5-8
弥胡視点
***
4-17で出てきた、江吏族の李武さん(七歳・男性・東風野在住)の視点でお送りします。
冷たい風が吹き付ける上空で、弥胡はダウィルに抱えられながら眼下に広がる東風野の街並みを愕然と見下ろしていた。
美しかった街はあちこちで民家が焼け落ちたままになっており、畑や水田は抉れて茶色い土がむき出しになっていた。人通りはほとんどなく、弐泰の屋敷一帯と集会所のある中部は第二皇子の旗印を掲げた一団に占拠されている。
弥胡は顔を歪めた。
「酷い……。こんなこと、赦せない」
――とても綺麗な所だったのに。
ダウィルは宥めるように弥胡の背中をポンポンと優しく叩く。
「都から援軍も来たし、空栖と阿凛も来た。弥胡もいるよね? 大丈夫。すぐに決着がつくよ。それより、そろそろ阿凛から合図がある頃じゃない?」
弥胡は首肯した。先ほど東風野の北端に陣取った江吏族の陣営で阿凛と合流した際に、集会所に捕らわれている人質の救出を仰せつかったのだ。
『まずは、この地点で爆発を起こして敵の注意を引きましょう。そして続けてここと、ここにも爆発を仕掛けてちょうだい』
阿凛は地図上で集会所から少し離れた三つの場所を順番に示していく。
『敵の戦力を裂いたところで、集会所に突入よ。外で敵を引き付けている間に、弥胡は集会所に仕掛けられている力封じを破壊して、瞬間移動の能力者たちと一緒に人質の救出に当たってね』
集会所周辺で爆発を起こせば住民が危険なのではと訊ねたが、無事に逃げおおせた民は東風野の次に規模の大きい隣町に避難しているので大丈夫だという。
力封じは集会所をすっぽりと覆う半球型の結界のようになっているらしい。これを壊すには、大量の精気を凝縮し、結界に叩きつける必要があるという。爆発に次いで力封じの破壊で体内に残っている火の荒神の精気を殆ど使いきれるだろうとのことだった。
より多くの敵を無力化することを考えると、甕はできるだけ空けておくのがいいだろう。神の精気で満たされてしまっては、補魂で相手の精気を吸引できない。
――わたしの攻撃で、何人も命を落とす人が出るだろう。それでも、護りたい。救いたい。あの場所で待っている人たちを。
痛いくらいに心臓が早鐘を打っているし、先ほどから胃もキリキリ痛む。緊張で震える手で腹を抑えていると、頭の中で、男の声がした。
――『弥胡、作戦開始だ』
不安を身体から押し出すように大きく息を吐き、パチンと自分の頬を両手で叩いた。
目を丸くしているダウィルを振り返り、無理やり口の端を吊り上げる。
「よし、ダウィル。行こう、戦に」
***
冬がすぐそこまで迫っている。
明け方は一段と冷え込みが増し、硬い床の上に寝そべっていた李武は小さな身体をぶるりと震わせた。配給された薄い衾では、とてもではないがこの寒さは耐えられない。ただでさえ入眠することが難しいのに、近頃では寒さで何度も目が覚めてしまっていた。
「李武、寒いんでしょう? もう少しわたしの方へおいで」
隣で寝ていた母がひっそりと囁いた。その背中に縋りつく。以前よりも肉の落ちた母の背中はそれでも温かい。
横臥したまま、李武はまだ仄暗い広間を虚ろに見渡した。
空腹と心労で疲れ切った人々が身を寄せ合って寝ている。連日冷え込むというのに、火鉢のひとつも用意されていないため、こうして暖を取る以外にないのだ。
――神様どうか、僕たちを救ってください。
李武はここへ入れられてから何度目か知れない祈りを捧げた。
東風野の中部にある集会所は、本来は地域住民の代表たちが会合を開いたり、神事・祭事を執り行う際に活用されたり、災害が発生した場合の避難所として機能していた。
それが今は黄色の布地に朱鷺が描かれた旗印を掲げた兵士たちが取り囲み、監視と警戒に当たっている。
数週間前、翠陵の民の第二皇子が突如として東風野に攻め込んできた。街に火を放たれ、人々は逃げ惑い、その中から百名近くが捕らえられ、人質として集会所に押し込まれた。特に多いのが子供と女性で、体の不自由な老人も少なくない。
――ここは酷い腐臭がする。
時間が経つにつれ重症を負った江吏族の戦士も捕虜として集会所に運び込まれるようになった。彼らは広間の片隅で筵に寝かされているが、碌な手当てができないため傷が腐り、死に至るものが少なくない。連日ひとり、またひとりと力尽きていくたびに骸が運び出されていくが、それを補充するかのように、新たな怪我人が運び込まれてくる。
死んでいるのは怪我人だけではない。粗末な食事を日に一度提供されるだけの生活は、体力のない老人や、もともと持病があった者の命をどんどん削っていく。
最初は「弐泰様が必ず助け出してくださる」とお互いを励まし合っていた人質たちも、段々と希望を失い、今では暗い顔で沈み込むことが多くなっていた。
(おとうちゃんは、生きているだろうか……)
李武は自宅の消火へ向かった父親の姿を思い浮かべる。途中ではぐれた母と姉は集会所で再会できたが、父親にはあれきり、会えていない。
(このまま、僕たちはここで死んでいくのかな……)
死ぬということがどういうことか、李武にはまだはっきりと理解できていない。分かっているのは死ぬと家族にも友達にも会えなくなり、ずっと暗い所で独りぼっちになるということだ。
絶望がひっそりと忍び寄って来る。眦にじわりと涙が浮かんだ。
せめて最期に父親の顔を見たい。家族全員で、寄り添ってその時を迎えられたなら。
嗚咽を堪えて唇を噛んだ時だった。
ドオオオオン!!
