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Bastard & Master 【14】


【14】






 ネリーは宣言した通り、クリステルに対しては一切干渉せず、その情熱の矛先をレオンのみに向けた。


 クリステルが好き勝手言われるのを聞いているのが辛かったレオンは、その部分ではほっとする反面、懐いてくるネリーと、いつも通り職務をこなすクリステルの間で、どこか板ばさみになっている感覚が払拭出来ない。

 どうしてそんな風に感じるのか、自分でも理解できずにいた。




 素直になったネリーは、快活で可愛らしい少女であった。

 明るく笑い、元気よく喋る。レオンを好きだと、全身で想いを伝えて来る。

 最初に市場で出会ったとき、好感を持った事を、レオンは改めて思い出す。




 反対にクリステルは、穏やかに静かに、職務をこなす姿勢はいつもの通りなのだが――

 口数は更に少なくなったように感じた。


 そして――笑わなくなった。


 元々ハウスの外にいる間は、ほとんど笑わず、最初に会った時に感じたように、硬質なイメージのクリステルであったが、レオンが飛ばす冗談にくすくす笑ったり、レオンを怯えさせる悪戯っぽい表情を浮かべたりという事は、ない訳ではなかった。


 それが今は、まるで無表情である。

 視線も、ほとんど出会わない。

 必要な事しか話さない。




 形式的なものから外れた所での、クリステルとの心のふれ合い――それがなくなった事に、レオンは飢えにも似た焦れを感じていた。

 しかし、踏み込んで行けない自分がいる。


 クリステルは、いつか王宮へ返さなければならない術師なのだ。

 今、自分の側にいるのは、王の命令だからなのだ。

 彼女の感情にまで入り込む資格は、自分にはたぶん、ないのだ。




 じゃれついてくるネリーを軽くあしらいながら、そんな事を悶々と考えているうちに、日は西に傾き、駆け足で地平線の向こうに滑り込もうとしていた。






 ハウスを作ったクリステルに続いて、レオンが荷物を運び込んでいると、ネリーも後からついて来ようとしていた。


 レオンは荷物を一度地面に下ろし、振り返る。

 可哀想だが、言わねばならなかった。


「ネリー……今日は天候も穏やかだろうから……。クリステルを休ませてやりたいんだ。疲れているのか、何だか様子がおかしい」


 ネリーが目を見開いてレオンを見上げた。

 言われた意味は、すぐに理解出来た。


「最初に話したように、俺達は命の危険も伴う旅をしている。だから、あいつはずっと気を張っていて……でも、ハウスの中ではリラックスしてよく笑うんだ。それが……昨夜からほとんど笑わない」




