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ダウィル視点続きます
ダウィルが人間として生活するようになって一番困っているのが、力が強すぎて神力を使っていない時でも瞳が鮮緑に光ってしまうことだ。
これまでは人間に擬態し、瞳の上に更なる擬態を重ねて精霊特有の輝く双眸を隠していたのだが、人間の肉体に擬態を施すには闇属性の神力が必要になる。ダウィルの主属性は風で、闇の副属性は持っていないため、人前では常に意識して精気を垂れ流さないようにしなくてはならない。しかし、現在は膨大な精気が弥胡の器に納まりきらずにはみ出しているような状態なので、その調整が上手くいかないのだ。
人間として生活するためには金がかかる。これまでは気が向いた時に人間の手伝いをしてこつこつと銭を貯めていたので、今はまだ懐にも余裕があるが、このままではすぐにそれも底をつくだろう。
冬は実りが少ない時期であるため、野山に入って糧を得ることも困難だし、市などで既に調理された食事を購入するには銭が必要だ。しかし瞳の擬態ができないせいで、ちょっとその辺の人間を手伝って小銭を稼ぐといったこともできないのだ。とにかく、可及的速やかに瞳をどうにかする必要がある。
その日も、ダウィルは光の副属性で姿くらましをかけた上で市に出向いた。
この国独自の暦では翌日が新しい年の始まりにあたるということで、店先には新年を迎えるための装飾品や食材が並び、多くの人が忙しなく通りを行き交っている。
ダウィルは姿くらましをかけたまま、野菜と鶏肉を煮込んだ料理を売っている店に忍び寄った。人間の営みを見守ってきたので、対価とに引き換えに商品を受け取るということが如何に大切であるのかは理解しているため、盗んだり力にものをいわせて奪うようなことはしない。人に触れないように細心の注意を払って銭を置き、煮込み料理の入った椀を取ると、そそくさと脇道へ逃れた。
人目につかない場所まで来ると地面に座り、熱々の煮込みをじっくりと堪能した。じわじわと身体の内側から温かくなるのが心地よい。寒くてかじかんでいた手の強張りが解けていく。人間の身体が外気温にここまで影響されるとは思ってもいなかった。人間の肉体とは脆弱であるのだと、つくづく実感した。
影の中から宵慈が這い出してきたので、鶏肉に息を吹きかけて冷まし、彼にも少し分けてやる。弥胡の肉体から離れるのは嫌なようで、宵慈は都を去った次の日には匂いを頼りに追いかけてきていたのだ。
青味かがった銀色の毛並みを撫でると、宵慈は気持ちよさそうに目を細めた。
「山で獲物は獲れている? 足りないようならもう少し買ってきてあげようか?」
宵慈は基本的にこれまで同様、自分の糧は自分で狩ってきている。人目のない所ではダウィルに付き添っているが、食事時や人里に出る場合は別行動になる。
ひとしきり食べると満足したのか、宵慈は礼を言うようにダウィルの手をぺろりと舐めてから、再び影に潜っていった。
椀を店先にそっと返却すると、ダウィルはここ最近拠点地としている、人里から離れた森の中へ戻った。
「明日は新年なんだね。この国の人々はどんな風に過ごすんだろう。ふふっ、観察するのが楽しみだなあ。……そういえば、弥胡は新年になったら十五歳になって、成人になるんだっけ」
弥胡は身長が低いため、まだ年相応の外見とまではいかないが、最近は北江偉で空栖に相伴し、滋養に良いものをたらふく食べたおかげで、大分標準に近い体つきになってきたように思う。これからも美味しいものたくさん食べて、ひと目で成人女性と分かるよう、健やかに成長させてあげよう。
