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Bastard & Master 【11】


【11】






 レオンは変わった……


 ボシュエの市場の中を歩きながら、クリステルは考えていた。




 これまでどちらかと言えば、クリステルの言うがままといった受身な感じだったレオンが、突然、彼女を気遣う素振りを見せるようになったのだ。


 昨夜のダンスレッスンでは、確実に動きが違っていた。

 先程のレストランでも、彼女をエスコートしようとしているのがわかった。

 まだぎこちない仕草が彼女にはくすぐったい感じだったが、その気持ちが嬉しい。




「俺、あいつみたいに出来るのかな……」

 昨夜、床についてから、レオンが小さく呟いたのをクリステルは聞いていた。


 あいつ……と言うのは、恐らくラインハルトの事だろう。


 昨日の午後、ラインハルトと接触した事が、レオンを変えたのか――

 どちらにせよ、気品あるラインハルトの貴族ぶりは、レオンのいい刺激になったのだろう……と、クリステルは思っていた。




 そんな思いを巡らせながら歩いていたクリステルだったが、武器屋の前で、ふと立ち止まった。

 狼の群を相手にした時に、レオンの剣が刃こぼれしていた事を思い出したのだ。


 覗いて見ましょうか……

 クリステルは武器屋の戸口をくぐった。




 店先の物には目もくれず、どんどん奥へ入りながら商品を眺めていると、店の奥から店主が手招きした。


「お客さん、上等な武器をお探しだね?」

「いえ……見せて頂いているだけですけれど……」

 クリステルは物怖じする事無く微笑んだ。

 すると店主は笑って、見るだけでもいいさ……と言った。


 目の肥えた客は、店先の商品になど決して関心を示さない事を、店主は知っているのだ。

 エセ剣士の多くなった昨今、店主がこだわって仕入れた良品を持つに相応しい客は、とんと現れない。

 ふらりと入ってきたクリステルはしかし、見る目を持った客であると、店主は直感していた。


「お客さんが持つのかい?」

 店主は、カウンターの脇にある戸棚を開けながら訊いた。


 クリステルは、いいえ……と首を横に振る。

「連れにどうかと思いまして……」

 店主は振り返ってニヤリと笑った。

「男かい?」

「ええ……」

 クリステルは苦笑して頷く。


「じゃぁ……このあたりはどうだい?」

 戸棚の中の剣を指し示す店主の手元を見て、クリステルは首を横に振った。

 きらびやかな装飾がされていて値の張りそうな物ばかりであったが、クリステルが求める剣とは違っていたのだ。


 店主の顔から笑みが消えた。

 吐息をついて、戸棚の扉を閉める。


 くるりと踵を返して奥のドアに手を掛け、クリステルを振り返った。

「待ってな……」

 そう言った店主の目の奥には、彼女を称賛するような輝きがあった。




 一陣の風が、戸口から店の中に入り込んできた。

 それはクリステルの耳元でそっと髪を撫でる。


 レオンが……?

 何者かと接触……。


 クリステルが眉根を寄せた。


 しかし危険はない……と、風の精霊が囁く。

 クリステルがほっと吐息をつくと、風の精霊は、ちょっと可笑しそうに、プティは不機嫌だ……と、付け加えた。


 その意味を問おうとした時、奥の扉が開いて、店の主人が出て来た。手に二振りの剣を持っていた。




「これが……値打ちのわかる者にとっては、うちの店の最高級品だ」


 カウンターに並べられたそれらは、今しがた戸棚の中にあった物よりはシンプルで飾り気の少ない物であったが、剣としては秀逸な作品であると思われた。

 同じ型で、控え目ながら質の良い小さい石が、色違いで飾りに付けられている、双子のような剣であった。


「いいですね……」

 呟いたクリステルに、主人は、だろう……? と言った。


「もう引退したが、腕のいい鍛冶屋が同時に作った二振りだ。出来はどちらも申し分ない。宝石の色が違うだけだ」




 片方は緑、もう片方は青。


 この宝石も、その刀鍛冶がこだわって選別したものなのであろう。

 クリステルはそれをじっと眺めた。


 上品で思慮深い輝きを放つ緑の石。

 清廉で高貴な輝きを放つ青い石。




 どちらが彼の気に入るのだろう……。

 クリステルはレオンを思い浮かべながら、ひととき考えを巡らせ――


 やがて一振りを手に取った。


「では……こちらをいただきましょう……」


 店の主人は、満足げに微笑んで頷いた。






 待ち合わせの場所に現れたクリステルは、長い形の包みを抱えていた。


「何を買い込んだんだ?」

 レオンが目を丸くして訊くと、クリステルは微笑んで、レオンの腰の剣を顎で示した。


「あなたの剣、刃こぼれしていたでしょう? 良い品を見付けたので、衝動的に買ってしまいました」


 冷静なクリステルが衝動買いというのにも驚いたが、それが自分の剣だと知って、レオンは唖然とした。

 包みを受け取って、その包装を開こうとするレオンの手を、突然クリステルが止めた。


「何だ?」

「ええっと……」

 珍しく、クリステルが困ったような顔をしてみせる。

「緑と青……あなたはどちらがお好きですか?」


 はぁ?