 あたしがいるから……

 ネリーは、ぎゅっと拳を握り締めた。


 レオンは……クリステルの笑顔が見たいのね……。

 昨夜、クリステルが微かに浮かべた綺麗な微笑を、ネリーは思い出した。




「うん。わかった。あたしもハウス、上手に作れるように練習しなくちゃならないし……」


 かなり無理をしながら、ネリーは笑顔を作って言った。

 反対に、レオンは辛そうに顔を歪める。


「ごめんな……。きっと、クリステルもすぐ元気になるだろうから、それまで……」


「いいっていいって……ハウスも数こなさなくっちゃ、上手くならないらしいから」

 ネリーはヒラヒラと手を振って、くるりと踵を返した。


「困った事があれば、なんでも言って来いよ」

 レオンはその背中に声を掛ける。


 ネリーは答えず、しっしっ……というように手でレオンを追い払った。











 ジュリアス・ラインハルトは自宅の居室でぼんやりと考え事をしていた。


 視線の先には、セピア色に色褪せた小さな花束がある。


「もう十年になるのか……」

 誰にともなくひとりごちる。




 政治や国の利害関係など、全く気に止めなくてよかった少年の頃――

 今の彼と同じく、外交の任に着いていた父に連れられて、フォンテーヌへは度々遊びに行ったものだった。


 ラインハルトは十年前、春爛漫のフォンテーヌの城で、クリステルに出会ったのだ。

 ラインハルトは十五歳。クリステルは十三になったばかりであった。


 その頃からクリステルは、精霊の存在を感じる能力があったらしい。


 日よけの帽子を風にさらわれて泣いている所を通りかかって、枝に引っ掛かったそれを、木に登って取ってやった事がある。

 その時に彼女は言ったのだ。

「風の精霊が悪戯したの。どうもありがとう」


 まだ睫は濡れていたけれど――自分に向けられた笑顔に、ラインハルトは恋に落ちた。




 当時は、先代のフォンテーヌ王の時代であった。

 りりしく、立派な王であったと、ラインハルトは記憶している。


 気の置けない人々と、気楽なガーデンパーティーを開くのがお好きな王で、ラインハルトは遊びに行く度、それを楽しみにした。

 なぜならば、そのパーティーには必ず彼女の可愛らしい姿があったから――




 そうして季節は巡り、二度目の春が来た時、クリステルは言った。


「スピリッツ・マスターの修行をさせていただく事になりました。諸国を巡る旅に出る事もございます。これまでのように、パーティーの席でご一緒する事も少なくなるかと思いますが、ジュリアスお兄さま、どうかお元気で」


 愕然と立ち尽くすラインハルトに、クリステルは小さな花束を差し出して微笑んだ。




 その後、クリステルと気軽に話をする機会はなくなってしまった。


 フッサール王族の一人として出席する大掛かりな夜会では、彼女の姿を見ることが出来た。


 会う度にその美しさは極まり、少年の頃の胸の疼きが甦る。

 あの時、離れる事がなかったら……そう考えずにはいられなかった。

 あの頃に戻れるものなら、もう一度戻りたい……と。




 クリステルにもらった小さな花束は、色褪せた今も捨てる事が出来ず、彼の居室の片隅で住人のセンチメンタルな気分を誘う。


 私にとって、あの頃が本当に幸せな少年時代だった……。

 ラインハルトは目を閉じて、懐かしい人々の顔を思い浮かべた。


 少女のクリステル。彼女の側で微笑む彼女の両親。

 そして――

 次々と頭の中に、大切な人たちの笑顔が浮かんでは消えていく。




 幸福感に満ち溢れて、思い出に漂っていたラインハルトが、突然、目をはっと見開いた。


 ラインハルトを我が子のように可愛がってくれたある人物の顔が、最近会った男の顔とだぶって見えたのだ。

 生き写しとはこの事であった。

 しかしその人物は、七年前に亡くなっていた。ラインハルトも遣り切れない思いで葬儀に出席したのだ。




 なぜあんなに自分を可愛がってくれたのか――その隠された訳を知ったのは、ラインハルトが大人になってからであった。


 その人物には、妻以外の女性に産ませた男の子がいたという。

 息子は生きていると信じて、密かに探し続けていたという事も、同時に知った。

 生きていれば、ラインハルトとあまり変わらない歳頃であったろう。




「生きて……いたのだ……」

 ラインハルトは呟いた。


 その男は、そうだ、自分が恋焦がれる女性と一緒にいた。

 なぜ気付かなかったのか……あんなに大事にして頂いたのに……。




 ラインハルトは椅子から立ち上がった。

 そう考えると、この度の襲撃命令の謎が、霧が晴れるように解けていく。


「なんて大それた事を……っ!」

 ラインハルトは忌々しげに言葉を吐いた。






 慌しく扉がノックされた。


「ジュリアス様っ! 火急の事態でございます! どうかお目通りを!」

「ダニエルか? 入れ!」

 間髪入れず返事をすると、ダニエルが血相を変えて駆け込んで来た。




「日が落ちると同時に、王弟殿下が兵を出陣させました。騎馬隊です。その数、百は越えるかと……」

「なに……っ!」

 ラインハルトの気が怒りを放つ。


 日暮れからはすでに三時間も経っている。王宮の居室ではなく、自宅に戻った事が、情報を遅らせてしまった。

「すぐに後を追う! 仕度を急がせい!」


 ダニエルは弾丸の如く、部屋から飛び出して行った。


 ラインハルトはもう一度、色褪せた小さな花束を見やった。

 すぐに馳せ参じます。どうか……ご無事で……!











