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全ての人質を東風野の隣町に送り届けた後、海たちは弐泰救出に向かった阿凛たちに合流すべく馬を走らせた。
弥胡は「無駄な危険に弥胡を晒したくない」というダウィルの強い要望により、姿くらましをかけられた上で、彼に抱えられて空を飛んで移動した。
人質の移送は宵慈が担当し、弥胡は移送を待っている人質たちに向かって襲いかかる敵兵たちを補魂で無力化していく役割を担っていた。宵慈は何度も東風野と隣町を往復し、妖力のほとんどを使ってしまったため、今は東風野から離れて山奥で休憩してもらっている。
「神力も連発したし、補魂も使ったし、疲れたんじゃない? 眠いなら寝ていいよ?」
「う~ん、そこまでは疲れてないかな。荒神様に襲われてから、簡単に神力が使えるようになったんだよね。人間の精気を吸引しても気持ち悪くならないし」
標的を定めてから吸い込むまでの行程も円滑に行えるようになったし、相手を無力化するために吸い込むべき精気の量も感覚で分かるようになって、自分でも驚いている。
「もしかしたら、それも受肉寸前まで追い込まれた副作用かもしれないね」
ダウィルは上機嫌に鼻歌を歌いだす。
「それにしても、嬉しいなあ。やっと弥胡から他の精霊の気配が消えた! ねえ、人質の救出も終わったし、これから聖地まで逢引に行かない?」
弥胡が特に望んでいた人質の救出は完了したが、かと言って、まだ春宮も阿凛も戦っているのだ。流石に逢引に行く心境ではない。
「逢引は、全部が終わったらにしよう? ……殿下たちが心配だよ。ねえ、ダウィル。こっそり助太刀しに行っちゃダメかな?」
ダウィルは明らかに不満の滲む声を出した。
「え~? 危ないからダメだよう。命の危険がある場所はダメ~!」
「じゃあ、こっそりどこかに隠れて補魂で戦いを補助するくらいは?」
ダウィルはしばらく考え込むように唸っていたが、やがて渋々了承した。
そうこうしているうちに、弐泰の屋敷が見えてきた。春宮の旗印と深紫に梟の旗印を掲げた兵士たちが、夏宮の兵士たちと交戦している。江吏族の戦士も混じっているようだ。
ダウィルは屋敷の物見やぐらに降り立った。そこで弓を構えていた敵兵を背後から蹴落し、無人になったやぐらの中にそっと弥胡を降ろす。姿くらましをかけたまま、すぐさま自分たちの周りに風の結界を張った。
「これでよし」
ムフンと満足気に胸を張るダウィルに苦笑しつつ、弥胡は物見やぐらから弐泰の屋敷の正面入り口を覗き込んだ。
春宮や阿凛の姿は見えないので、既に中に突入したのだろう。外に残って戦っているのは阿凛の側近ではないようで、見たことのない者が多い。
砂埃に混じって濃い血の匂いがする。眼下でひとつ、またひとつと鮮血が散っていく様子に吐き気がこみ上げてくる。この瞬間にも、誰かの命の灯が消えていっているのだと思うと、胃の腑が重くなった。
人質救出の際にも目の前で人が斬られて血が噴き出し、体の一部が床に転がり落ちるような凄惨な現場にいたというのに、身体が反応しなかったことに思い至る。気にする余裕もなかったほど緊張していたようだ。
――こうして、次第に誰かを傷つけ、殺すことに慣れてしまうのだろう。
少しずつ人として大事なものを失っていくことが怖くなった。
(それでも、わたしは自分が望んでこの場にいる)
大きく息を吐いて気持ちを落ち着ける。
――迷うな、恐れるな、何のために自分がここにいるのか、思い出せ。
弥胡はやぐらの上から敵兵を無力化していった。突然苦しみだして失神する敵兵が続出したため、やぐら付近で戦っていた味方の兵士は恐怖に慄いたように周囲を見渡していた。
それにしても、と弥胡は目を瞬いた。
