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Bastard & Master 【1】

【1】






 トレッカの町の、腕の良い家具職人の家に来客があったのは、もうじき昼休みという時間であった。




 仕事場で、椅子を仕上げている職人の所に、女房が作る食事のいい匂いが漂って来る。


 その匂いに引っ張られるように、一人息子も息せき切って帰って来た。

「ただいま! おふくろ、メシまだ?」

 戸口をくぐるなり、息子はそう言った。


「おかえりレオン……」

 キッチンから出て来た母親は、息子を見るなり、困った顔になった。


「まぁ、なんだろうねぇ、この子ったら汗だくじゃないか。食事は水浴びしてからだね。父さんも、一息いれましょう」

「ああ……」


 背中を向けたまま返事をする主人を優しく見て、息子を振り返ると、彼はつまみ食いの真っ最中であった。

「レオン!」

「わかってるよ。水浴び水浴び」

 レオンは首を竦めると、そそくさと中庭の井戸へと向かった。




 仕事が一段落し、手を止めた主人は、戸口の所に客が立っているのに気付いた。

 客は、主人と目が合うと、軽く頭を下げた。

「こちらは家具職人のアーヴィン殿のお宅ですか?」


 変わった身なりの女であった。


 僧侶の物とも少し違う長い上着を着ていて、腰に金糸のサッシュを巻いている。手にしている長い杖は、上部に紫の石の飾りがついていた。

 女はしかし、すらりと背が高く美しい顔立ちで、洗練された雰囲気がある。

 さらさらした長い髪は、サッシュよりも鮮やかに見える金色であった。


「アーヴィンは私ですが……」

 主人が言うと、女はもう一度頭を下げた。

「私はクリステルと申します。フォンテーヌの都より参りました」


「都から……? 遥々ご苦労な事でございましたな。私共にどういったご用件で?」

 アーヴィンは立ち上がって、手振りで女に入室を勧めた。

「ご子息の……ヴィクトール殿は、ご在宅でしょうか?」


 アーヴィンは一瞬、凍り付いたように客の顔を見た。

 しかし、すぐに我に返る。

「息子なら、今、庭で……。おい、サラー」

 キッチンの妻に声を掛ける。


「はいはい……あら、お客さん?」

 妻のサラーはにこにこと笑って、クリステルに会釈した。


「都からいらしたクリステルさんだ。レオンに……御用だそうだ」

 アーヴィンの声は淡々としていたが、どこか深刻な響きがあった。

 サラーの顔から笑みが消えた。

「レオンに……? あの子にどんな御用でしょうか?」


 二人に見つめられても、クリステルに動じた様子はなかった。

 一拍おいてから、凛と響く声で言った。


「私はフォンテーヌのお城に仕えるスピリッツ・マスターです」


「スピリッツ・マスター?」

 クリステルは頷いた。

「自然界の万物に宿る精霊の気、ザ・スピリッツを操る力を受け継ぐ者……とでも申しましょうか。本日はフォンテーヌ王の使者として参りました」

 アーヴィン夫妻は息を呑んだ。


「ヴィクトール殿は、お二人の実のお子様ではありませんね?」

 クリステルの淡々とした声、硬質な表情が、夫婦の胸を抉る。


「血は繋がっていなくても、あの子は私らの息子だよ!」

 サラーが叫んだ。アーヴィンが肩を抱くと、サラーは両手で顔を覆った。

「息子に、どんな用だと言うんだね……?」


 その問いに、クリステルが答えようとした時、扉が開いた。

 上半身裸の鍛えられた体と、柔らかい栗色の髪に、雫を滴らせてヴィクトール・レオンはそこにいた。


「おふくろの言う通りだ。俺は家具職人のアーヴィンとサラーの息子だ」

 毅然と言う。


 後方から太陽の光が差し込み、雫がキラキラと輝いた。

 クリステルは無表情のまま、一刻、レオンの姿に見惚れた。


 全員が、その場に立ち尽くしていた。






「あなたを産んだのは、フォンテーヌの中流貴族の令嬢です。お父様は上流貴族の方で……奥様がおられました」

 いきなり核心を突くように、クリステルが言った。


 レオンはかぶりを振った。

「聞きたくないよ。帰ってくれないか」

 吐き捨てるように言う。


「レオン……この方も、王様の使いでおいでなんだ」

 アーヴィンが言った。サラーが顔を上げて夫を見る。

「でも、父さん……」

 不安げに見上げてくる妻の手を取り、アーヴィンは優しく撫でた。




「王様の使いと言ったな……。証明するものはあるのか? 得体の知れない人の話を信用する事は出来ない」

 レオンは挑むようにクリステルを見て言った。

 クリステルは小さく頷くと、一歩前へ出た。懐からペンダントのような物を取り出し、テーブルの上に置いた。


「これは……」

 アーヴィン親子は息を呑んだ。


「国の為に良き働きをした者に贈られる公的な勲章とは違い、王の私的な感謝のお心のしるしで、この飾りの部分は王家の紋章を模っています。……見覚えがおありでしょう?」

 クリステルに見つめられて、レオンは目を逸らした。


 アーヴィンが代わりに頷いた。

「レオン……。持って来なさい」

「親父……」

 なぜ? というようにレオンは父を見る。


「持って来なさい」

 父親は、真っ直ぐに息子を見詰め返した。

「わしらにとっては辛い話になるだろう……。だが今この人の話を聞かないで、お前は一生後悔しないでいられるのか? レオンのルーツをこの人は知っている……。二十三年前、ロッソの森の中で、わしに赤ん坊を預けたあの娘さんがどうなったか、わしは今でも夢に見るんだよ」




 レオンは父親の言葉を辛そうに聞いていたが、やがて決心したように隣の部屋の扉を開けた。

 アーヴィンはクリステルに向き直った。

「赤ん坊だったレオンの首に、それと同じ紋章のペンダントがかかっておりました」


「これだ」

 隣の部屋から出て来たレオンが、クリステルの前にぶっきらぼうに箱を置いた。


「開けてもよろしいですか?」

 クリステルの問いに、レオンは頷いた。

「ああ。だが触るのはやめておけ。酷い目に……おいっお前!?」

 レオンが言い終わらぬうちに、クリステルはそれを手にしていた。


 三人に緊張が走った。


 そのペンダントは、まるで意思を持っているかのように、これまでレオン以外の人間を寄せ付けなかった。

 レオンを我が子として愛し育んできたアーヴィンとサラーにさえ触れる事を許さず、その手に電流のような痛みを与えた。


 しかし、クリステルは周りの心配をよそに、ペンダントの表と裏を確かめ、静かに箱に戻した。


「間違いありません。フォンテーヌ王より、あなたのお父上に贈られた物です」




つづく


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