以前弥胡が、平民は成人を迎えても特に儀式や特別なことはしないと言っていたことを思い出す。弥胡の出自は平民だが、ダウィルとしては盛大に祝ってやりたい。
「ねえ弥胡? 明日はお酒でも買ってきて、二人でお祝いしようか?」
うきうきと胸に手を当てて話しかけるが、反応がない。
「弥胡?」
もう一度声をかけると、今度は仄かに反応があった。
――どのように反応すればいいか、戸惑っていただけなのだろうか。
訝しく思いながらも森の中を歩き続けていると、不意に背後から殺気がした。風に乗って飛び上がった直後、先ほどまで立っていた地面が割れて盛り上がり、狩猟用罠である虎挟みのようにバチンと虚を掴んだ。間髪入れずに、盛り上がった地表に小刀が数本突き刺さる。大陸でも同じような物を見たことがあるので、暗殺などに使用されるものだろう。
山賊などにも妖力が使える者はいるだろうが、彼らが暗器など使うわけがない。とすれば、やはり犯人は神庁に縁のある者か。
都を出てから、たまに視線を感じることがあった。こちらの様子を窺っているだけで害はなさそうだったので、適当に撒いておいたのだが、彼らとは別の思惑があるのだろうか。
ダウィルは小刀が飛んできた方角を睨みつけた。
「鬱陶しいなあ。まだ僕たちに何か用なの?」
ダウィルが言うや否や、不意を突いて現れた黒づくめの人物が肉薄する。瞳が輝いていないところを見ると、瞬間移動の神通力使いだろうか。突き出された小刀を宙で身を翻して躱す。
いつの間にか姿を現していた黒づくめの暗殺者たちが、地上、空中、四方八方から攻撃を仕掛けてくる。ダウィルは苛立ちを隠すこともなく、盛大に舌打ちした。
弥胡の身体の表面から無数の稲妻を放出すると、目を灼くような光が枝分かれし、森の中を縦横無尽に走りまわった。落雷に似た轟音が鼓膜を劈き、ダウィルは思わずビクリと肩を揺らした。
「うわあ、人間の耳で聞くと、結構キツイものがあるなあ」
頭を振って地上を見ると、足下で折り重なるように地面に倒れている暗殺者たちの姿があった。少し離れた森の木立の間にも点々と黒いものが転がっているのが見える。
「本当、次から次へと湧いてくる虫みたいなやつらだよね。せっかく弥胡が身を挺して庇ってくれたのに、よほど国を滅ぼしてほしいとみえる」
地面に降り立ち、うつ伏せに倒れている人物の顎をつま先で持ち上げた。白目を剥き口から泡を吹いて絶命しているようだ。もとよりこの国の人間を根絶やしにしてやろうと思っていたダウィルにとっては心を動かされるようなことではないが、自己防衛とはいえ、弥胡にとっては衝撃的だったのだろう。胸の奥が軋んでいる。
弥胡とひとつになった今、誰かが彼女をダウィルの手からかすめ取ろうとする心配はなくなったが、こうもしつこく命を狙われるのは気分が悪い。
ダウィルは宙で胡坐をかき、顎に拳を当てて思案に耽った。
「あ~あ、どうしよっかなあ。やっぱり、全員殺しちゃおっかなぁ」
すぐさま弥胡が戦慄する気配がして、ダウィルは口元を緩めた。
「嫌なの? じゃあ、大陸に行ってみようか。弥胡は異国の文化に興味あったよね?」
人間が他国に入国する際には旅券が必要になると聞いたことがあるが、それは船で渡航した場合の話だ。幸い、ダウィルは風の神力を使えるので、海上を飛んで人里から離れた場所に上陸すればいいだろう。その後のことは、どうとでも誤魔化せるはずだ。
「大陸にはこの国では見られない、珍しい食べ物がいっぱいあるんだよ!」
ダウィルの話を聞いて、弥胡が興味を惹かれて興奮する気配が伝わってくる。彼女が嬉しい、楽しいと感じることなら、何でもしてあげたい。
「さて、また誰か来ると面倒だから、違う町まで移動しようね」
死屍累々たる光景を今一度無感動に眺めてから、ダウィルは踵を返した。
誤字脱字は見つけ次第修正していきます。