耳を劈くような轟音が轟き、大地が揺れた。
「な、何だ!?」
「うわあ!! 何が起こった?」
寝ていた人々が飛び起きて周囲を警戒するように見渡す。
間隔を開けて二度、三度と何かが爆発するような音と地響きが繰り返されると、外を見ようと数人が堅く閉ざされた扉へ走り寄る。
「何だ、何が起こっているんだ、教えてくれ!!」
集会所の外に立っている見張りの兵士たちには殺気だった様子で怒鳴る。
「煩い、静かにしていろ!! そこを一歩でも出てみろ、全員斬り殺してやるからな!」
「何が起こっているか、説明くらいしやがれ!」
「黙れと言っている!!」
あまりの剣幕に、子供たちは母親に縋りつき大声で泣きだした。
「おかあちゃん、怖いよ!」
李武と姉も、母親の胸にしがみつく。薄くなった胸からは、どくどくと早鐘を打つ彼女の心音が聞こえた。
「大丈夫だよ。大丈夫……」
母親は顔面蒼白になりながらも、取り繕ったようにぎこちなく笑む。
「敵襲、敵襲!!」
外から兵士たちの叫び声が聞こえたかと思うと、周囲はあっという間に悲鳴や怒号、金属のぶつかり合う音といった喧騒に飲み込まれた。
人質たちは自然と部屋の中央に集まって互いにしがみつき合う。
(何が、起こっているんだろう……)
すぐ近く、おそらく集会所の屋根の辺りからパァンと何かが破裂したような音が聞こえた。
「きゃああ!!」
「な、何だ!?」
広間に無数の悲鳴が響く。
李武は母親に縋りつく腕により一層力を込めた。恐怖に呼吸が乱れ、背中に汗が浮いてくる。
忙しなく目線を彷徨わせていると、ふと、李武の視界の端で床が波打った。
ぎょっとして首を巡らせると、まだ暗い部屋の片隅で、水面から顔を覗かせるようにして、床におちた影の中から誰かの頭が出てきたところだった。
恐怖のあまり李武が声も出せないでいると、その頭は鼻まで床から出現し、警戒心も露わな黒い双眸が周囲を見渡す。
ややあって、ゆっくりと影から全身が這い出てくる。江吏族の鎧を着た中背の男のようだ。他にも数名、次から次へと影から姿を現した。そのうち一人は酷く小柄で、子供のように見える。
「何だ、お前たち!!」
異変に気付いた人質のひとりが声を荒げた。
「静かにしてくれ。俺たちは敵ではない」
最初に影から這い出てきた男は、落ち着いた低音で言い、唇に人差し指を当てる。
「その声、もしや海ではないか!?」
「そうだ。待たせて悪かったな。救出に来たぞ」
海は小柄な人物を見下ろす。
「弥胡、まずは女と子供たちから」
海が言い終わらないうちに、広間の扉が乱暴に開かれ、兵士たちが雪崩れ込んできた。
「な、貴様ら何処から入った! ここには力封じがしてあったはず……」
先頭にいた兵士が叫んだ。驚愕のあまりか声が裏返っている。
「ええい! 侵入者は全員殺せ!!」
飛び掛かってくる兵士たちに最も速く反応したのは海だった。彼は江吏族独特の刀身が反った刀を払って最初のひとりを斬り伏せた。流れるような身のこなしで次の兵士を斬り上げ、体を捻って横から間合いに入ってきていた三人目を薙ぎ払う。
「弥胡!」
海の声に、弥胡が深く息を吸い込んだ。するとどういうわけか、その場にいた兵士全員が次々と床に頽れていく。
「ぐっ……!」
「何だ、ち、力が……」
彼らは力なく呻くと、気を失ったようで、身動き一つしなくなった。
弥胡はそれを見届けてから人質の方を振り返った。李武と目が合うと、彼女は一瞬だけ驚いたような顔をしたが、すぐに口の端を引き上げて微笑む。
「今のうちに、わたしの影と、瞬間移動を使って逃げます。いっぺんに大勢は移動できないから、女性と子供から数人ずつに分かれてください」
誤字脱字は見つけ次第修正していきます。




