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Bastard & Master 【7】

【7】






「あははは……わかったよ……わかったから、おとなしくしていろよ……。また遊んでやるから……」

 風になぶられて、レオンの栗色の髪がくしゃくしゃにされている。


 クリステルと同い年であるはずなのに、無邪気に笑っているレオンは子供のようだ。

 狼の群の中に躊躇もせず躍り出て行った時の、精悍な雰囲気はどこにも見当たらない。




「あなたは不思議な人ですね」

 やっとおとなしく離れて行った風を見上げるレオンに、クリステルが呟いた。

「え……?」

 これまでの人生で出会った人間の中で、誰よりも不思議な奴だ……と、クリステルの事を分析していたレオンは、逆にそう言われて、目を丸くした。


「普通の人に精霊の存在を話して聞かせたところで、なかなか理解してもらえないのが常です。自然の恵み……という形で精霊から恩恵を受けても、それに対する感謝の気持ちの裏側には、未知なるものへの畏怖の念が満ちています」

 クリステルは空間を仰ぎ見て、吐息をひとつ付いた。


「精霊はそれを知っているから……術師以外の人間の前で、その存在を誇示したり、ましてや自分から関わって行こうとしたりはしないのです」

 それなのに……と、クリステルは柔らかい微笑をレオンに向けた。

「あなたはごく自然に受け入れて下さった。精霊たちも、あなたに好意を持っている……。こんな事、初めてです」


 レオンはクリステルの綺麗な微笑みに魅入っていたが、やがて、ふっと笑った。

「普通がどんなだか、俺にはわからないけど……。でも、俺から言わせりゃぁ、あんたの方がよっぽど不思議だ」


 レオンの手はまた、自然に、繕ったズボンの縫い目をなぞる。


「貴族のお姫さんが、こんなに上手く縫い物をやったり、料理を作ったり……そんなの聞いた事ないぜ。それに……昼間のあんたと今のあんた……まるで別人だ」

 レオンの言葉に、クリステルはくすっと笑いを漏らした。

「それは、私がスピリッツ・マスターだからです。貴族の娘でも、針仕事の手習いくらい致します。でもそれは綺麗な刺繍であったり、レース編みであったり……」

 そこまで言って、クリステルは何かを思い出すように笑い出した。


「私たちはオールマイティーでなければなりませんから、こういった事も修行のうちなのですが……修行を始めたばかりの私に、師匠が針仕事を言い付けまして……何だったと思います?」

 レオンがつられて笑顔になりながら、首を横に振る。

「繕い物の練習だと言って、山のように渡されたのは、兄弟子たちの使い古された下着だったのです。もちろん洗濯から始めるのです」


 レオンは唖然と、クリステルの手を見詰めた。

 白くて柔らかそうな綺麗な手は、まさに貴族の姫君のものだ。その手で、むさくるしい男たちの下着を洗濯し、繕い物をやったというのか……。

 しかしクリステルは楽しそうにくすくす笑っている。


「世間知らずの私は、もちろん殿方の下着など見た事もありませんでしたから、用を足すために開けてある部分まで縫い詰めてしまって……随分叱られました」

 笑いながらあっけらかんと言うあたりは、まるで童女のようだ。

 聞いているレオンの方が、逆に赤くなってしまう。

「やっぱり、別人だ……」

 思わず呟く。


「それも、私が『優秀な』スピリッツ・マスターだからです」

 レオンの呟きを聞き逃さなかったクリステルが、悪戯っぽく笑って言った。


「私は精霊と共に作った自分のハウスに自信を持っています。どこにいるより安全である事を知っているから、心穏やかでいられるのです。……昼間の……移動中の張り詰めた顔の私とは、別人だろうと……自分でも思います」


 事実であった。

 クリステルは精霊たちにとって、「尊敬に値する」術師なのである。


 その能力の高さ故、精霊たちはまるで惹き寄せられるように集まり、彼女が行く先々で耳をそばだて、呼び掛けられるのを待っている。

 たとえ呼び掛けがなくても、彼女の役に立ちたいという思いから、精霊の方から働きかけてくる事も度々ある。

 食事の仕度を始めたクリステルの所に、焚き木用の小枝が集まってきたり、野菜や果物が現れたりしたのが、まさにそれであった。


 クリステルの説明を聞きながら、頷いていたレオンだったが――

「スピリッツ・マスターと精霊の関係は何となく御理解いただけたと思います。……では次は、貴族社会のマナーについて、講義いたしましょう」

 教師口調のクリステルに、うへぇ……と顔を歪めて見せる。


 なんだよ、ずっと講義だったのか?