 急に突飛な質問をされて、レオンはぽかんと口を開けた。


 それでも、レオンの答えを待つように、クリステルはじっとレオンを見つめている。

 レオンもまた、吸い寄せられるように、クリステルのロイヤルブルーの澄んだ瞳を見つめ返す。


「青……」

 思わず、口をついて出た。


 クリステルが、はっと我に返ったのが、レオンにもわかった。

 急に気恥ずかしくなり、レオンは包装紙をガサガサいわせた。

「開けていいか?」

「どうぞ……」

 クリステルが短く答える。


 包みの中から出てきた剣は、レオンの身体が思わず震えるような、素晴らしい一振りであった。


 柄の部分の、飾りの小さな宝石が、太陽の光を受けてきらりと輝く。

 高貴な青い輝きが、レオンの溜息を誘う。

 クリステルの問いに、クリステルの希望する答えを返せた事が、レオンは嬉しかった。


「本当に……すごく良い剣だ……。ありがとう……」

 静かな口調に、抑えきれない感動が見え隠れしている。

 クリステルはそんなレオンに、ただ黙って微笑みかけた。




 どこか照れたように微笑み合うふたりの背後で、わざとらしい咳払いが聞こえた。


「あ……」

 レオンがまずい事を思い出したように、顔をしかめた。


 クリステルは苦笑した。

「風の精霊から聞いています。子猫をどこで拾われたのですか……?」

 こっそり耳打ちしたつもりだったが、背後の少女は聞き耳を立てていたらしく、引っ掻くわよ……と、呟いた。


「拾ったわけじゃない。市場で話し掛けられて……答えたら……ついて来やがった」

「困りましたね」


 レオンとクリステルが小声で会話するのが気に入らないらしく、少女は、ぐい、と近寄って来た。




「貴族の女って嫌味ねぇ。物を買い与えて男の気持ちを得るなんて、お嬢様のする事とは思えないわ~。ああ、はしたない」

 聞こえよがしに呟く。


 レオンがむっとして振り返った。

「俺は、買い与えられたつもりはない。払えるようになったら、金は返す。その事は、クリステルも了承済みだ」

「あら、そう……?」

 悪びれる様子もなく、ケロリと言う。


「あたしはネリー。スピリッツ・マスターよ」

 言いながら近付いて初めて、レオンの陰になって見えなかったクリステルの杖が目に入った。


 う……

 紫の石……。

 しかも身の丈の杖……。


「クリステルと申します」


 敢えて、名前しか名乗らない。

 見ればわかるだろう……という態度が、ネリーの勘に触る。

 自分は胸を張って言ってしまった事がくやしい。


 もうすでに、思い込みが激しく、負けず嫌いの性格に火が点いていた。

 そして、更にそれは強く燃え上がろうとしていた。


「さすが、お金持ちは凄い杖を持っているのね。でも、その杖をもってしても、レオンの護衛にプティみたいな小さいのしか付けられないなんて、ちょっと可哀想な実力……」

 くすくす笑って言う。


 プティは怒って、砂埃をネリーに向けて巻き上げた。

 レオンとクリステルは呆れて目を丸くした。プティが怒るのを止める気にもならない。




「言っただろう? プティは友達。護衛は別にいたんだ」

 吐息混じりにレオンが言う。


「え?」

 笑うのをやめて、きょとん、と、ネリーがレオンを見た。

「だから……」

 もう一度説明しようとしたレオンの側を、クリステルが無表情で歩き出した。


「お気付きにならなかったのでしょう」

 ぽつり、と、ひとこと残して、クリステルは街を出るべく歩いて行く。


 レオンはまた溜息をついて、やれやれと頭を振った。

 踵を返し、クリステルの後を追う。




 漸く、ふたりの言った意味がわかって、ネリーは唇を噛み締めた。

 杖を握る手が、ぶるぶると震えた。


 負けない……

 レオンからは離れないんだからっ……。


 ネリーの闘志は、今や消火不可能なほどに、メラメラと燃え上がっていた。






                                       つづく


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