01 先生
「こら! 予鈴鳴ってるでしょう。早く教室入りなさーい」
休み時間も終わってるにも関わらず、廊下ではしゃいでる僕や友達を怒る先生の声が響く。
みんなで慌てて教室に入る最中、僕は誰にも気づかれないように先生に視線を送った。
――ニコッ……
口元を軽く緩めながら笑みを浮かべ目で合図をする。
合図に気づいても先生は僕の仕草に表情も崩さない。
(バ・カ)
口元だけがそう動く。
教室に入ると、いつもの笑顔で教壇に立っていた。
「授業始めますよ」
数学の橘広美先生。
僕が高校に入学する年に同じく新任教師としてやって来た先生だ。
今は僕のクラスの副担任でもあり、所属してたバレー部の副顧問でもある。
「今日は三十五ページからだったわね」
先生自身もバレー経験者ということで身長が高い。
背だけが高いというより、体全体が大きいと言った方がいいかもしれない。
むっちりしてて肉厚的な体型と言った所か。
「この問題は……そうねぇ」
眼鏡姿の凛々しい表情から、一見堅そうに見えてしまう。
実際はクールな見た目と違って熱い指導で教育熱心。
うざがられても全く動じない、元気で明るい性格の持ち主だった。
がしかし、しっかりしてるようでドジな所もあったりする。
とにかく見た目で損をするタイプだったと思う。
「じゃあ、沢田君」
ついでに言うと体型意外にも態度もでかい。
意外とガサツで顔はお世辞にもかわいいと言える程ではなかった。
だから男子生徒からの人気は残念ながらいい方ではなかったと思う。
「沢田真一君!」
「えっ?」
「“えっ”じゃないでしょ。聞いてたの?」
クラスも部活も同じだったせいで授業ではよく当てられる始末。
理不尽極まりないと思うのは僕の被害妄想と思うのは言い過ぎか。
急いで問題に目を通すが授業を聞いてもいなかった僕が分かるはずもない。
問題を見て固まるだけだった。
恐る恐る先生の方を見ると腕組みをして細い目で僕を見つめていた。
「分からない?」
「……はい。すいません、聞いてませんでした」
「座っていいわよ。ちゃんと聞いてること。いい?」
「……はい」
クラス中の失笑が恥ずかしい。
情けなくて先生の方を見れそうにない。
後で何か言わることだけは間違いないなさそうだ。
「はい、じゃ今日はここまで」
肩身の狭い思いのまま、ようやく授業が終わって一息つくのも束の間だった。
「真一君。ちょっといい?」
「……はい」
「ちょっとこれ持つの手伝ってくれる?」
先生に呼ばれると機材の運び方を頼まれる。
まだ怒ってるのは表情を見れば分かる。
「ちゃんと聞いてなかった罰だよ」
「どこまで持ってけばいいんすか?」
「資料室よ」
休み時間で他の生徒が遊び回る中、重い機材を持ちながら先生と廊下を歩いていた。
「先生、何で俺が運ばなきゃなんないんだよ」
「いつまでも廊下で遊んでるからよ。それに授業の話し聞いてないし、あなたが悪いでしょ?」
――コツン!
両手の塞がった僕の頭を持ってた名簿で小突く。
軽くとはいえ角。
意外と痛い。
「痛っ。何すんだよ」
「うふふ」
両手が塞がり反撃出来ない僕を笑って見ていた。
「休み時間、どんな話しで盛り上がってたの? ずいぶん笑い声してたけど」
「あー……。大した話しじゃないよ」
友達と話してたのは本当にくだらない話題だった。
◇ ◇ ◇
「真一は誰がいい?」
「俺? あー、そうだね。やっぱり、ひろみ先生……かな?」
学校の女の先生で誰がいいか?