敵方の志気は著しく低いように見える。武器を投げ出して無気力そうにしている敵兵も少なくない。これなら屋敷が陥落するにそう時間はかからないだろう。
やぐら付近の敵兵をあらかた無力化し終えると、ダウィルが驚いたような声を上げた。
「弥胡、あの人を見て!」
ダウィルが指さした方を見ると、顔が小さくすらりとした体躯の江吏族の戦士が戦っているところだった。彼が瞳の光っている神力使いの方へ手を伸ばすと、途端にその神力使いの瞳から光が失せ、地に頽れる。戦士はすぐさま別の敵の方へ身を翻し、勢いよく手を振った。彼の指先から敵に向かって無数の氷の刃が放たれる。
「あっ!? もしかして、あの人、わたしと同じ天招!? ああ、神庁所属じゃないから天招とは呼ばないか。あの人も補魂の性質を持ってるのかな?」
「そうみたいだね。でも、あの人の甕は弥胡ほど大きくなさそう。吸引してから神力として放つ間隔が短いし、すぐに甕が一杯になってるんじゃない?」
ダウィルの言う通り、戦士は神力使いを優先的に排除し、奪った精気ですぐさま攻撃に転じている。吸っては放ち、吸っては放ちを危なげなく繰り返していく。
まるで舞いでも舞っているかのような優雅な動きに、弥胡はいたく感心した。自分と同じ性質を持つ者を見るのも初めてだったし、ましてや補魂を使って他者がどのように戦っているのか観察できる機会はこれまで皆無だったからだ。
「あんな戦い方もあるんだね……」
「弥胡は規格外の甕の大きさだから、神力を放てるようになるまで、結構な人数の神力使いを無力化しないといけないと思うよ。複数纏めて動けなくなるまで精気を吸う今のやり方が合ってるんじゃないかな?」
ダウィルはやぐらの柱に寄りかかって、まるで見世物でも見ているかのように寛いだ姿勢だ。
「そっか。同じ補魂でも、体質によって向いてることと、向いてないことがあるんだね」
それから約半刻、弐泰の保護と屋敷の奪還を知らせる狼煙が上がった。
救出された弐泰とその側近たちは後遺症が残るような重症は負っていなかったものの衰弱しており、しばらくの間は療養が必要になるだろうとのことだった。弐泰の療養中は阿凛が棟梁代理となるそうだ。
本格的な冬が到来する前に諸々の采配をしなくてはならないため、被害状況の確認が終わるとすぐに、皇族代表として春宮と、江吏族棟梁代理の阿凛を中心に、今後の江吏族に対する賠償や復興の援助などについて協議されたようだ。
ようだ、というのは、弥胡は協議に出られるような身分ではないため、春宮や冬成、阿凛からざっくりとした話を聞いたにすぎないからだ。
彼ら曰く、最大の課題となっているのが、避難民が雪崩れ込んで急に人口の増えた隣町の越冬に必要な物資と食料の調達である。これに関しては雪が深くなると山を越えることが難しくなるため、早急に都から物資を手配することになった。
焼け落ちた家屋の再建は雪解けを待たないと始められないため、翌年の春に都から職人たちを派遣し、建築材を運び入れることになった。
事後処理と協議が終わり次第、春宮たち一行は少数の連絡係を残して都へ帰還することになった。大勢で滞在するとその分必要な食料や燃料などが増え、ただでさ疲弊している東風野の住民に更なる負担がかかるからだという。雪解けの後に正式に皇帝の使者として謝罪と条約の締結に戻ってくることになるそうだ。
逃走した夏宮については、皇帝と春宮が追っ手を放って探しているが、依然として行方が知れていない。弥胡は春宮に命じられて夏宮が使用していた部屋で念視を行ってみたが、焼けつくような憎悪と復讐心を拾っただけで、有益な情報は得られなかった。
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