 光を落としたハウスの中で、クリステルは眠れずにいた。

 今日一日、自分の感情を持て余していた。




 抑制する事なく、自分の感情にストレートに振舞うネリーは、クリステルの目には眩しく映った。

 それを羨ましいと感じたり、逆に妙にイライラしたり――

 修行を積んだ身でなければ、涼しい顔をしてはいられなかっただろう程に、胸の内は悪天候であった。


 しかしレオンは何かを感じたのか、ネリーを彼女のハウスで休ませた。


 私は……レオンに心配をかけるような顔をしていたのだろうか

 ネリーを、また傷付けてしまったのではないだろうか


 それを気に病む気持ちと、ネリーとじゃれ合うレオンの笑顔とが、頭の中を行ったり来たりして、クリステルの睡眠を妨げていた。


 レオンは何かを訊きたそうにしながらも、結局何も訊かなかった。

 何も、言わなかった。




 そっと、溜息を吐き出そうとした時、レオンが起き上がる気配がして、クリステルは息を殺した。


 レオンは、クリステルが眠っていると思っているのだろう、足音を忍ばせて、ハウスから出て行った。


 まさか……ネリーの所へ、行くのですか……?


 なぜだか不安に胸が波立った。

 クリステルは上半身を起こして、レオンの姿を目で追った。




 レオンはしかし、隣のハウスには目もくれず、月明かりの下をずっと進んで行き、静かに立ち止まった。

 しばし佇んでから、やがて、すぅ……っと、両手を動かした。


「あ……」

 クリステルは目を見開いた。

 レオンは、ダンスのホールドのポジションを取ったのだ。




 一人でステップを練習し始めたレオンの姿に、クリステルはいてもたってもいられない気持ちになり、床を出た。


 引き寄せられるように歩きながら、クリステルは漸く気付いた。


 私は……

 レオンの前では……女でありたいと思っている……?


 クリステルは凍り付いたように足を止めた。


 私は……私には、レオンを無事に都へ送り届けるという務めがあるのに

 それなのに……それを放棄してしまいたいと思っている瞬間がある

 だから……バランスを失って……イライラして……




「クリステルか?」

 不意にレオンが呼びかけた。


「眠れないのか? あ……俺が起こしてしまったか?」

 言いながら歩み寄ったレオンは、儚いほどに心細げなクリステルに息を呑んだ。




「クリステル……どうかしたのか?」

「い、いえ……。今夜は……月が美しいですね……」


 レオンの顔がまともに見られず、クリステルは月を見上げた。

 レオンはその横顔をしばし見つめて、自分も月を見上げる。

「そうだな……」


 レオンはくすっと笑った。


「ネリーが現れてからこっち、クリステルの言う『貴族教育』って奴が進んでないだろ? 忘れてしまいそうだから、ダンスの練習をしてたんだ。でも、いつも相手がいたから……ひとりじゃ上手く踊れない」

 レオンはそう言って、クリステルに手を差し伸べた。


「お嬢さん、お相手を……」


 クリステルは、はっとしてレオンを見上げた。

 穏やかな暖かい微笑がそこにあった。




 ああ……師よ、お許し下さい……

 あなたの教えに背き……私はこのひとときだけ……務めを忘れます……




 クリステルが優雅に一礼すると、レオンは彼女の手を大事そうに取り、ふたりは滑るように踊り始めた。




 その姿を見つめているのは、空の高い所に浮かぶ、白く丸い月と――

 小さなハウスの中の、揺らめく黒い瞳だけであった。






  つづく




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