 ちょっと感動してたのに……

 苦笑しながらも、それだけではなかった事をレオンはもちろん感じていた。


 この数時間のやり取りのおかげで、苦手だと思っていたクリステルの印象が、なかなか居心地のいい旅仲間へと変化していた。






 昨夜のうちに辿り着くはずであったカルノーの街。

 着くなり、宿で風呂を借り、身体を綺麗にした後、レオンは高級そうな洋品店へと連れて行かれた。


「おいっ、何だよこのフリフリは……何だって俺にこんな格好……」

 店舗と続きになっている小部屋から出て来たレオンは、困惑した表情でクリステルに苦情を言った。


 革の胸当てと肩当て、そして両腕に篭手を装備してはいたものの、質素な木綿のシャツとズボン姿だったレオンが、突然、青年貴族となって現れた。

 ビロードの深い緑色の上着は、襟元に控えめな金糸の飾りが刺繍してあり、下に着込んだシルクのシャツにはフリルのタイが結んであった。


 ますますその美貌が父親譲りである事を感じながら、クリステルはそっと溜息をついた。


「いかがでございましょう……」

 職人気質を思わせる初老の店主が、僅かに目元を綻ばせながらクリステルに問う。

 彼もまた、自信作を着こなしてしまったレオンの姿に満足しているのだ。

「結構ですね……。これをいただきます」

 クリステルの言葉に、レオンはただ、口をぱくぱくさせていた。




「何だよこれは。さすがに街の中となると、俺みたいなみすぼらしい男を連れて歩くのは恥ずかしいって事か? やっぱりお姫さんだな」

 青年貴族の姿のまま店から連れ出されたレオンは、嫌味のひとつも言いたい気分になって、襟元のフリルを邪魔そうに手で弄った。

 クリステルはちらりとレオンを横目で見て、肩を竦めた。

「街一番のレストランで昼食を取ります。あの格好では入れてもらえませんからね」

 すまして言われて、レオンは、ちっ、と舌打ちした。


「こんな旅の途中で、高級な料理が恋しくなったってワケだ。俺は遠慮するぜ。高いもんが食いたきゃ、ひとりで食いな。その為にこんな服を用意するなんて金の使い方……正気の沙汰じゃない」


 何だか妙に腹が立っていた。

 昨夜、近付いたと思っていたクリステルとの距離が、果てしなく遠く離れていくような気がした。

 生まれながらの姫君と自分とでは、やはり理解し合うことなど不可能だったのだ。


 昨夜仲良くなってから、ずっとふたりの側にいる風の精霊が、険悪なムードを察したのか、心配そうにふたりの耳元を掠め、髪を揺らす。

 おろおろしている様子が目に見えるようで、大人気ない物言いをしてしまった自分に、レオンは溜息を吐き出した。

 しかし……今はクリステルと一緒にいたくなかった。


 踵を返しかけたレオンの腕を、クリステルが掴んだ。

「食事の内容ではなく、食事の仕方に関心があるのです」

 謎を掛けるようなクリステルの言葉に、レオンは眉根を寄せた。


 クリステルは無表情でレオンを見詰めて、やがて小さく、くすっと笑った。

「テーブルマナーの実習です。ヴィクトール・レオン殿」






「ごちそうさま。美味かったっ。……ああ……やっぱり飯は堅苦しくないのがいい」

 満足げに言って、レオンが身体を伸ばしたのは、ハウスの中であった。

 テーブルマナーの実習後、街で必要な買い物を済ませ、ふたりは都への旅を続けていた。


「レストランはそんなに辛かったのですか?」

 クリステルがくすくすと笑って訊く。

 紅茶のカップをこちらに差し出しながら浮かべる柔らかな表情に、レオンは心を和ませる。

 出来れば三食すべてをハウスの中で取りたいと、レオンは痛切に思った。

「大勢の給仕に囲まれて、何を食ったのか覚えてないよ……」

 苦笑してカップを受け取る。


「テーブルマナー自体は難しくはありません。やはり課題はあの雰囲気に慣れる事……。実習を重ねて、経験を積めば大丈夫ですよ」

 言いながら、クリステルは自分のカップにも紅茶を注ぐ。

「実習を重ねて……って、まだやる気なのか?」

「ええ……。街に入るたびに、レストランで食事です」

 にっこり笑顔で言われて、レオンは盛大な溜息を吐き出した。


「足の傷の具合はいかがですか?」

 クリステルに訊かれ、レオンは、ああ……と、足を擦った。

「大丈夫……もう何ともない」

 こんなに早く良くなるとは、彼自身思ってもいなかった。

 クリステルは笑って頷いて……

 その顔に何だかまた、悪戯っぽい影が差す。


「な……何だ?」

 だんだん察しの良くなったレオンが、嫌な予感を振り払うように首を横に振る。


「足も良くなった事ですし、一休みしたら、ダンスのレッスンを致しましょうね」

「げっ……」

 クリステルの笑顔が、有無を言わさない……と、無言で語り掛けて来る。


「お……お前って……鬼教官~~~~っ!」


 レオンの悲痛な叫びが響くハウスの中を、風の精霊が、はしゃいだ様子で楽しげに漂っていた。






                                    つづく


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