながらも怒りが滲んでいるような緑色の瞳でじっとルシエンヌを見下ろす。

 そこで、もてなしどころか挨拶もまだだったと気づいた。


「陛下、お忙しい中お越しいただき、ありがとうございます。どうぞおかけになってくださいませ」


 どうにか膝を折って頭を軽く下げたが、先ほどの不調からも回復していないせいか、意識が遠のきかけた。

 それでもルシエンヌは気力だけで微笑んだ。

 クレイグは何か言いたげに目を細めたが、結局は黙ってソファへと腰を下ろす。

 そこでようやくルシエンヌも座ることができ、ほっと息を吐いて腰を下ろした。

 アマンは心配しつつも部屋から下がり、お茶の用意のためにかリテもいない。

 二人きりになったのは本当に久しぶりで、ルシエンヌは緊張しつつもレオルドの様子を聞こうとした。

 それなのにめまいは酷くなるばかりで、上手く声が出せない。


「レオルドのことは訊ねもしないんだな」

「……いえ、もちろん……」


 知りたいに決まっている。

 ずっと報告は受けているが、それでもクレイグの口から聞きたかった。

 そう言いたいのに、めまいどころか吐き気までしてくる。

 しかもどんどん悪くなっているようで、ルシエンヌは無意識に顔を横に背けて深く息を吐き出した。


「クロディーヌから話を聞いたときには、まさかとは思ったが、どうやら本当らしいな」

「……え?」

「義務として子どもは産んだが、本当は嫌だったと。世話もする気がないので、クロディーヌに任せる、と言ったそうではないか」

「っ……!」


 違う。そんなことは考えたこともない。

 だが、言葉にすることも口を開けることさえできず、ルシエンヌは片手を額に当てた。

 あまりに気分が悪く、目を開けることもできない。

 そこにお茶を運んできたリテが悲鳴を上げる。


「ルシエンヌ様!」


 その声を聞いてわずかに体が軽くなったようだったが、やはり目を開けることはできなかった。

 そして、リテの悲鳴を聞いて控えていたらしいアマンが部屋に飛び込んでくる。


「ルシエンヌ様! 大丈夫ですか!?」


 温かなアマンの手が頬に触れ、ルシエンヌはまぶたを震わせながらかすかに目を開けた。

 アマンもずいぶん顔色が悪いようだ。

 目の前に皇帝がいるにもかかわらず、一切無視してルシエンヌに治療を施しているのだから当然かもしれない。

 クレイグが無体な人物だったら、この場で不敬罪で処断されることだってあり得るのだ。

 ルシエンヌは大丈夫だと言いたかったが言えず、アマンは振り向いて睨みつけるようにクレイグを見た。


「陛下、申し訳ございませんが、今日はお引き取りください。これ以上のご負担はルシエンヌ様には耐えられません!」

「……わかった」


 アマンの無礼な訴えに、クレイグは素直に頷いて立ち上がった。

 冷静に話し合うつもりが、ルシエンヌの手を握るアマンを目にしてから感情が乱れ、上手く制御しきれない強すぎる魔力がルシエンヌを害してしまったことにクレイグは気づいたのだ。

 そのまま足早に去っていくクレイグの後悔に満ちた表情を、すでに意識を失ってしまったルシエンヌが目にすることはなかった。

 そしてこの日以降、クレイグが再びルシエンヌに会いにくることはなかったのだった。




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