そんなどうしようもない話題だった。
僕は他の友達と同じように一番人気である養護教諭の斉藤ひろみ先生の名前を挙げた。
「だよな〜」
もちろん同意された。
元々ひろみ先生の話しから盛り上がった話題だった。
そこでひろみ先生の名前を出すのは、ごく自然な話しの流れだったと思う。
しかし、僕はふと聞いてみたいことが頭に浮かんでいた。
「同じ名前でも橘の方はどうよ?」
僕は先生の友達の評価が聞きたくて、何となく聞いてみた。
他意はない。
素直にどんな風に見られてるのか知りたかった。
「橘? ない、ない。絶対無理」
「確かに。あれはないって」
「そっか? そんなにないか?」
一斉に批判する中、今度は何故そんなに嫌がるか理由が知りたかった。
「ないって。だったら聞くけどいいトコってどこ?」
逆に聞き返される。
少し考えたがあいつらが納得しそうな先生のいい所は一つしか浮かばなかった。
「お、おっぱいでけーじゃん」
先生のいい所と言って、すぐに思い浮かんだのはそれしかなかったのが情けない。
「確かに巨乳かもしれないけど。あれはデカいんじゃなくてデブだと思うぞ」
「そうそう」
「腰だって括れなんかねぇだろ?」
そんなにデブって言う程太ってもないだろう。
せいぜいぽっちゃりと言って欲しい。
括れがない、なんて見たことあって言ってるのかよ。
細過ぎるのもどうかと思うのが密かな僕の持論だった。
だいたいちょっと肉付きがいい方が抱き心地がいいのを分かっていない。
あいつらが大笑いする中で合わせて笑っていたが僕のは愛想笑いだった。
「真一は橘みたいなのがいいの?」
「え? ま、まさか〜」
本当のことは言えるはずもない。
◇ ◇ ◇
くだらない話題だったが先生には本当のことを教える訳にもいかず、話題を反らそうと考えた。
「それよりもさ。しつこいけど俺ばっかり当てんの勘弁してよ」
「何か当て易いのよね。そうだ! それはそうと……」
上手く話題が反れてくれた。
だが、安心したのも一瞬だった。
「ホントにあんな問題も分からないの?」
「……」
返事をしない僕にため息をつく。
「テストも近いし三年生なんだから、もっとしっかり勉強しなきゃダメよ」
「分かってるよ」
気のない返事をする僕を先生は不安そうに見つめていた。
本当に心配されてるのがよく分かる。
こんな僕でも心配されると嬉しいものだ。
そうこう話しをしてると、資料室に到着した。
「ありがとう。ちょっと重いのよね」
確かにいくら先生がたくましいとはいえ、そこは女性だ。
運ぶのは大変だったに違いない。
男の僕でも重さで腕が痛くなっていた。
「ちょっとじゃねーよ。かなり重いじゃんか」
「そうだった? ごめん、ごめん。助かったわ」
笑って誤魔化す先生の表情は、クラスの女子の笑顔と変わりない少女のようなあどけない表情だった。
あいつらは知らないんだ。
先生が笑うとこんなに可愛いってことを……。
「……先生」
「こ、こら! ダメだってば」
「さっき小突いたお返し」
「ここ学校で――」
誰もいない薄暗い資料室。
先生を後ろから抱きしめると強引に唇を塞いだ。
最初抵抗してた先生だったが、舌が刺し込まれると観念したようだ。
自ら絡み合わせて大人のキスに応じていた。
唇を離すと先生と僕の唇の間に唾液の糸が引く。
「もう、バカ。誰かに見られでもしたらどうするのよ」
怒ってるけど怒気はない。
頬を桜色に染めて恥らう表情。
今度はクラスの女子には見られない大人の表情へ変わっている。
僕だけが知ってる先生の本当の姿。
そう思うと一人で優越感に浸れていた。
「今夜、先生ん家に行ってもいい?」
「……勉強が目的ならね」
「じゃ行くから」
「分かったわ。待ってる」
微笑んでる表情からも嫌がってる様子は受け取れない。
約束を交わすと資料室を出ようとする僕の手を取った。
「真一、唇の口紅。ちゃんと落としなさいよ」
「大丈夫。今すぐ落とすよ」
「ホントに大丈夫? 誰かに知られたら大変なんだからね?」
先生と生徒の立場の僕達には誰にも言えない二人だけの秘密。
先生でありながら、生徒である僕の彼女でもあった。